見出し画像

【医師エッセイ】心理師と心理検査

■心理検査の大切さ
古いけど大切にしたい手技で思い浮かべるのは心理検査です。

児童精神科診療では、知能検査、発達検査、人格検査、投影法といった心理検査を行います。まず子どもを診断することが大事ですので、診断のためと思いがちですが、こういった心理検査は子どものことを理解する、そして、これからのことを考えるために必要な心理士が時間をかけて行う昔ながらの検査です。

児童精神科診療の診断には、発達歴、行動観察、集団適応状況、血液検査や画像検査等に加えて心理検査が行われます。

まず、心理検査の中で、知能検査では新版K式発達検査、田中ビネー検査V、WISC-ⅣないしはWISC-V検査がありますが、IQ(知能指数)など下位検査を含めて数字で結果が出ます。IQのみならず、下位検査における発達の偏り、すなわち個人内較差があるのかどうか?さらには検査をしている様子などのプロフィールも重要となります。

■仮説を作ってとことん考える
私は小児科医として教授や指導医から、子どもは検査自体が負担になる可能性があるから、闇雲に検査をすればいいというものではない。そりゃあ検査の結果を見て診療するわけだから、検査は大事だよ。でも、「検査がなぜ、必要なのか?」と「検査にはどんな結果が出るのだろう?」と考えた上で、検査はオーダーしなさい。それが、アカデミックな小児科医としての生き方だよ、と教わってきました。

しかし、心理検査というのは、やってみないとわからない。やってみると予想外の結果が出るということはよくあることです。
例えば、普段は本を読んで過ごしています。→IQやVCI(言語理解指標)は高いのかな?友達と関わるのは苦手なのかな?
例えば、下級生とじゃれあって遊びますが、同級生とは接することは好みません。→コミュニケーションスキルは幼いのかな?
などと推測しても、やってみると予想外の結果が出るということはよくあることです。

■経験を積むことで見えなくなることもある
若いころと違って経験を経ると小手先だけなんとかできてしまうところがあります。発達検査の結果を見て、これまでの経験があればと言っては何ですが、そのような状態に落ちいりそうになっていました。そんなとき、私はあるアメリカ人の心理学教授と出会いました。

私が児童精神科外来で診療していた子どもが、その心理学教授の診療を受けることになっており、学会でお会いしたのです。

教授は何人もの心理士を引き連れて、学会に来ていました。教授のそばにはつねに人がいます。挨拶をしたときに、失礼とは思ったものの、私は教授に質問をしました。
「なぜ、教授の周りには人がいっぱいいるのですか?」
「なんでだと思う?」
簡単には答えを教えてくれません。答えから言ってしまうと、答え方は、相手に合わせてかえていたからです。教授はいろいろな引き出しを持っていて、人に合わせた答えを瞬時に出せる人でした。

みんなと相談して導き出した答えは、「人は新しいことを知りたい生き物」ということ。
教授には、さまざまなことを教わったというよりも導き出してもらったという感覚の方が強くあります。
「児童精神科外来に通う子どもと、その保護者が知りたいことはWHY?よりもHOW?なんだよ」
「なぜ、こうなってしまったのか?を考えるのは簡単だ。しかし、前を向いていたとしてもそれはNegativeだ」
「それよりも、今後どうしていくか?How?をみんな知りたいんだよ」
そう答えられると、私は感心するしかありません。教授の周りにいつもたくさんの人がいることも頷けます。

■児童精神科医の人生はまだまだ道中半ば
心理検査の前に、私がこの子どもはこういう子どもなのだと考えて検査して、予想して検査をしても蓋を開けると予想と違っていることが多々あります。

「それはなぜか? 経験を積んだ児童精神科医が予想を見誤るなら、誰だって見誤るっていうことだ」
「だから、どうしていくんだい?」

教授のその言葉が、私の中で反芻します。私は壁に当たっていたのでしょう。それから、私は心理検査の前には、必ずどんな結果が出るのか予想を立てる。そして心理検査の結果には隅々まで目を通し、どうすべきかを再考するようにしました。

その、どうすべきかを?を教授に話したところ、「good boy」と言われました。

「Positiveな人には人が集まるのだよ」

これが正解だったのでしょう。
教授に認めてもらった気がして、とても嬉しく成長が感じられた瞬間でした。

教授は素晴らしい、これからももっと教えてもらいたい。そう告げると、教授は、「Good boy, but I can only teach you a little.」と答えられました。「全部は教えられないよ」自分で考えなということでしょうか?それとも、私はちょっとしか教えることはできないという意味でしょうか。
その答えは分かりません。

教授が言ったセリフなのだから、前者の方だと理解しています。
自分なりの答えを出しては、そうではないのかもしれないと診察のたびに今後の方針を考える。子どもは成長しているのだから、そのときとった心理検査がすべてではない。
まさに、心理検査とともに私は児童精神科医人生を歩んでいるのです。

いいなと思ったら応援しよう!