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キレイごと/批判だけでは解決しない身体拘束の実態
今日は身体拘束について書いてみたいと思います。
精神科病院での身体拘束に関しては、その非人道性から大きな問題となっています。以前の記事でも書きましたが、とりわけ日本では顕著です。
想像してみてほしい、ベッドに仰向けにされ、両手足と腰回りの5箇所を拘束帯で固定され、身動きがとれない状態を。
それが24時間、数週間続くケースもある。
褥瘡(床ずれ)や静脈血栓のリスクもある。
筋力は落ちるし、食事も介助者に口に運んでもらってしか食べられない。
(実際には足だけ拘束するケースや、時間帯によって拘束帯を外したりはしている)
『身体拘束については僕は現場感覚よりも素人感覚の方を信頼してますけどね。プロの「感情鈍麻と平板化」や「発動性の減退」のほうがよほど深刻。』
これは昨年10月、精神科医の斎藤環先生が発したツイート。私たち精神医療に関わる現場の人間は、身体拘束に対し慣れきっている、一般の方の感覚の方が正しいと警笛を鳴らしたのだ。
これには私も同感だ。10年前、初めて私が精神科病院の入院病棟に文字通り足を踏み入れた際の、
その異様な光景と空気感、驚き、といった感覚を忘れてはならないと思っている。
その中でも特に隔離や拘束の患者さん達は、より一層ひどい環境で生活しているのは言うまでもない。
一方で、その当時の私の「素人感覚」に添うように、この10年間だけでも少しずつ「精神障がい者を地域に帰す」という動きが出てきている。
私の病院でも長年入院していた患者さんが、地域のグループホームに退院するケースが少しずつだが出てきている。
障がい者グループホームの数は5年前と比べて1.6倍に増えており、地域の受け皿も拡がってきている。
話を身体拘束に戻します。
上述した精神科病院の「異様さ」は私も、おそらく他の精神科医やスタッフの多くも認識はしているつもりだ。
ただそれを差し引いても、長年精神科医療に浸かっている私たちは、気づかないうちに「馴化」してしまっているとも思っている。
ここで実際に私が身体拘束が必要と判断したケースをご紹介したいと思う。
膀胱ろう、というものをご存知でしょうか?
自力で排尿できない方に対して、おへその下あたりに穴を開け、そこから膀胱まで直接管を通し、管から排尿できるよう設置したものだ。
膀胱ろうを設置している、とある患者さん、
精神症状が悪くなり、自分で力づくで膀胱ろうを抜いてしまうことを繰り返していた。
膀胱ろうが抜けることがどれほど危険なことかというと、いわば内臓が直接外の空気に触れているような状態だ。
感染しないよう、こちらが慎重に膀胱ろうを再挿入してもまたすぐに自己抜去、、を繰り返していた。
最終的にやむを得ず、身体拘束でしかこれを防げないと私は判断した。
因みにこの方が膀胱ろうを設置するに至った経緯だが、何十年も前に高所から飛び降り下半身不随となり、自力で排尿できなくなったからだ。
このケースを聞いて、一般の方はやはり身体拘束なんてとんでもないと思われるだろうか?
精神科医療にどっぷりと浸かってしまっている私の感覚がおかしいのだろうか?
今後もやむを得ず身体拘束をしなければならないケースが出てくるだろうが、10年前に私が感じた
「素人感覚」に今もこれからも折に触れて立ち返っているつもりだ。
最後までお読みいただきありがとうございました。