【医師エッセイ】不登校とヤングアラーとコロナ禍 子どもの貧困
コロナ禍において人と人との交流は著しく減少した。児童精神科医として、子どもの心診療をしているが、憂慮すべき報告があった。ある研究で5歳児はコロナ禍の影響により、4ヶ月の発達の遅れが認められたのである。
人は人と交わり、人を見て、人に教わり教えて生きていくものだ。つまり、人は一人では生きていけないことを示している。子どもにおいては、家庭、そして学校、社会で育ていくものなのだ。
とくに私が感じたのは、不登校の増加である。2020年度の小中学校不登校児童数20万人から、2021年度は24万人と25%増と過去最多を記録した。イベントがなくなり、友人が学校に来ない、分散登校、マスクや手指消毒やソーシャルディスタンスなどの感染対策が徹底された。これまでの日常がなくなり、少人数制の管理社会だ。そうなれば自然と学校への足が遠のいてしまうのは、仕方のないことだろう。子どもとは、自由でいられる時期であり、また自由だからこそ学ぶべきものも多い時期でもあるからだ。コロナ前の学校生活も、完全な自由があったわけではないが、前と後では自由度は違う。その不自由な制度についていけない子は、容赦なく切り捨てられる環境になったともいえる。
そして何より、子どもたちはコミュニケーションの機会を失うことになった。コミュニケーションは人との距離感のみならず、場や状況にあった言動ができることも意味する。多くの失敗と成功を繰り返しながら、こういう場面でこういう行動を取ると怒られる・喜ばれる・悲しまれるなど、様々なことを人との関わりによって学ぶことができる。
しかし、人とのコミュニケーションを阻害されていたコロナの渦中。そういった、教科書では学べないことを、子どもたちは貴重な時間とともに奪われてしまったのだ。この失われた時間は、二度とは戻ってこない。補填しようがない時間である。
将来のある子どものため、地域共生社会が、これらのことを理解して、人と人が交わり、子どもたちを育てることが肝要と考える。あいさつに始まるコミュニケーションや、社会ではどう言動すべきかを教えることが大事だ。
たとえば不登校になった子どもは、何らかの理由により、不登校を選んだのだから、その意思を尊重すべきなのである。不登校になった子どもは、学校に行かない場合もあれば、行けない場合もある。大人は、子ども時代を過ごしてきたはずなので、子どもの気持ちを想像することができるはずなのだが、なぜか忘れ去っている。子どもと同じ立場で、物を考えるという想像力が欠け、世間体のために子どもに無理やり学校に行かせようという気持ちしか持てない場合が多い。
私が診療した不登校の子どもは、中学校に入学した2020年4月から不登校になった。しかし、この場合は、少し特殊と言えるかもしれない。なぜなら、彼の場合は、母が病気に倒れ、彼がヤングケアラーになり、学校に行けなくなったからだ。親が働けない状況のため、生活にも困窮することになった。つまり、相対的貧困家庭となったといえる。
彼は小学生の頃から、サッカーをしていたのだが、貧困家庭な上に、本人がヤングケアラーになったため時間もない状態で、自分の好きなことを続けられるはずもない。サッカーをしたいという気持ちすら、持つ余裕もなかった可能性もある。日々を慌ただしく生活していれば、そうなってしまうのもうなずける。
こういう状況に追い込まれた時、誰かを頼ればいいのだが、そんな風に考えられる人はどれだけいるだろうか。しかも中学1年生だ。ただ、中学1年生ではなかったとしても、人は追い込まれている時に、自分の弱さを人には見せたくないと思う人もいるし、行政の力をそもそも信じていない場合もあるし、行政に頼ればいいんだと考えることができる余裕もない場合がほとんどだ。大人であっても、そうだろう。ましてやコロナ禍で、誰かに相談する機会すら失われている。人との接触はしてはいけません、というのが感染対策だ。まだ世間さえも知らない彼が、どうやって誰かに相談できるというのだろうか。
結局、彼は家でぶっ倒れているところを父に発見され、私の勤務する病院へと救急搬送されてきた。そのような状況でも、意識が戻った彼は家で介護を必要とする母のことを心配していた。
彼と父親からヒアリングをし、最終的には、病院から訪問看護を利用したり、行政からヘルパーや移動支援といった支援を受けることになった。これでようやくすべてが解決したのかというと、そうではない。介護をし続けていた彼の心は、心身ともに大きな問題を抱えていたのだ。そのことに気付いたのは、少し後になってからである。
手厚い看護の結果、母親が快方に向かった。母親が回復してくると、彼の介護の負担は大きく減る。もちろん、倒れた後は、病院と行政の手も入っていたので、当初に比べると手は空いていたのだが、母親の回復というのは、幼い彼の心の負担を取り除く結果となった。そして、彼の心に、自分のことを考える余裕が生まれたのだ。もう少しすれば、また以前のように学校に行くことができる。そのはずだった。しかし・・。
これまでの緊張感が解けた時、彼はうつ状態になってしまったのである。私は彼のうつ状態に対し、薬物療法と心理カウセリングを始めた。彼のこれまでの頑張りを、認める心理カウンセリングが必要だと判断したからだ。
しかし、病院で彼の診療や心理カウンセリングをすることは容易ではない。なぜなら未成年の彼が受診するには、母か父の付き添いが必要だからだ。彼の父親は金策のために働き続けているため、彼の付き添いはできない。彼の母親は、状態が改善に向かって来たからと言って、彼の受診に付き添いができる状態ではない。そうなると、誰も彼の受診に付き添いをする大人がいないことになる。
ではどうすればいいのか。私は考えた。付き添いがいないからと言って、彼を放置していていいわけがない。そこで私が提案をしたのは、地域教育センターの学習支援室を利用することだ。地域教育センターには、定年退職された教員が常駐していたため、彼の話を聞くことや彼のことを認める対応をしてくれる年配の人たちがいる。
私が勧めてみると、初めは彼も渋っていた。どこに行っても同じだと思っていたのかもしれない。それに、自分に対する不安が強いので、余計な行動を取って、面倒なことになりたくないという気持ちもあっただろう。しかし、彼は行くことを決めてくれた。それは、彼の中に残っている、この現状から抜け出したいという気持ちが残っていたからだと、私は希望的観測をしている。
学習支援室は、彼が以前通っていた小学校や中学校とは全く別の場所だ。そんな場所に行ったことのない彼にとって、最初に学習支援室のドアを開けることは、大変勇気が行ったことだと思う。とくにうつ病になっているのだ。そのストレスは、計り知れない。しかし、そこに行くことで、彼は絶対に変われるという自信が、私にはあった。
最初は部屋の隅で、ただじっとしているだけだった彼だが、徐々に周りの状況にも慣れていった。彼の中で、学習支援室であれば通えるという気持ちは、彼に達成感を与えてくれる。何もできない、何もしたくない、という気持ちしかなかったのであれば、特に○○ならできるという気持ちが、何よりも大事なのだ。
さらに、学習支援室には、人生経験が豊富な人たちが集まっている。どんな話をしても怒らないし、受け止めてくれる人たちだ。彼は、そんな彼らに対して、自分のことを話すようになっていった。大人が自分の話を聞いてくれるというのは、彼にとって重要なこと。話を聞いてくれるということは、自分は大人に認められていると思うのと同意だからだ。
これまで、彼は頑張ることに必死だったが、その頑張ったことに対して褒めてくれる人がいなかった。たったそれだけのことで? と思うかもしれないが、人から褒めてもらう、人から認められるというのは、人が自分に自信を持って生きるためには重要なことだ。それを学習支援室では彼にしてくれたのである。
そうして彼は、自信を取り戻してくると、周りの大人の話も聞きたいという気持ちになっていった。聞きたい。知りたい。という前向きな気持ちは、自分に自信がなければできない。自身がついてきた彼は、人に質問ができるという事もまた、自分の自信へとつなげていき、彼は完全に立ち直ることができたのだ。そればかりか、彼に関わった人たちもまた、彼によって元気づけられる結果を導いた。
これこそ、お互いが助け合っている理想の姿と言えるだろう。
コロナ禍に閉ざされた人と人との交流。人は人と支え支えあって生きていくのである。私は彼を見ていて、より一層その気持ちを強く持つこととなったのだ。