続 青臭い女と擦れた男の話 13
長い話が辿り着いた先は安堵か苦行か!儚い命と向き合うNo1
真矢との再会
真矢は喫茶店で会うことを求めてきた。店内は空席が多く、真矢が込み入った話にこの場所を選んだ理由が、直也には何となく理解できた。
少し離れたテーブルで、カップルと思しき2人が大きなパフェを仲良くつついていた。
カップを握る真矢の手が心なしか震えていた。
直也は軽食を勧めたが、真矢はコーヒーを注文しただけだった。
直也の知っているマンションから引っ越したため、新しい住まいに、直也を招くのは違う様な気がしたという。
確かに招待されても困る訳で頷きながらも、さっき突然気付いたことを
口にした。
「計算上おかしいよね。僕たちが関係を絶って2年近くになるよね。君のお腹に僕の赤ちゃんがいるわけがない」
電話を受けた時は頭が真っ白になり、そこまで考える余裕がなかったのだ。
真矢は暫く無言で俯いていたが、胎児でも乳児でもなく生後一年過ぎの幼児だと電話での曖昧さを詫びた。
又、直也は顔面蒼白になる羽目になった。
(もう産まれている?、やはり俺の子?)
真矢は、息を吐き体勢を整えてから、改めてぽつぽつと今までの事を語りだした。
真矢の妊娠とその相手
2年程前、直也から関係を解消すると言われた時、真矢のお腹には新しい生命が宿っていた。否、厳密には直也と出会う前からだった。
胎児は妻帯者である男性A氏の子であった。A氏とは世間に広く知られている政治家だった。
常日頃、A氏は妻との間に子供の居ないことを嘆いていた。
A氏は真矢に対して常に優しく、全てが真矢優先で我儘は何でも受け入れてくれた。
2年程幸せな日々を謳歌していた真矢に、いつの頃からか体調に異変が起きるようになった。眩暈に襲われることもあれば、腰痛や腹痛、嘔気、睡眠不足でもないのに日中睡魔に襲われることもあった。そして何より月の物が来なくなって久しいのだ。元々、不定期な周期だったので然程気にはしていなかったが、一度診てもらうべきかなと重い腰を上げた。
「おめでとうございますと言っても良いのかな?妊娠ですよ」
(以前の病気が再発したのかな)と心配していただけに一応安堵したが、妊娠の方が一大事だった。じわじわと喜びが湧き出てきて顔に出すまいと必死だった。
小さな産科医で身籠っていることを告げられた真矢は、乱舞するほどの気持ちでA氏に連絡した。然し、期待した反応は得られず無言のまま電話は切れた。
3日後、対応の連絡を寄こしたのは秘書だった。
「本日お手隙の時間はございますか?よろしければご自宅にお伺いいたします」
ご自宅などと立派なものではない、どこにでもあるマンションの高層階だ。
確かに賃料は高いが立地的に仕方のないことであろう。
真矢は、インターホンの音に立ち上がった。エントランスからのモニターに映し出されたのは、男性秘書と連れの女性のみだった。
秘書は鞄から、一枚の写真をテーブルの上に無言で差し出した。
笑顔の直也と真矢が、スタンディングバー[BULU]で並んでいる写真だ。ピンクのカクテルも映っている
「先生の、これからの事を思うなら全てを諦めてください。もう二度と会わないとも約束してください」
分厚い封筒を真矢の部屋のテーブルに置き静かに退去した秘書は、以降二度と現れることは無かった。この時A氏は真矢専用の連絡用番号を解約していた。
その前夜ーーー
直也が、BURUで真矢と初めて出会ったのは、奇しくも、A氏が真矢との不倫をスキャンダル紙に掲載されそうになった挙句、真矢から不穏な電話を受けた翌日だった。
丸1日A氏から連絡がなく、不安と苛立ちに耐え切れずBURUを訪れた真矢。真矢は近くの椅子を引き寄せ腰掛けていた。偶然、友人と別れた後1人でふらっと入って来た、立ち飲みの直也と軽く挨拶を交わしただけだった。
カメラが二人を狙っているとも知らず、直也は笑顔で真矢に声をかけた。真矢の前にはノンアルコールのピンクのカクテルが置かれていた。
A氏の卑怯な仕打ちに真矢は、激しい憤りを覚え、訴訟も考えた。
中絶するには既に遅すぎる週に達していた。医師から堕胎すると死産届の提出が必要ですと言われた。
空虚な時間だけが過ぎ、混乱したまま、またBURUを訪れるようになった真矢。直也との再会、そして交際が始まる。
直也と真矢は3週間ほどしか交際していない。そして、寂しさから数回ではあるがお互いを求めた事もある。然し不自然に身を庇う仕草を見せる真央を不思議に思う直也、二人は部屋で寛ぐだけの関係を続けていた。
そうしてある日突然、直也から別れを切りだされた。直也の事情を訊きもせず、真矢もまた、重要なことは何も語らず別れた。行きずりの相手だとも自覚していた。
1人になり、自分の軽挙妄動に情けなくなり意気消沈した日々を送る真矢の耳に、エコーで確認したまだ異生物のような小さな命の声が届いた。
「ママ、元気出して!私がここにいるよ」
真矢が選んだのはシングルマザーの道だった。
これからは強く正しく有らねばと、触ることのできない小さな命に誓った。
周囲の憐憫の的になるのは良しとしなかったので、知人のいない場所に居を移した。
授かった命と消えゆく命
真矢は、出産後も暫くは、育児と仕事を両立して激務ながらも充実した日々を過ごしていた。然し今年になって又、身体に異変を感じるようになり、真矢の子心菜を出産した産科医に相談した。
総合病院に紹介状を書いて貰い、様々な検査の後グレードⅣの悪性腫瘍の疑いが発覚した。
悪性腫瘍の中でも特に難病とされる病巣が真矢の身体を蝕んでいた。
残酷な脳神経外科医は淡々と
「もう一度、脊髄の検査若しくは、開頭して組織を調べる必要がありますが、現在の腫瘍は手術不能な場所に存在するようです。気になる事があるのですが、脊髄の腫瘍除去でもうちの病院を利用されていますね。その後は良好でしたか?」
そういえば、脊髄の腫瘍を除去し寛解後、A氏と出会ったのだ。蜜月を過ごしすぎて、遠い昔のような気がしていた。当時の担当医師は外国で研修しているらしい。
(心菜を授かった時の体の変調も、もしかしたら予兆だった?)
両親は早くに亡くなり、身内と呼べるのは心菜だけだったから、仮に手術できるとしても、心菜をどこに預ければ良いか見当もつかなかった。
更に医師は付け加えた
「残酷なようですが、一年先が見えない病気の疑いが濃厚です。早ければ数か月かもしれないので、早めの入院検査及び加療をお勧めします」
身元引受人も親族もいない私は、全ての事実を自分で聞くしかなかった。
自宅に戻った真矢は、暫くは、何も考えられず苦痛に耐えながらも愛おしい心菜に癒される日々を送っていた。
ある日背中の痛みが和らいでいる時、はたと
(私がこの世から消えてしまったら、この子は、どうなるの?)
と思い至った。
軽蔑されることは承知の上で、A氏の秘書に泣きついてみようと思い立った。
「おかけになった電話番号は現在使われておりません。番号をお確かめ・・・・・・・・」
秘書まで、私を拒否するのかと悲しくなった。
真矢は心菜との生活に追われ週刊誌さえ読んでいなかったので、何も知らなかった。
A氏はあの後、別の女性とのスキャンダルを報じられ、政界を追われていた。配偶者を入れるとなんと3人の女性を手玉に取っていたことになる。
しかも、自宅には2人の子供までいた。
後日、職場の知人にそれとなく訊ねて分かった話だ。
勿論、心菜の父親などと口が裂けても言えなかった。
今更、裁判などしてもこの命がある内に決着がつくとも思えなかった。
何より、それだけの気力も体力も持ち合わせていなかった。
数日後、詳しい説明はせず病気を理由に退職届を会社に提出した。
「長期休暇申請でも、お受けできますよ」と言ってくれたが、
(命が消える可能性のほうが大きいのに復帰はあり得ない)と思いながら丁寧に辞退した。
途方に暮れた真矢は、お門違いは承知の上で直也に連絡することを思い立った。
初めの構想は直也の子と言う前提で話してみようと電話したが、こうして
会って話を進める上で、嘘は直也にも心菜に対しても決して得策ではないと、真実を話すに至った。
こうして、直也と向き合っている間も、頭痛が容赦なく真矢を襲っていた。
きっと腫瘍が大きく育っているのだろう。外科医の無情な言葉が痛みと交錯するように襲ってくる。いつまで正常な判断ができるのだろう。
真矢は(もう、聞いて貰うだけでも良い)と思っていた。真矢の人生のほんの数頁を彩っただけの直也に、心菜を育ててくれとは、口が裂けてもお願いできる筈もなかった。
心菜はどこかの施設で育つことになるのだろうなと漠然と思った。
(生んでしまってごめんなさい。私の悪行の付けが心菜に回るなんて耐えられない)
はらはらと涙を流す真矢の肩にそっと手を置く直也だった。
真矢のカップには、コーヒーが殆ど残ったままだった。