
ネジの部屋
うわ。
またネジが落ちている。
ふと気がつくと部屋の中に見覚えのないネジが落ちている。
今日が初めてではない。
拾って眺めてみるけれど正体はわからない。
気味が悪い。
落ちていたネジはどれも大きさや形はバラバラ。
頭の平べったいネジや丸いネジ。
長いネジや短いネジ。
全部で6つもある。
7つ集まったら願いごとでも叶うのかな。
異常事態なのにバカな妄想をしている自分に腹が立つ。
俺は正気に戻り、改めてネジについて考え始めた。
最近引っ越してきたこの団地の403号室。
少し古いが家賃が相場よりも安く、不動産のおっさんも強く勧めてくるから即決した。
独身の俺には少々広い。
20代もそこそこになり、夢の同棲なんかも視野に入れて広めの物件にしてみた。
しかし案の定とでも言うべきか、実際に使っている部屋はこのリビングと寝室だけ。寂しい限りだ。
この世界には俺と同棲してくれる女なんていないのかも。
来世でやり直すしかないな。
それとも別の世界へ旅立つしかないか。
異常事態に俺の思考は楽しくも悲しい妄想へと移行する。
問題のネジは必ずリビングに落ちている。
ネジを使うような大きな家具はテレビ台やテーブルぐらいか、キッチンに行けば食器棚はあるけれど。
落ちていたネジがその家具から落ちた物かどうかはもちろん真っ先に確認してみた。
でもどれも違う。
そもそもネジは欠落していなかった。
いったいこの家のどこからネジがでてくるというのか。
違法建築で天井から落ちてくるのか?
いったいなんのネジなんだろう。
不気味で仕方がない。
幽霊とは違う得体の知れなさが怖い。
これから可愛い彼女を作って…なんて希望を抱いて引っ越して来たのに台無しだ。
でも 合コンでいいネタになるかもな。
「家に来ない?たまに謎のネジが落ちているんだよ」って。
いや 不気味過ぎてだれも来ないな。
ネジが落ちている以外は特に害はない。
捨てるのも怖いし集める他に選択肢がない。
一旦忘れよう。
そういえば朝食がまだだったな。
空腹を覚えた俺はキッチンへ行き料理を始める。
料理と言ってもTKG(たまごかけご飯)だが。
早く料理上手な彼女が欲しい。
溜息をつきながらタマゴを割ろうとするが、タマゴの中にネジが入っていたらどうしよう…と ついよからぬ想像をしてしまう。
もしかして俺の頭の中のネジが落ちているのかも。
そんでだんだんバカになっていくんだ。きっと。
変な本の読みすぎかな。
タマゴを直接ご飯の上に割り入れ、醤油を垂らし雑にかき混ぜる。
これだけの工程でこんなにうまい物が出来るなんて。
ある意味ネジより不思議かも。
何をしていてもネジが頭をよぎる。
ネジ、ネジ、ネジ、ネジ、ネジ。
どうしてあんなにも小さな物体に こんなにも精神をかき乱されなければいけないのか。
少し怒りを覚えながら ガツガツとTKGを頬張る。
お腹も満たされ、改めてネジについて考察をしてみる。
ネジが落ちている時間に規則性はなさそうだ。
リビング以外には落ちていない。
まぁ積極的に他の部屋は探してはいないけど。
ふとした時に視界に入るからいつから落ちているかはわからない。
一日に2個以上見つけた事はない。
ネジには使用感があるが、用途は不明。
駄目だ。
全然わからん。
TKGだけでは栄養が脳にまで行き届いていないようだ。
両手を左右に広げて大きく深呼吸をした。
脳に酸素を供給する。
だれかが侵入しているのか?
それが一番現実的だ。
でもネジを落とす理由は?
物を盗らずに逆に置いていくなんて。
訳がわからん。
目頭を押さえて一呼吸おく。
異常者のいたずら?
ネジを落とすいたずらとか意味不明だ。
そういえばここの管理人は変人っぽかったな。
鍵をもらう初対面の時に「ようこそ、君が来てくれて良かった。ユーモアを忘れずにね」と意味不明な事を言っていたし。
管理人がネジを置いている?
まぁ合鍵は持っているだろうけれど。
ユーモアの為に?
俺の知っているユーモアの概念とはずいぶんかけ離れているが、可能性はあるな。
だって変人っぽかったし。
でもそれじゃぁなんだか面白くない。
このネジはなんというかもっと特別な何かだ。
そんな気がする。
ともするとこれは異次元から来たネジか?
突然現れ、用途は不明、そもそも何故ネジ?
全てが異次元的だ。
そう考えるのが一番しっくりくる。
少し気分が高揚してきた。
TKGがようやく脳に届いたようだ。
頭の中のネジが思考をかき混ぜて活性している。
しかし異次元からネジだけがこっちの世界に来るのはなんでなんだろう。
小さい物しかこっちの世界にこれないとか?
今はまだネジだけでもっと別の物も来るとか?
どちらにせよこちらに送ってきている何者かがいるはずだ。
そのメッセージはなんだ。
ネジで何を伝えたい?
このネジで僕になにか作って欲しいのか?
まさか、こっちとあっちを繋ぐトンネルとか?
くぅー!
なぜか両手でガッツポーズをしてしまう。
なかなかロマンがあるじゃないか。
オカルト好きの俺のところにネジを送ってくるとはなかなか懸命な判断だ。
いや、だからこそ俺が選ばれたんだなきっと。
何者か知らんが、俺に託されたネジは確かに受け取った。
でも情報が少ない。
もっと何か送ってくれ。
しばらく何もない空間に念を送ってみたが、応答はなかった。
昔読んだオカルト本にこういう系の話なかったかな。
ネジ落ち系の話。
そんなもんはないか と頭でひとりツッコミを入れながら寝室へと向かう。
移動中も無意識に床に視線を向けてネジを探している。
寝室に入ると大きな本棚がある。
オカルトやホラーの書籍が几帳面にズラッと並んだこの本棚は異様な空気を纏っている。
その本棚から適当に一冊の本を抜き出す。
あれ、こんな本あったかな。
紺色のハードカバーで丁寧な装丁の本だ。
背表紙には何も書かれておらず、表紙には【らびと】と平仮名で書いてある。
なぜか右から読むようで【とびら】と読める。
僕の部屋にあるのだからきっとオカルト本だろう。
本を収集しすぎて持っている本の全部を覚えていないことに少しショックを受けながら、ページを開いて読み始める。
目次もなく唐突に始まる。
「異次元の扉を開けてはいけない」
と大きく書かれている。
オカルト本にありがちな始まり方だ。
俺は焦ることなく、ページをめくる。
座ることも忘れ、その場に立ったまま。
偶然手に取った本の内容が自分が探している内容だった事に鳥肌が立つ。
何かに導かれている事は間違いなさそうだ。
ある程度まで読み進めた時に、ふと倦怠感を覚え自分が立ったままだったことに気がつく。
こんな本を買った覚えがない。
こんなぶっ飛んだ内容の本なら読んだら絶対に覚えているはずだ。
それに自費出版のようだ。
この本もネジと一緒で異次元から来たのか?
それとも引っ越しの時になにかの弾みで偶然紛れたのか?
本には
「異次元の扉を作るには異次元の素材を使う必要がある」「稀に異次元とのトンネルが自然に繋がる事がある」
「トンネルから異次元から素材が流出する」
「異次元のトンネルを開けるにも閉じるにも作るにも異次元からの素材が必要である」
「扉を開通させてはいけない」「トンネルは閉じねばならい」と書いてある。
こんなに今の自分の状況とドンピシャなことってあるか?お膳立てにも程があるだろう。
これは罠か?
素人相手にどっきりか?
YouTubeの撮影でもしているのか?
それとも俺を異次元に誘い込もうという腹か。
とにかくこの本は本物だ。
おもしろい。
オカルトマニアとしてこれを放置することはできない。
あのネジたちは異次元への通ずる扉の素材だ。
ネジ以外にも異次元から流れて来ている物があるかもしれない。
兆候を逃さないようにしないと。
この本もきっと素材の一種だ。
これは専門家に相談するべきか、ひとりで解決するべきか。
とりあえず記録は必要だ。
ビデオカメラでも買いに行こうか、それともスマホで充分かな。
異次元の扉を開く生配信なんてのも面白いかも。
ふと時計を見るともう出社する時間だ。
今家を出ても既に遅刻確定だ。
それにもう会社にいこうという気はない。
なにせ異次元から招待状が来ているのだから。
不適な笑みを浮かべながら会社にはメールで休む旨を伝える。
嫌味な返信があるだろうが、そんな些末な事はもうどうでもいい。
異次元の扉を作るには他にも必要な物があるかもしれない【らびと】を読み込むとしよう。
それにしても異次元というのはどういうところなんだろう。
扉を作って異次元に行くのはいいけれど、俺が生きれる環境なのか?
息できるかな。
もし別の惑星だったら、きっと俺は生きていけない。
でも宇宙服なんて準備できないし。
水の中に通じているかも。
そうなるとこの団地は水浸しになって怒られるな。
でもネジがあるんだから、人間と同じような文明があるに違いない。
ネジを締めるということは手を使うということだ。
人間っぽい見た目をしているといいんだけれど。
俺のコミュ力はそこまで高くない。
異次元の住人と意思疎通できるだろうか。
人類代表としてやっていけるだろうか。
急に不安がこみ上げる。
でも向こうが俺を選んだんだ。
きっと歓迎してくれるよな。
多少の不安はあるが ワクワクが止まらない。
ワクワクはしつつも心のどこかでそんなたいそれた代物を自分で作れるわけがないと思ってもいた。
そもそもそんなワームホールみたいな物、どうやってその莫大なエネルギーを賄うんだ。
家のコンセントでいけるのか?
電気代やばいかな。
そもそも設計図がないことには作りようがないな。
オリジナルで行けるほど異次元は甘くはないだろう。
異次元に行った初めての人類だから礼儀正しくしないとな。
親善大使というやつだ。
ビジネスマナーの本も読み返しておくか。
本棚に戻り、本を物色する。
濃いめのコーヒーを入れてリビングのソファーにどっしりと座る。
テーブルには【らびと】と【新卒必見 ビジネスマナー初級】が置かれていた。
その光景はカオスな感じがした。
もうここは既に異次元かもな。
そう一人つぶやきコーヒーをすする。
しかし、なぜこの団地の一室で異次元とのトンネルが開通してしまったのか。
パワースポットなのか、過去に忌まわしい実験でもしていたのか、悪霊でも封印されているのか。
家賃が安いのはこういうことだったの?
いずれにせよ俺はついてる。
ラッキーだ。
こんな経験は、いつも威張っているアホ上司には到底できまい。
ざまぁみろ。
こんな謎に立ち向かっている姿を受け付けの可愛い子ちゃんが知ったらきっと惚れるだろうな。
さて 煩悩は一旦忘れて、異次元への扉の作成に取り掛かろう。
【らびと】によれば異次元の素材は5つあれば扉を作る事が出来るとのことだ。
もう6つあるから作れるぞ。
【らびと】には丁寧に図解付きで扉作成の説明があった。
まず「素材を床に五芒星になるように配置する」とある。
なんだか急にオカルトチックになってきたな。
悪魔でも召喚されたらどうしよう。
よく洋画にあるような悲惨な結末だけは勘弁だぞ。
リビングのテーブルをどかし、ネジを五芒星になるように並べる。
ネジって、くるっと回って安定して置けない。
床に打っちまうか。
クローゼットからインパクトドライバーを持ってきてネジを床にねじ込んでいく。
DIY用に買っていてよかった。
初めて役にたったな。
初仕事が異次元の扉作成とはインパクトドライバー界でもそうそういないだろうな、と無駄な妄想をしつつ淡々とネジを打っていく。
インパクトドライバーの軽快なモーター音と、地響きのような音を立てながら床にめり込んでいくネジ。
これで形が崩れない五芒星が出来た。
電力の供給を考えてコンセントの近くで作業をしていたが【らびと】によると「素材が発するエネルギーによって扉は生成される」とあるので、きっとネジには溜め込まれている異次元のエネルギーがあるんだろう。
ならもっと広いスペースで作ればよかった。
これじゃ映えない。
さて次の工程は…と【らびと】のページをめくる。
「素材の五芒星の中央に立ち「アモーユ」と呪文を唱える」とある。
またオカルトチックになった。
ん?
もう完成してるってこと?
ネジを床に打っただけだけど。
異次元の素材の力ってすごいんだな。
異次元の素材の力とこっちの世界の俺のパワーで扉を開けるという事か。
なんてロマン。
なんてすごい技術。
どうしよう。
今すぐに扉を開けるか。
色々と準備をしてから開けるか。
開けてからじゃないと何が必要かわからないしとりあえず開けてみよう。
俺は軽い気持ちで五芒星の中央に立つ。
大きく息を吸い込み、一息に呪文を唱える。
「アモーユ!」
静寂。
何も起こらない。
いつもと同じ部屋だ。
失敗したかな?
呪文の発音が悪かったのかも。
「ア モーユ!」
「アモオーユ!」
「アモーユゥ!」
色々とアクセントを変えて唱えてみる。
静寂。
僕の呪文は部屋に吸い込まれ消える。
何故だ!
やはりこんなことじゃ異次元にはいけないのか。
その後も何度か呪文を唱えてみたが、音沙汰無し。
一旦休憩しよう。
キッチンへ行き牛乳を飲む。
アイスでも食べて頭を冷やそうと冷凍庫を開ける。
そこには見慣れぬ新聞紙に包まれた棒状の物が入っていた。
気にはなったけど、意気消沈している俺はアイスを取り冷凍庫の扉を閉めた。
リビングのソファーに浅く座りアイスを食べる。
目の前には【らびと】が置いてある。
なんだよ。立派な装丁にすっかり騙されたよ。
と文句を言いならもページをめくる。
扉の開け方の次の章は異次元について書かれていた。
異次元についてはこの目で確かめたい気持ちが強く内容が頭に入ってこない。
異次元にまつわるエピソードのひとつに目が止まった。
「初めて異次元に到達した時、そこが異次元だとは気がつかなかった。それは普段と変わらない異次元だったからだ」
異次元なのに気が付かない?
そんな事あるかな。
異次元というぐらいだからこうグニャっとしていてズズズズウウとしているもんだろう。
それこそが男が追い求める異次元というものだ。
じゃぁなにか?
実はさっきの呪文でちゃんと異次元に来ていて、自分では気がついていないだけだと?
にわかには信じられん。
ここが異次元だという確証が欲しい。
深呼吸をして周囲を見渡してみる。
間違い探しをするかのごとく目を細めて観察した。
しかし普段と変わらない自分の部屋だ。
くそっ!
いやまてよ。
俺は少し物事を小さく見ていたのかもしれない。
何も俺だけが異次元に移動したとは限らないじゃないか。
だって扉はそのままそこにある。
という事はこの部屋ごと移動したと考えるほうが自然だ。
もしくはこの団地ごと移動しているかもしれいない。
いや、団地全体というのは 素材の大きさからそんなに大量のエネルギーは出ないか。
やはりこの部屋が船となって時空を移動して異次元にたどりついていたんだ。
だからこの部屋は以前のまま変化がないわけだ。
すると部屋の外は…。
ゴクリと生唾を飲み込む。
異次元か。
俺は確かめる為に玄関へ向かう。
すると隣の部屋の扉が開閉する音が聞こえた。
玄関の扉を開けて首だけ外に出してキョロキョロと辺りの様子をうかがう。
すっかり夜になっている。
扉がいくつも並ぶ団地の廊下に少し疲れた様子の女が立ち尽くしている。
俺に気がついた女が近寄ってきて俺に尋ねる。
「あの…ロケットマンって知ってますか?」
は?
今なんていった?
ロケットマン?
ヤバイ女だ。
異次元の女。
ここは間違いなく異次元だ。
俺は満面の笑みを浮かべた。
玄関から出て女と話をする。
日本語は通じている。
でもこの女の言っていることはしっかりとおかしい。
意味がわからなかった。
「息子が…」「ロケットマンが…」「知らない人に部屋を追い出された…」と繰り返している。
どうしようかと悩んでいると扉の開く音がした。
俺の隣の部屋から男が出てきた。
俺は異次元かどうか確認する為に近付き「こんにちは」と挨拶をする。
男は少しきごちない感じで挨拶を返す。
そして、その男は異次元な発言をした。
「僕は2035年から来ました。ここは2025年ですか?」
と言ったかと思うと
「すみません。お肉を食べさせてもらえませんか」
と初対面の人間に言ってきた。
もう間違いない。
ここは異次元だ。
俺はまた満面の笑みを浮かべていた。