【医師コラム】思えば遠くにきたもんだ 医師の引っ越し
■引越しをする理由
みなさんは引っ越しを何回したことありますか?
人は一生で引っ越すのは平均4回だとかネットの情報もありますが、平均は意味がないのかもしれません。ちなみに私は10回以上です。自分の意志ではなく、「父が開業するため」なども含めると、その数になってしまいました。
医局制度が崩壊した今では、10回以上の引っ越しなど、引っ越しマニアでなければないかもしれませんが、昔は医局の命令で関連病院に出向とか簡単に行われていたので、地方医科大出身の友人医師に聞くとやはりこれぐらい当たり前のようです。実際私自身も、出向で何度も引っ越しをしています。
私の大好きなマンガ「課長 島耕作」も主人公は、あくせく働いて出世したい人ではないのですが、会社の命令で海外を始めあっちこっちに飛ばされて出世していきます。
■自分の成長を感じずにはいられない引っ越し
自分の成長は日々過ごしていると気づかないものですが、こうして引っ越しをするたびに振り返ると、実感そして達成感を得ていました。引っ越しして次の場所に移るとき。これまで過ごした場所から離れる寂しい思いもあれば、「もう次の場所に行かなくちゃ」という思いもあって、自分自身を認めざるを得なかったのかもしれません。
神奈川県の高校を卒業して石川県の地方医科大学へ。大学医学部を卒業して、研修医。大学医局の意向で、関連病院へ出向。
大学医局にいれば、いざとなれば上司、先輩や同僚に助けてもらえます。関連病院は3人の小児科医しかいない場所で、産科もあるのに当直を回さないといけない病院だったり、1人医長の病院などなど、医局の意思を育てる戦略なのか関連病院を増やす戦略なのか、色々な病院にそれこそ飛ばされてきました。
引っ越しの荷物をまとめながら、この病院ではあんな患者さんがいたなあ。それにしてもインフルエンザも流行して元日の小児科診療、1日で210人ハンパなかったなぁ。よくも悪くも、この病院は乗り切っただけだったなぁ。
いろんな思いがあるものです。
■引越しをするたびに立場が変わっていくこと
その中でも、『成長したなあ…と感じた出来事』は、次は◎◎病院小児科で常勤勤務だよと医局長から任されたときです。
若手医師が自分の部下となり、勤務をしてから気づきました。指導医として責任のある仕事。勤務する病院が変わり、立場が変わると私も変わるしかありません。そして若手医師が入れ替わるたびに、接し方を学び、また彼らが今後専門にして学びたいことを学びもしくは学びなおしました。
今まで先輩から教わって来てばかりだったことを指導する立場になる。ただ医師も大人ですから、全部教えればいいというわけではありません。
「先生、腹痛の患者さんなんですけれど、腹痛はあるんですけど下痢も嘔吐もありません。胃腸炎だと思うんですが・・。ただ、痛がり方がハンパないんです。一緒に診てくれませんか?」
「わかったよ。じゃあ診ようか。なるほど・・。確かにだいぶ痛がっているね。何が考えられる?」
「胃腸炎がやはり考えられるので浣腸しますか?」
「いや。急性腹症を疑っているなら、腹部所見がそれに合うかどうかだよ。それにパンツの中や靴下を脱がせてみたのかい?」
「腹部は柔らかいです。圧痛ではないようです。パンツは・・ヘルニアと精巣捻転ではないようです。靴下は・・あっ。紫斑があります」
「そうか。じゃあ、あとは任せたよ」
とにかくいろいろな医師がいます。
(何度言っても変わらないなら、こちらが変わるしかないか。こんなの若いころの私を見ているようだな)
と思った若手医師もいました。
そんな経験をしながらここまでやってきました。
出会いと別れ。
思えば遠くに来たものです。引っ越しをするたびに思いました。『成長したなあ…と感じた出来事』は、私にとっては引っ越しそのものです。