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「てっぺんテンコ! 第3回」
てっぺんテンコ! 第3回
僕の朝は、いつも決まっている。一杯のコーヒーとパンを一個食べて出かける。しかし、今日は、休日である。しかもいつもと比べて、結構時間が遅い。そのため、ゆっくりと時を過ごすこともできる。だが、テンコからのメールが気になってしかたがない。昨夜、返信をしてないのだ。そのままじゃ、また、それっきりになってしまうかもしれない、という不安がよぎった。
だが、腹もすいていた。湯を沸かし、ペーパーフィルターで、コーヒー、モカブレンドをペーパーフィルターで落とし、パンをオーブンで軽く温める。今日のパンは、昨日の夜に買っておいた、バターの良く効いたお気に入りのクロワッサンだ。そして、テーブルに着き、クロワッサンを頬張る。もう、すぐにお昼になりそうな時間なので、ヨーグルトも食べることにした。騒がしいテレビは付けずに、一九八〇年代のアコースティックなしっとりしたブリティッシュポップロックのCDを掛ける。やや柔らかく温かい音がLINNのスピーカーから流れ出した。そういえば、田舎から梨も送られてきたことも思い出し、それもいただくことにした。切って、皿に並べると、季節を感じられ、なんとなく嬉しい。ゆったりと流れたくつろぎの時間が過ぎ去った。
目の前のバルコニーの大きな窓からは遠くが見渡せ、近くの公園の緑が少しだけ揺れている。すでに高い位置にある太陽は、生命を漲らせながら部屋に強く入り込んでいた。
久しぶりに取れた連休と、テーブルに並べられた食べ物たち。それだけでも、いつもと違う幸せを感じられる。僕も歳を取ったのかな、とも思ってしまう。しかし、もっとも幸せをもたらしてくれたのは、テンコとの再会とメールである。部屋の片隅に置いてあるパソコンが時には気にはなっていたが、急ぐことはない……と心に思いながら。ゆっくりとブランチを取る。
休暇を満喫するように、パンなどを食べ、コーヒーを二杯も飲んだ。それで、一時間半以上は過ごし、すでに正午が迫っていた。七十分くらいのCDが終わるのをきっかけにして、幸せなブランチを終えた。
片づけをする時になると、またテンコの昨夜のメールが頭の中に浮かび上がってきた。さあきっぱり、返信を書くか! と思いながら、食器類を洗い終え、別の机に置いてあるパソコンを立ち上げた。立ち上がる前に、音楽をチェンジした。一九七〇年代前半に流行った軽快なフレンチポップスだ。ソファーに一度座って、一曲だけを感慨深く聴き、それから移動してパソコンのメーラーをチェックした。そして、送受信をする。また三件ほど新しいメールが入っていたが、どれも個人宛ではなく、情報サイトからの知らせであった。一応それをチェックしてから、昨夜のテンコからのメールを再度確認した。
そこに書いてある文字を一つ一つ見てから、返信ボタンをクリックする。さて、どうしよう――。そう思いながら少しだけドキドキし、キーボードに向かった。部屋は、バラード調のフレンチポップスに満たされている。この曲を聴くと、当時のことを思い出す。レコードの三十センチのジャケット、盤を傷つけないように大切に扱いながら針を落とし、一生懸命に何度も繰り返し音楽を聴いた……。その記憶は、眩いばかりの光と影を伴いながら、今でも心の中に強く残っている。純粋な気持ちで音楽を聴けたのは、大学生時代まで。そうレコードの時代までで、CDに変ってそんな気持ちはなくなってしまったような気がしてならない。
“テンコさんへ”。昔の手紙とは異なり、キーボードを打って文章がスタートした。日ごろ文章を書き慣れているので、すぐに書き終えるはすだった。途中まではスラスラと進んだが、これからどうしたいのか、という僕の意思がまだ決まっていない。でも、ただもう一度だけでも会いたい、という気持ちが強かった。そう意識すると、後の文章もなんとか進んだ。あまり長くならないようにして、最後にこう書いた。“久しぶりにゆっくりと会いたいです。よかったら携帯に電話をください。いつでもいいです。待ってます”と。
送信ボタンをクリックすると、すぐにメールが送られた。その作業を終えた後は、何もやる気がしなくなり、すぐにパソコンの電源を落とした。ふと窓を見る。外はいっぱいに広がった青々とした空が広がっていた。大きく背伸びをして、深呼吸をする。これから公園に散歩でも行こうか。部屋にいても、メールや携帯の着信が気になってしまう。ゆったり、銀塩フィルム式のアナログカメラでも持って歩いた方が、精神も安らぐはずだ。その考えがあっと言う間に頭の中で大きくなり、すぐに外に出ることにした。
休日の昼下がり。初秋の澄んだ空気が僕を包み込む。都心からけっこう離れている郊外のこの地は、緑がかなり多く、歩いて五分ほどの距離に、大きな公園がある。公園は広い敷地にもかかわらず、あまり手の込んだ整備は施されていなく堅苦しくないところが気に入っている。もちろん無料で入ることが可能なのだ。歩く途中にも、落ち葉があったり、わずかに色付いた木々が、日本の秋を感じさせてくれる。朝方の気がかのあった時から、放たれた開放感が心地よい。携帯も部屋に置いてきていたことに気付いた。その思いも青空と澄んだ空気にかき消された。今はそれでいい――。そんな気がし、細かい考えを追いやった。
ゆっくり周りの景色を見ながら、歩くことは大好きな行為だ。心が透明感に満たされながら、いつの間にか公園の入り口まで来ていた。親子連れ、初老のカップル、気持ちよさそうに走る犬のリードを持つ子供……いくつもの人影が入り口に向かっていた。彼らと同じように僕も公園に入っていった。
土曜ということもあり、公園はたくさんの人たちがいる。僕はベンチに腰掛けてぼんやりと、通り過ぎていく人たちを眺めた。やはりカップルが多い。高校を卒業し、大学に入り、そして就職、転職をして、その間、何人かの女性と付き合ったが、やはりこのように公園に遊びに来たことが多かったことを思い出す。しかし、テンコとは、そんなデートの思い出すらない。それにもかかわらず、なぜこんなにも心にひっかかっているのだろう。自分でも良く判らない。何かがくすぶっていたのか、よほど彼女の笑顔と大きな瞳が印象的だったのかもしれない。何かを彼女としたかったのか。かえってしっかりとした想い出があれば、忘れることができたのかもしれない……。そう考えると、少しだけ納得できた。
暖かな日差しを、全身に受け、ほんの少し、黄色に染まった木々が、時折風に吹かれる――こんな公園の中は居心地がよい空間だ。行きかう人たちと、たくさんの様々な種の犬たち。この姿を見ているだけで、心が穏やかになり、時間を忘れてしまう。
さてと、戻るろうか……そう思って立ち上がるとすでに太陽が西に大きく傾きかけていた。腕時計で確認をすると、もう午後四時に近い。急に携帯を持ってこなかったことを後悔した。未だに人々が多い公園を抜け出して、帰途に着く。来る時はゆったりと景色を見ながら歩いて来たのだが、今度はわき目もふらずに、小走りに細い閑静な町並みの路地を移動した。
自宅の玄関の前に立った時は、息が切れてけっこうな汗もかいていた。急いで鍵を探ったが、なかなか見つからない。すべてのポケットを探る。鍵を公園に忘れてきてしまったのか、焦った瞬間、ジーンズのポケットの奥で指に金属の物体が当たった。まさにその時近所の小さな女の子が、通り過ぎ、元気に挨拶をしてくれた。僕はそれにより緊張感が解け、彼女に明るい声で挨拶をして、ゆっくりと鍵を取り出して、玄関のドアを開けた。そして、ドアを閉めるなり、慌ててリビングに入った。
ともかく携帯をチェックしようと思ったが、また探し出すはめになった。充電器の上にはなく、見渡すと、サイドテーブルの上にポンと乗っかっていた。持って行こうとして、無意識にここに置いたのだろう。鍵を置き、携帯を開く。そこには“着信あり”のメッセージがあった。すぐに番号を確認すると、045から始まる番号が表示された。たぶんテンコだ。と直感したが、確証はない。とりあえず、メッセージがないか、確認をする。あった。すぐに再生。
「菊地くん……」とだけ声がし、それで切れた。その声の主は間違いない、テンコの声であった。メッセージが吹き込まれたのは、三時二十分。もう一時間も前だ。確認を終えると、急に冷静になった。すぐにコールバックすべきなのか? いつもならすぐに行動を起こしただろう。しかし、この時ばかりは、どうしたものか、考え込んでしまった。まだ、本当に会うべきなのか、正直なところ迷っていた。一応この番号が、彼女のものなのかを、先日届いたメールで確認することにした。
電話番号は、確かに彼女の自宅のものだった。さて、どうする……。頭の中が混乱してきた。だが、今回はその混乱がすぐに解けた。すぐに電話しよう。そう決めた。携帯に残された番号に、すぐさまリダイヤルする。呼び出し音が、一回、二回、三回と鳴る。しばらくしたら、カチャと音がして“はい、石沼です。今留守にしているので……”とメッセージが流れ始めた。そして、“メッセージをお願いします”と言ってから、“ピー”という発信音がした。“嶋田です”と言ったところで、ガチャという音がして「ああ、嶋田くん、ゴメン!」急にテンコの声がして、僕の頭の中が真っ白になった。僕は沈黙した。
「電話ありがとう! なんか嬉しい」そう彼女は話し始めた。
僕も何かを話そうとしているうちに立て続けに、「今度会ってくれる? いつがいい? こんな風に会うのは何年ぶりだろう。私、嬉しい!」テンコが一方的に喋る。僕は締りのない相槌を打つのが精一杯だった。
「いつがいい?」テンコが再び聞いてきた。僕は我に帰って、返答をする。「そうだね、次の土曜日なんかどうだい? 場所は、そうだな、考えておくよ」僕の声もはしゃいでいる。
「いいよ。じゃあ次の週末が近くなったら、もう一度、電話してくれる?」
「ああ、もちろん。もちろん」僕はさらに舞い上がっている。
「よかった。これから出かけるところだったの。楽しみにしているわ。じゃあ、また。必ず電話ちょうだいね!」
「うん。するよ」そう答えるやいなや、電話が切れた。
僕は緊張して、手にベッタリと汗をかいていた。またテンコに会える。それは久しぶりに心から嬉しい出来事であり、顔が急ににやけてきたのが判った。しばらくケータイを持ちながら、その場に、へたり込むように座り込んだ。
さて、どこで会おう……。冷静になるにつれて、頭の中がいっぱいになってくる。こんな時はとりあえず酒でも飲もう。祝杯だ! そう考えた。良い思いつきでもあり、今は考えごとを頭から追い出すための思いつきでもあった。
冷蔵庫を開け、青かびのチーズをひとかけ切って、そしてとって置きのイタリアの赤ワインのボトルを取り出した。ソムリエナイフで封を切り、コルクを抜く。ポンという音がして栓が開く。大きめのグラスに半分ほど注いで、一気に飲み干した。かなり喉が渇いていたのだろう。少しスパイシーな味と芳醇な香りが口の中に広がった。
そのまま、いろんなことを考えながら、休日の夕方になだれ込んだ。外からは、遠くに走る電車の音と、近所の子供たちの、元気に遊ぶ声が聞こえてくる。時折、聞いたことない声や犬の声もする。こんな、幸せに満ちた、ゆったりとした夕方を迎えるのも久しぶりであった。心の中がほっこりとした夕暮れを迎えた。
その日は時間をかけてワインを半分以上飲み、六時くらいには、もういい気分でソファーに横になったままウトウトした。何とか目を覚まし、フラフラのままベッドに潜り込んで寝てしまった。まるで、夢で見たあの夕方のように……。
そして、また夢を見た。
――僕が大学時代のものだった。いきなりテンコから電話が来る、そして“会いたい”と告げ、すぐに電話が切れた。僕はどうしたらいいのか判らず、テンコを探し、いろんなところに電話を入れる。もちろん携帯電話なんかない時代。そしてテンコは京都にいることを知る。すぐさまバイトをして貯めたお金を持ち出して、新幹線に乗り、京都に向かう。それから夢遊病者のように何日も何日も京都市内をさ迷い、彼女の姿を探しまくる。最後にたどり着いた哲学の道の小川のほとりで、彼女の横顔を見かける。川の向こう側だ。近くの橋を小走りに後姿を追っていく。神社の手前まで来ると、もう少しで手が届くようになった。手を伸ばすと、彼女の体は浮き上がり、神社の神殿の方向にスッと移動し、姿を消した。僕は思わず「テンコ!」と呼ぶ。一瞬雷が鳴り響き、「近いうちに会いましょう!」という叫びのような声がして、目の前の神殿が崩れ去る。僕は呆然と立ちすくむ。金木犀の香りを感じると共に、頭痛がして、しゃがみこんだ。そして意識が遠のいていく。それでもなお手を伸ばすと、柔らかいものに触れ、そのまま前屈みに倒れ込んだ――。
またいつもと同じように、ガクッという感覚をおぼえ、僕はとっさに目を覚ました。時々屋根の上のような何かから飛んだり、落ちたりした感覚のまま、目が覚めることがある。まるで魂だけがさ迷って、それが体に戻るかのようだ。
実際に起きたことのように、汗がベットリと出ていたが、あまりに生々しい夢のせいで、しばらく身動きができなくなっている。目を開け、じっと隙間から入り込む光や、天井に視線をやる……夢なのか、現実なのかさえも判断ができない状態になっていた。
目をうつろに動かしていると、ようやく現実に思考が戻ってきた。そう、夢の世界から今は現実の世界にいる。しばらくすると、寝返りも打てるようになった。しっかりとした映像シーンと彼女の表情が、目をつぶると脳裏に浮かぶ。これは希望の持てる夢なのか? 手を伸ばして枕元のカーテンを引いた。外からは眩しい太陽光が差し込み、白い壁に細い道を作る。
今日もゆったりできる休暇だったことをぼんやり思い出す。即座に、そろそろ起きなければ、という意識が沸きあがる。すでに午前十時前であった。ノロノロ起き上がると、体は意外なほど軽い。あの重々しい夢を見たにもかかわらず――。今日はテンコに電話をしなければならない、そんな気持ちが先走り、起きてテキパキと着替えをし、コーヒーを入れる。午後いちには、電話を入れようと意気込んでいた。
さあて、どこで会おう? これが一番の問題であった。マスコミ業界という仕事柄、僕は飲みものや、食べものへの執着は強い。それなりに美味しい店、そして小粋なバーなどは良く知っているつもりだ。だが、よくよく考えると、テンコがお酒を飲めるのかさえも僕は知らなかった。たしかにウイスキーの発表会での再会だったのだが、実際その時、テンコが飲んでいたかは、記憶にない。
どうしよう。どうしたらいいのか? まあ、夕方にでも会って、割とカジュアルなイタリアンでゆったりと……。なんて考えも浮かんだが、どうもいまいち、ぴんとこない。こんなに久しぶりに会うのだから感動や刺激が欲しい。じゃあ、どうする? 頭の中で、様々な考えがグルグル回り始めた。
こうなったら音楽でも聴くか、と差し迫った気分を変えようと思い、何百枚もズラリと並んだCDラックを眺める。今日は何か懐かしい一九七〇年代のロックを聴きたかった。一応分類されている段を眺めタイトルを確認する。ツェッペリン、パープル、キッス、エアロスミス、グランドファンク、ウイングス、レイナード・スキナード、オールマン・ブラザーズ・バンド、イエス、キンング・クリムゾン、ムーディ・ブルース、PFM、EL&P……今となっては、あまりに懐かしい、だが当時はレコードで真剣に聴きこんだバンドばかりだ。
そのまま目を動かすと“あっ”と閃いた。そうだ、往年の外タレロックバンドの来日コンサートのメッカ、『武道館』に行こう。そう思ったときにちょうど視線の先にクイーンのCDがあった。テンコとのつながりはもちろんロック。一度も一緒にライヴに行ったことはないが、彼女も東京に長くいるはずなので、何度もコンサートに行っているに違いない。そして、僕が始めて外国のバンドのライヴを観たのも武道館。あの時テンコがクイーンのライヴに行ったのも武道館だった。そこを基点として、スケジュールを組むことにした。
しかし、いきなり九段下というのはあまりに味気ない。僕が好きな神保町からスタートしようと思いつくと、その後は色々とアイデアが浮かんできた。十分ほどで、案が三つほど思い付き、紙に書き込む。そう三つのプラン……また、考える。その中からプランBを選んだ。御茶ノ水で待ち合わせるものだ。明治大学の前を通り、古書店と、レコード屋を見てから、ランチをして、そのまま歩くか地下鉄で九段下へ。そうして、武道館の周りをゆっくりと歩く。公園もある。ゆっくりとテンコの話しも聞きたい。あの高校三年の時に会ってから、今までのことを――。まるで、初めてのデートのようだな……そう思うと、とたんに笑いが出た。考えを巡らせているうちに、すでに午後一時を過ぎていた。
つい先ほどブランチのつもりで食事を済ませたものの、すでにお腹がすき始めていた。休日は、近くの洋食屋で食べることが多い。だが今日はやめにして、乾麺を茹でて、軽く食べることにした。今となっては軽快な感じがする七十年代のハードロックを聴きながら、ランチを素早く終えて、今日二回目のコーヒーを入れる。じっくりと楽しみたいところだが、電話を入れることが気になってしかたがない。さあてと……強い意志でケータイを取り、テンコのケータイ番号を入力した。しばらくの間があって呼び出し音がする。そして、一気に心拍数が上がってきた。四回、五回……、ああ出られないのかな、と思った瞬間「はい」と明るい声がした。僕も「菊地
です」とできるだけ明るい声で返答する。
「ああ、菊地くん! こんちは」そんな挨拶が終わらないうちに僕は「今度会う件なんだけど……」と。
「うん、うん」彼女は、すぐに用件を判ってくれ、声が何となくのってきている。
「御茶ノ水なんかどうかな?」
「えっ?」彼女は沈黙した。そしてすぐに笑い出す。
「なんか、菊地くんらしい。でも、そこで何をするの?」
「僕は神保町という街が好きなんだ。だから、古本屋とか、レトロな喫茶店とか……どうかな?」
「私も、昔はよく行ったわ。でも、何年もご無沙汰。菊地くんはよく行くの?」
テンコはすぐに反応した。
「東京に来てから、ずいぶん通ったよ。最近はたまにしか行かないけど、雰囲気は昔とあまり変らない。だから、好きなんだよ」
「私もあの昔ながらの感じが好き。なんか、でも行かなくなったなあ。歳を取ったせいかもね」
「まさか……それで、いいかい?」と僕は返事を即す。
「あはは、Good、Good。いいよ。じゃあ、どこで待ち合わせ?」
「JRの御茶ノ水駅。明治大学側の出口で。十一時でどうかな?」
「OK!」
「じゃあ、今度の土曜に。楽しみにしているよ」
「うん。私も……ちゃんと来てね」
「もちろん、行くさ」
「よかった、楽しみができて。ああ、週末が待ち遠しいな。今日は電話ありがとう。楽しみにしている。じゃあ、またね。Bye!」
最後は一方的に彼女が喋り、通話が切られた。ほっとしたせいか、またも急激に腹がへってきた。テンコとの会話には、どうもエネルギーが消費されるようだ。今日はもう出かけることもないだろう。まだ明るいけどワインでも飲むか。そう思い、昨日とは違う赤ワインを取り出してきた。手際よく、コルクに栓抜きを差し込む。“ポン”といういい音で開いた。大きめのワイングラスに、ワインを注ぐ。ポコポコというよい音がして、グラスが満たされていく。今日はオリーブと一緒に楽しむことにする。そんな時は、やっぱり音楽が必要だ。軽く聴けるフュージョンがお似合いだろう。クルセイダーズが聴きたくなった。
高校時代は、このフュージョンとかクロスオーバーというジャンルの音楽が大流行していた。もちろん僕はロックばかりであったが、同い年の友人に若いにもかかわらず、ジャズが好きなヤツがいて、時の音楽であるフュージョンやジャズも、よく聴かせてくれた。そんな中でも、僕がもっとも気に入ったのが、クルセイダーズとスパイロジャイラ、そしてグローバー・ワシントン・ジュニアといったところだった。これらの音楽は、ロックばかり聴いていた思い出とともに、今も心の中に残っている。いつ、どんな時に聴いても、昔愛した楽曲により、当時のいろいろな想い出が甦ってくるのだ。
今度はレコード棚を探し、三十センチ角のジャケットを見つけ出した。クルセイダーズの「ストリート・ライフ」。このレコードも本当によく聴いたな、と思う。何人かのヴォーカリストをフューチャーしたこのアルバムは、かっこつけに飲む時や、ゆっくり過ごす時、あるいは運転の時にダビングしたカセットテープで車の中で聴いていた。当時レコードは持っていなかった気がする。友達から借りて、カセットに落として何度も聴いていたに違いない。今手元にあるレコードは、大学の時に買ったものだ。CDも持っていたかもしれないが、今は無性にレコードが聴きたい。過去の思い出の記憶は、この三十センチのLP盤にノイズと共に記録されているのだ。
赤ワインをテーブルに持ってきて、さらにグラスに注ぐ。それから、アナログプレーヤーのターンテーブルにレコードを置き、そっとクリーニングをする。そして、静かに針を落とす。ブチッという音を立てて、スピーカーから軽いノイズとともに、リズムがスタートした。ランディ・クロフォードが歌う名曲中の名曲。頭の中は、学生時代の過ぎ去った出来事が、浮かんでは消え、また浮かんでは消えていった――。
外は、まさに秋晴れの青い空がまだ広がっていた。部屋の中にも気持ちのよい風が入り込み、去っていく。ゆったりと流れる音楽が奏でられ、空にも届いているような気がする。まるで、音楽と共に甦ってくる記憶のように……。そしてゆっくりと時間が過ぎていき、心も身体から離れ、過去に戻って今聴いている音楽を聴きまくっていた時代に遡っていった。それは、大学時代。テンコたちと会えなくなってからのことであった。
ザッ、ザッ、という懐かしい音で、僕の意識が、しっかりと固定されると、間の前に白いレースのカーテンが踊っていた。
知らない間に、ウトウトしてしまったようだ。その瞬間、レコードをかけていたアームが上がったのだが、ターンテーブルは回ったままだった。時間は飲み始めて一時間近くも経っていて、目の前のボトルのワインは半分ほどへっていた。部屋には気持ちのいい風が想い出と一緒に、辺りをグルグル回っていた。あまりにも心の中が満たされた休日を僕は満喫し、その気持ちを持ち続けながら、秋の一日が過ぎていった。(第4回に続く)
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