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「てっぺんテンコ! 第5回」

てっぺんテンコ! 第5回
 
 順次忙しく仕事をこなしていった水曜の夜。ライターとの打ち合わせの後で、二人で食事をした。それから、時間が遅いにもかかわらず、音楽を楽しめるBARで、軽く飲み、ずいぶんいい気分になった。自宅に帰ってきたのは、すでに午前1時近くになっていた。フラフラになりながらも、一応メールをチェックしようとパソコンをつける。ここのところテンコからの返信が来ないのも、さほど気にならなくなっていた。“もう、会えないのかも……”というあきらめの感覚も漂っていた。僕も仕事のスケジュールがぎっしり詰まっていた。何度もの夜の打ち合わせ、その後の懇親会。そんな感じでみっちりと予定を入れることで、テンコのことを頭の中から追い出そうとしていたのかもしれない。メールのチェックは、仕事上の連絡の確認でもある。だから、メール確認は、どんなに酔っていても自然の行為であった。
 昨夜から五十通以上のメールが届いていた。一覧を見ると、『土曜日に……』という件名のものがあった。ピンと来た。いち早く、それを開けてみたかったが、今日は意識して新しいものから開いていった。肝心なメールのところにきた。素早くクリックしてそれを開く。そこには、こう書いてあった。
 
菊地くん。返信遅くなってゴメン! Tencoだよ。
土曜日、ぜひ会いたいです。
今度は私が場所を決めるね。でも、今考えているところなんだ。
どこがいいかな? 今度は、ランチをしてからゆっくりして、そのまま飲みに行こう。
それで、いいですか?
一応、返信をもらえると嬉しいです。ヨロシクです!
 
 お得意の“Bye!”はなかった。気になる。僕は、急に慌て始めた。酔った気分が醒め、まじまじとメールの受信時間を見る。八時三十八分。もう曜日をまたいでいる。心がざわめく。
僕はすぐにキーボードに向かった。
 
返信遅くなってゴメン! 僕も、会いたいです。
どこに行くのかが、決まったらすぐにメールください。
返事、待ってます。
                    菊地
 
とだけ、打ち込んで、メールを送信した。もう午前一時すぎ。心の中で、ため息をついた。それと共に、酔いが再び戻り、不安より幸せな感覚が、心の中に満ち始めた。また、テンコに会える。今まで不明だった彼女の二十年近くのことが判るかもしれない。そう思うと、無性にまた飲みたくなった。調子にのって、とっておきの三十年もののモルトを、開けることにした。その、濃い色で甘く華やかな香りのモルトをちびり、ちびりとやりながら、僕は色んなことを夢想した。僕は何を話せばいいのかな……。話すような大きな出来事は? こうやって時を過ごすのは楽しいことだ。知らぬ間に、三杯目のモルトがグラスに注がれていて、しまいにはウトウトし始めた。外から静かな雨音が室内に入ってきた。屋根や葉っぱ、土やアルファルト……いろんな場所に落ちる雨粒の、それぞれ異なった音が僕は好きだ。
今は雨音が、暖かく優しく僕を包んでくれているようだった――。
 
 翌日、木曜日。出かけの取材が二本あり、朝一瞬だけテーブルに向かってコーヒーを飲んでから、すぐに出かける。カメラマンと待ち合わせをして、二カ所を回り、ある業界の有名人に話を聞いて、撮影をする。ランチもゆっくり取らないまま、すぐに午後七時を過ぎた。さすがに、三時間近くにも及ぶ、取材を二本もこなすと、けっこう忙しく、それなりに緊張するので精神的にも疲れる。そして、今回はライターを立てていないので、できるだけ早くICレコーダーから文章を自分でまとめなければならないのだ。締め切りは来週の頭。夕食はカメラマンと中華屋でビールと共にチャーハンとギョーザで済ませた。僕はあまりビールが得意ではないが、こういった大変な仕事の後の一杯は、格別のものといえる。せっかくの特別な時といえるが、短時間で済ませ、その後は飲みにも行かずに、そのまま自宅に帰りついた。
自宅に入ると、すぐに、お湯を沸かし、コーヒーを入れ、CDを選ぶ。今夜は、少し潤いのあるクラシック、モーツァルトのチェロ曲を選んで、スタートさせた。すぐにパソコンに向かい、メールをチェックする。届いていたメールは、いつものように、さほどたいした意味を持たない仕事上の連絡事項と、セールスばかりだ。テンコからのメールは来ていなかった。予想通りだな、と自分を納得させた。
 ソファーに座り、チェロの心地よい音を楽しみながら、ゆっくりとコーヒーを飲み、その後さっそくイヤホンを付けて、今日の取材メモと共にICレコーダーを聞き、文章を構成する準備をし始めた。もう慣れているものの、四ページ分のラフの文章を作り上げるだけで三時間近くもかかってしまう。夢中になって取り組んでいたら、すでに十一時三十分を回っていた。土曜日のことを考えると、もう少し仕事を進めておきたかったが、さすがに疲れてきた。もう一度メールをチェックしたが、受信メールはゼロだった。パソコンを落とし、椅子の上で背伸びをし、固まった体をほぐす。
 パソコンの元を離れ、大きめのグラスに昨日開けたばかりの赤ワインを注いで、ソファーにへたり込む。一口飲むと、急にテンコのことを思い出し始めた。そしていきなり行動に出た。ベッドルームにある本棚の奥にしまい込んである中学時代の卒業アルバムを探し出そうと思いついたのだ。目指す藍色のカバーのアルバムは意外なほど容易に見つけ出すことができた。そしてダイニングに持ってきて、テーブルの上に置いて、ゆっくりと開く。
中学のときは忙しくも、辛いことが多かったように思っていたものの、今考えると、僕は自分の好きなことばかりをしていた気がする。自分のクラス、三年三組のページを開くと、懐かしい顔が次々に目に入ってくる。夏の同級会に来ていた友人たちの現在の顔を思い出し、写真と比較してみるのも楽しい。だが、こんな奴もいたのかな? と思ってしまうこともままある。記憶なんて曖昧なものだ。
 そして、女子の方を見ていく。そこには、卒業直前から付き合っていたヒトミもいる。急激に、想い出が甦ってくる。彼女の斜めに下にテンコの顔があった。その表情は、嬉しそうに一際輝きながらやや首を傾げたまま微笑んでいる。モノクロームのテンコの表情が懐かしい。僕の記憶も、何となく次第に天然色ではなく、セピアやモノクロームになってきていた。彼女の楽しそうな顔をじっと見つめて、今の彼女のことを思いやった。
 しばらく、写真を見つめ続けて、感慨にふけりながら寄せ書きコーナーに移る。僕のコメントは、とても恥ずかしいものだった。当時、ロックと共にSF小説や映画、そしてUFOといった空想世界にはまっていた僕は、【地球空洞説】というものに凝っていた。そのことを信じる! と書かれていたのだ。当時は本気で、学者になって探検をしてやろうと考えていたことを思い出した。本当に若造だったな……と思いながら、一人ずつのコメントを呼んでいくと、細い丸文字でテンコのコメントにすぐ気付いた。“QUEENに会って直接話しをしたい! 特にブライアン・メイ!”といった僕と比べても当時としてはかなりぶっ飛んだものだった。僕はつい声を出して笑ってしまった。
 これ以上の、傑作はこの写真集の寄せ書きにはなかっただろう。そうか、テンコはこんなことを書いていたのか……ある意味感動を覚える。と、同時にテンコに再び会うことが楽しみになってきた。さあて、どんな話が飛び出してくるのか……この時は気楽に思いを馳せていた。
 
 次の日、仕事を終えて帰ってくると、何よりもまずパソコンに向かった。もちろんテンコからのメールが来ているという期待感からだ。目的のメールは、すぐに見つかった。件名は『土曜日!』。彼女らしい、そう思った僕はすぐにメールを開いた。意外にも彼女は、“東京タワー”を指定してきた。土曜の十一時半に東京タワーの入り口のところで会いたい、とのこと。ふと、僕は考えた。確かに今、ある種、昭和ブームである。そして、僕たちも、今となっては昭和の懐かしい時代に生きてきた。だが、わざわざ東京タワーとは……。少し前に流行った小説でもあるまいに、今なら六本木でも表参道でも、はたまた、少し俗っぽいが、新宿や渋谷、秋葉原でもいいだろう。しかし、あまりに懐かしい東京タワーとは……。
 僕は彼女が何を考えて指定してきたのか、理解できなかった。しかし、僕がこの前組んだスケジュール、神保町から九段下、武道館というルートから比べると、デートと考えると、ずっとノーマルといっていいかもしれない。そう思うと、今度は、もう十年以上行ったことがない東京タワーに想いを馳せた。次第に大展望台に上り、東京を見渡したい気分になってくる。僕はそんな想像に浸りながら、少し考えた上で返信を打ち込んだ。
 
Tencoさんへ
東京タワーか。懐かしいですね。
僕は久しく行ってないけど、君はどうなのかな?
ぜひ、てっぺんの特別展望台まで行きましょう!
十一時半、OKです。最寄の駅、三田の駅で待ち合わせましょう。
いい天気だといいですね。
早く土曜日が来てほしいな。楽しみにしています。
じゃあ、土曜に。
                          菊地
 
こう返信を入れた。頭の中は、すでに赤く染まった東京タワーでいっぱいとなっていた。そして、展望台から眺める東京の景色を楽しく空想した。
 
 土曜の朝、僕はいつもより、早めに目が覚めた。珍しく、夢を見ていない。まるで小学校の時の遠足や旅行に行く朝のように、楽しみでいっぱい寝ているのさえもったいない、といった気分であった。こんなことは本当に久しぶりだ。今日テンコの会うことが、どれだけ大きな事なのか……。目は覚めたものの、ベッドの中で、今日起きる出来事への期待感と不安感が入り混じって、動くことさえもったいない気分であった。
 こんなことをしている間に、またウトウトし始め、瞼が下っていく。そして、再び夢を見た。
――テンコと東京タワーを歩いて登る夢だった。僕は途中で息が上がり、ヘトヘトになってしまい、彼女から手を引っ張ってもらっている。“君は昔からダメだね……”そう言われると、僕は悲しくなってしまい、その場にへたり込んでしまう。彼女は思いっきり力を込めて、僕を引っ張り上げて、一度顔を背け、そしていきなり振り向いた。その顔は、見たこともなく醜くブクブクとしている。大きく裂けた口からは血が滴っていた。僕は“ギャッ!”と叫び、転がるように階段を降りる。数十段降りたところで、足を踏み外し、真っ逆さまに何十メートルもの高さを転がり落ちていく。ドサッというよくある感覚で現実の世界に舞い戻った――
まただ、という頭の中いっぱいになっていた。
 
 少しだけ開けたままにしていた窓から、涼しい風と小鳥の声が聞こえている。僕のパジャマはまた汗でじっとりとしていた。思わず額に手をやると、考えていたよりずっと汗で濡れている。そのままじっとしてから、目をギュッと閉じて、再び目を開けると、外からは自然の音以外はしなく、しんと静まり返っていた。胸がドキドキと高鳴っている。しばらくして、その高鳴りが納まってきたところで、目を再びゆっくりと開ける。まだ、六時半を回ったばかり。一度目覚めてからそんなに時が経っていない。こんな時間なのに夏のような鋭い太陽光が、窓の隙間から部屋に入り込んでいた。僕はその光の筋をみて、おもむろに起き上がり、パジャマの上着とTシャツをパッと脱ぎ捨て、着替えをした。そして、もう一度ベッドに戻る。妙に眠い。また悪夢を見るかもしれない、と思いつつも、再三の眠気に瞳は翳んでいった。すぐに、夢の世界を訪れることになった。
 次に起きた時は、ずいぶん気分がすっきりして、目覚めることができた。今度は夢を見ていないようだ。習慣的に時計を見る。すでに八時を回って、部屋の中には太陽光が充満していた。部屋の中はムンとした暑さが漂っている。また汗をかいたが、気持ちはよい。暑さが心地よく、すぐに起き上がり、シャワーを浴びることにした。頭をスッキリさせて、これからの大切な行事に向かわなければならない。冷たいシャワーは心と頭を引き締めてくれた。
 シャワーを浴びてから、いつものようにすぐにコーヒーを入れる。そして気持ちに合った八〇年代のユーロポップスをCDにセットし、音楽を流し始める。軽やかで明るい、そしてやや無機質な女性ヴォーカルが部屋を満たした。
 ゆったりとしながら朝食を食べ。悪夢などすっかりと忘れ去ってしまおうとした。腹を満たして、すっかり元気になった僕は今日のスケジュールを確認する。メールのやり取りで、今日の待ち合わせは三田駅。それから近くでランチを食べるか、先に東京タワーに昇かは、なりゆきに任せることになっていた。それだけが決まっているスケジュールのすべてだった。(第6回最終話に続く)

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