【医師エッセイ】自殺願望の女性
病院にはリストカットによる自殺が原因で、救急搬送されてくる患者がいます。その彼女もそうでした。カルテを見ると、「二度とリストカットするな」と注意喚起したなどと強い口調で書いています。というのも、その彼女がリストカットをするのはもう数回にわたっていたからです。また、診察室に来る母親と彼女が、いつも大人しく話を聞いているので、少々きつめに言っても大丈夫だと思われたのでしょう。
リストカットを縫合するのは研修医の役目です。ですが私は情けないことに、肌からにじみ出てくる血液を見るのが苦手です。リストカットの縫合も苦手でした。しかも当直の夜で、眠さも限界に来ています。だから、私も単純に理由が聞きたくなったのです。
「なんでリストカットするんですか?」
私がそう聞くと、母親は驚いたような表情をしました。けれど彼女は語ってくれませんでした。私は、これまでは他の医師のように強い態度はとっておらず、ちゃんと話を聞くようにしています。だから私が嫌味で言ったわけではないことはわかってくれたはずです。
ただ当時の私は研修医。彼女のために何ができるわけではありません。そこで私は大学病院の上司に相談しました。すると大学病院で症例検討会をすることになりました。母娘が受診した際に病院のソーシャルワーカーが、詳しい情報を集めることになりました。初めての経験です。
彼女の家庭は、生活に困窮していました。娘は軽度知的障害があり、家庭がそんな状態であったため学校どころではなく不登校。そしてヤングケアラー。両親も最終的に知的障害あることが判明。祖父の介護と肉体労働で身体を壊した父、どうにもこうにも困窮していました。福祉の手が入り、生活保護受給と障害者手帳の交付、障害年金の支給そういった福祉が家庭を立て直し、彼らを救ったのです。
彼女のリストカットは誰かに助けてほしいという、悲痛のメッセージだったわけです。身なりが整い、人づてに紹介をしてもらった場所で彼女が仕事を始め、娘も学校に通うようになったと聞き、医師は人を救えるのだと実感した経験でした。
リストカットの縫合をする。それだけが医療ではなく、人の話を聞く。なぜこのようなことが起こっているのだと考える。考え行動した先に、患者さんの明るい未来が待っている。そう思うと、私はこれからも考え行動し続けようと強く心に決めました。