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ぼんやりとしたアセク自認

アセクシャルと友情結婚はよく結び付けられる要素だけど
友情結婚ってアセク同士でもそれぞれ恋愛指向も違うかもしれないし、そもそもアセクという共通点だけで一緒に生活するなんて途方もなく難しい
アセクとそれ以外のセクシャルだとさらに難しいんじゃないか
実現可能性としてはかなり低い気がする

食事の場面などで恋愛の話題が出ると信じられないほどずけずけとプライバシーに踏み込んだ質問が飛び交うけど
そのたびに
「私はこの人たちのことを好きだけど、COはできないだろうな」と思うし
「この世界には異性愛者しかいないと思っているんだろうな」と思う
例の如く軒並みうまく乗り切れていない、乗り切れる気がしない
言葉に詰まったとき助けの手を差し伸べてくれる人にうっかりときめきを感じてしまうこともしばしばある

信頼とか、人間性がどうとか、そういうのとは少し違って
自分がやはり少数者であり、社会の異分子であることに目を向ければなければならない苦しさを、何かにつけて責任転嫁しているだけなんだろうな

少子化に対して貢献できないことに後ろめたさを感じるなんてことはあまりないんだけど
優先させるべきは少数派の、まして物理的にも、意味的にも何も生まない私みたいなものよりも
いのちをつなぐことができる多数派だろうという僻目が私の思考を阻み、まわりまわって自分自身を傷つけるなんてことはよくある
自分がアセクシャルであることに存在としての空虚さを感じる
自己へ向き合うということは、本当に終わりのない営みだね

ぜんぶ諦めてこの世界で生き抜いたら
私が骨になった後に生まれた命がまた苦しい思いをする
少数者であるということはそういうこと
責任を追及してるのではなくてただ私は、わたしは

たまに「彼氏彼女がアセクで、ノンセクで、どう向き合えばいいか分からない、理解できないのが辛いし、自分を受け入れてもらえていない気がする」みたいな声を聞いたとき「私だったら分かるのに」と思うことがあるけど
それってあまり健全じゃないかも
その人たちは性的指向以外の他の部分がぴったり合って同盟を組んだのだから
それでも結局、アセクやノンセクとヘテロが交際するのは難しいんだって思うとやるせないね
性的指向とその他の要素にはかなり大きな隔たりがある感じ
心が生きるってかいて性と読ませるんだもんねえ
ヒトの生に直結するからこそ根深い
神様にはいっそもう少し、ヘテロとその他の比率を均して欲しかったな
そうなるととっくの昔に人間は絶滅して、私が生まれることもなかったのかもしれないと思うとやっぱり難しい

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