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鬼島津の二つ名で知られる島津義弘は、猛進が得意な薩摩の戦国大名としても知られています。カリスマ性とリーダーシップにも長けており、戦いの場では彼に恐れを抱いている人も多かったことでしょう。
そんな島津義弘ですが、実はもう一つの顔があります。それは外科医です。戦国大名が?とも思いますが、彼の戦法では部下たちの外傷が後を絶ちません。それを何とかするために、島津義弘自らが外科医としての知識を身につけていきました。身につけた知識は、自分の部下たちに施し、何人もの命を救っています。島津義弘の外科処置は、洗浄、止血、縫合などの知識は、現代のものにも通じるほどです。また、お産に対応する産科医としての知識や、痛みを和らげる呪術医の知識もあることが知られています。
彼は命の大切さを知っている人であり、慈悲の心を持っているので、兵士たちに慕われた存在でした。そんな兵士たちが集まっている戦闘集団なのですから、それはもう別格の強さだったでしょう。
木原崎の戦いや関ヶ原の戦いなどでは勇名を轟かせ、85歳で天寿をまっとうしました。義弘の死に際して、殉死禁止令が出ていたにも関わらず、何人もの人が殉死したそうです。

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