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【医師エッセイ】医学生と看護師
医学部2年生として、21歳。
私は1型糖尿病になりました。
血糖値が1400。
ケトアシドーシスだったのでしょう。
代償作用で身体が二酸化炭素を出したい。
大学病院に救急搬送されたとき、呼吸は浅く早く、池の鯉のように口をパクパクさせていました。
9月の大学の講義が始まってから2週間。
身体のだるさと口渇多飲多尿。
夜も排尿のために起きてしまう。
体重が2週間で10kg減少。
大学病院で内科受診したのですが、今から考えれば典型例にも関わらず、「夏バテだね。2学期から解剖学実習が始まったから、疲れているんじゃないの?」と夏バテの診断でした。
私も医者がそういうんだからと、食べると嘔吐するので、栄養ドリンクを飲んで、ランニングして、寝る。夏バテで心と身体の問題だと自分を叩き直そうとしました。
何しろ夏休み明けで大学講義が始まって、症状が出たのですから、疑う余地はありません。
嘔吐もストレス性だと疑う余地はありませんでした。
結局は、意識もうつろ。月曜日の朝に救急車を呼んで、大学病院に搬送されたのでした。
まずいぞ、呼びかけに反応しない。
頭部CTだ!
あれ?血糖値1400?
違う、CTいらない。
点滴をされ、そこからまる3日眠り続けたのでした。
ふと、起きると、私は看護師さんに身体を拭かれていました。
あれ? 起きました?
13階の特室。個室に入院させてくれたのは、大学医学部の学生だったからか。まだまだ血糖値の高い、私はバルーンを入れられていましたが、意識が覚めたならトイレには自分で行きたいので、個室はとてもありがたかった。
ぶっ倒れて3日目。
ここは石川県の金沢医科大学病院。
横浜で父が産婦人科開業医、母が助産師である私の元に、母と妹が来るのはさらに4日後でした。
意識が戻り、身体も軽くなった。
そんな私に主治医と内分泌内科教授の宣告は酷でした。
「これからは、1日に3回いや4回は自己血糖値測定とインスリン自己注射が必要です。君は1型糖尿病なんだ」
え? 自己注射?
退院はいつなんです?
今の見込みだと2ヶ月かな。
え? 困りますよ。 大学留年しちゃいますよ。
そのことなんだが‥。君の病気だと医者になるのは難しいと思う。
え?
じゃあ後でまた、主治医が説明するから。
30年も前の話です。医学生ですら、2年生だと1型糖尿病なんて分かりません。
同級生にも退院後には不摂生だからだろ?と言われたこともありました。
考えてみれば、私の1型糖尿病は大学医学部入学前から始まっていたのでしょう。大学入学してからは中学高校では陸上部、サッカー部としていたのに、自分の身体とは思えないようでした。slow-progressive IDDMだったのです。
身体が健康でなければ、心が健康であるわけがない。
個室で一人泣きました。
なんだよおれの人生って。
先のことは考えられない。
医者になれないなら、死ぬしかないか。
そんな私の心を見透かしたのでしょうか?
それとも私のような21歳と言う若者が入院したのが珍しかったのでしょうか?
13階は混合病棟で、当時、VIPが入院するような病棟で、比較的重症患者は入院していない、安定期の患者さんばかりだったのです。だから大学病院の中でも20歳代前半と若い看護師ばかりでした。
私が感銘を受けたサービスは、
若い看護師さんたちが、私の話を聞いて支えてくれたのでした。
看護記録など忙しいでしょうに。
長い時間引き留めていました。
嫌な顔もせずに。
それが仕事かと言われたら、明らかに業務範囲を超えて、心を込めて接してくれたと思います。
心のこもった接遇は私の心の身体も癒してくれました。
心が弱っているときなど、家族よりもわかってくれるのは看護師かもしれません。
私の家族は私がこの後、医師になれるのか?それしか興味がないように感じさえしました。
だから今の私があるのです。
看護師の心のこもった接遇。これに勝る『今までで一番感銘を受けたサービス』はあり得ないのです。