見出し画像

離婚道#15 第2章「大病・重病・後遺症」

第2章 離婚ずっと前

大病・重病・後遺症

 33歳から50歳――私が結婚生活を送った17年間は、人生の壮年期といえる。
 仕事をしていれば、最も働き盛りの時期だろう。離婚という事態になった時、もっと早くに軌道修正できなかったか――と何度も考えたが、どう考えても、早い段階で自分から離婚に踏み切ることはできなかった。できない事情が次々起こったのだ。
 入籍からわずか8カ月後。平成15(2003)年6月だった。
 雪之丞は、会員権を持つ千葉県内のカントリー倶楽部へゴルフに出かけた。雪之丞の唯一の趣味がゴルフで、月に3回程度の頻度で続けている。雪之丞はカントリー倶楽部の研修会メンバーで、いつも1人で予約し、研究会メンバーの空いているグループに入れてもらっているようだった。
 この日、雪之丞はひどく具合悪そうにゴルフから帰ってきた。午後の12番ホールのグリーン上で、大きくめまいがして、大地と空がグニャっとゆがんだという。
 一晩寝て、雪之丞は仕事へ向かった。ところが午前中のうちに帰ってきた。「ものがダブって見え、電話の相手が何を言っているのか理解できない」という。
 昼食に蕎麦を出したが、箸が思うように使えない。食べ方もどことなくおかしい。雪之丞はしばらくベッドで休んだ。
 私は『家庭の医学』で調べ、脳の異常を疑った。夜、雪之丞に「脳の病気かもしれないから、先生、病院に行った方がいい」と進言した。出過ぎたまねをするなと叱られるかと思ったが、雪之丞は素直に応じたので、タクシーで近くの大学病院の夜間救急に駆け込んだ。
 すぐにCT検査となり、その結果、「脳腫瘍の可能性が高い」と伝えられたのだ。
 8カ月前に入籍したばかりの夫が、死と隣り合わせの病に倒れた。脳腫瘍……どうしていいか分からず、涙が出た。
 雪之丞は即入院し、精密検査を受け、2日後の6月13日に緊急手術が決まった。
「腫瘍のでき方から良性だと思われます。腫瘍が取り切れ、病理検査で良性と診断されれば、再発の可能性は低いです。しかし、手術が成功したとしても、術後の合併症の可能性もあり、麻痺や視野障害などの後遺症が出る場合も少なくありません」
 医師の説明では、良性でも安心できないという。たとえ恐ろしい手術を乗り越えても、命の保証がない。
 舞台革命をする約束をして結婚し、私にとって雪之丞はいま最も頼りにしている存在だ。まだ54歳、志半ばではないか……。新しい舞台芸術を作ったその先で、妻の私が「吉良雪之丞物語」を書く予定だったではないか……。
「先生は絶対に大丈夫」――私は祈るしかなかった。
 手術は3時間半におよんだ。
 手術待合室には、私のほかに、背中を丸めた高齢男性がひとり座っていた。私はずっと泣きながら、ひたすら祈った。
「神様仏様、先生にどんな後遺症が起こっても、私が先生の手足となりますから、どうか先生を生かしてください」
 人生で、これほど真剣に祈ったことはない。
 じっとしていられない私は、その年の正月に雪之丞からプレゼントされた般若心経の経典を手に、「仏説ぶっせつ 摩訶まか般若はんにゃ波羅はら蜜多みた心経しんぎょう~ 観自在かんじざい菩薩ぼさつ 行深ぎょうじん般若はんにゃ波羅はら蜜多みった……」と、繰り返し小声で唱えた。
 同室のおじいちゃんは妻の手術で待機しているのだろうか。私のたどたどしい般若心経を黙って聞いている。あるいは聞こえないのかもしれない。そのおかげもあって、「今年中に覚えよう」と思っていた般若心経を、私はこの3時間半でそらで言えるようになっていた。
 ――手術は無事、成功した。腫瘍は良性で、髄膜腫という種類の脳腫瘍だった。
 術後の経過はおおむね良好だった。雪之丞には視野が一部欠損する後遺症は出たが、生活に支障はないようだ。
 ほっとしていた。
 すると術後2年経ったころ、雪之丞にてんかん発作の症状が出るようになった。脳腫瘍の後遺症であった。
 そのころ雪之丞は逆流性食道炎を患い、年に数回、発作がでるようになっていた。朝方、全身に汗をかき、大きなゲップを連続で出しながら、ひどい胸やけに苦しむ。たいてい20~30分で改善するのだが、そんな時にトイレに立つと、てんかん発作でバタッと卒倒した。大きないびきをかいて白目になり、失禁して手足を硬直させる。
「先生、先生、戻ってきて! 先生!」
 呼吸を確認しながら、必死で声をかけていると、1分ほどして、目を開け、居眠りを起こされたような呆けた表情になり、
「まどか、どうしたんだ?」
 と正気を取り戻す。
 てんかん発作は、逆流性食道炎の発作時にのみ出現した。逆流性食道炎の発作で貧血状態になり、てんかんが誘発されるらしかった。バタッと倒れる時に、頭を打ってはいけない。だから逆流性食道炎の発作が出る期間はてんかん発作を怖れ、夜も熟睡できない状態になった。
 逆流性食道炎の発作は起こらない年もあれば、年に数回起こることもある。発作が出るようになると、アルコールを断ち、食事もいつも以上に油物を控える。すると1~2週間で回復する。
 大病はほかにも襲ってきた。
 平成21(2009)年の暮れ、胆石による急性膵炎すいえんを発症した。胆石が膵臓の出口で詰まり、漏れた膵液が臓器を溶かし始めた。「死亡の可能性もある」と伝えられた。
 幸い、詰まっていた胆石が動き、事なきを得たが、膵炎が治るまで、絶食2週間、約1カ月入院した。その後も度々胆石発作を起こしたため、胆嚢たんのう除去の手術をした。胆嚢切除後は、家庭での食事も一層気をつけなければならなかった。
 
 結婚前、雪之丞は健康そのものだった。
 実際、行や武術で肉体を鍛錬しているだけに、頑強でたくましい。それなのに、どういうわけか、結婚直後から、死に直結するような危険な病気を次々と発症したのだ。
 雪之丞の弟子の富田和子は、
「吉良先生の病気は心配ですが、まどかさんと結婚して本当によかったです。まどかさんが先生のそばにいてくれると思うと、私たちも安心です」
 実際、雪之丞が再婚していなければ、身の回りの世話を富田やほかの弟子がせざるを得なかっただろう。雪之丞は結婚前、「私には必要な時に必要な人があらわれる」と言っていたが、全くその通りかもしれなかった。
 たとえば、人気俳優が大病後に復帰すると、「妻のありがたみを痛感しました。妻には頭が上がりません」などとインタビューに答える場面がある。また、年の差夫婦の場合、若い妻が高齢夫の看病を献身的に行い、夫は妻に優しくなるというパターンも少なくないだろう。
 が、雪之丞は全く違った。
「私は死に直面して、よくよく分かったよ。人生は50年でも100年でも、当人にとってはあっという間だ。だから吉良雪之丞は今後、そのことを心して生きていく。私は畢生ひっせいの仕事、新しい舞台芸術を作ることに全力で取り組まなくてはならない。そのためには、些細なことに構っていられないから、まどかも心しておくように」
 雪之丞は病気で倒れるごとに、仕事への焦りからか、私にキツくあたるようになったのだ。また、結婚前に見せなかった部分がむき出しになった。
 結婚後にむき出しになった部分――そのひとつが、男尊女卑という側面だ。結婚前は、私に気を遣っていたのか、知的な面しか見せなかったから、私は気づかなかった。
 たとえば、タクシーに乗り、下手な運転の車をみると「やっぱり女だったか」という。ニュースで女性政治家が出てくると「女が政治をやると国がつぶれる」という。もちろん、最初は反論した。そのような発言は控えた方がいいとも指摘した。
 けれども、意見されると雪之丞は激昂し、「新聞記者は何もできないのに人の批判ばかりで生意気だ」と攻撃的になる。さすがに雪之丞も社会的な場所では口にできない発言という理解はあり、「私は外で女性の前で言うわけではない」と自己弁護する。どこかの元総理大臣に似て、己の認識がズレているという自覚がないのだ。
 雪之丞が私にキツくあたっても、女性蔑視の発言を口にしても、私は黙るようになった。雪之丞には何を言っても理解されなかったし、現実問題として、雪之丞が不機嫌だと生活が回らない。
 加えて、脳腫瘍の時、私は「どんな後遺症が起こっても、私が先生の手足となりますから、どうか先生を生かしてください」と祈ったことを思い出した。雪之丞が元気に生きていること自体、奇跡なのだと思うと、「吉良雪之丞には自分の人生を好きに生き、才能を発揮してもらいたい」と達観する気持ちになった。
 なにより、雪之丞のいう「舞台革命」も早く実現してほしい。
 そのため私は、面倒な口論を避け、雪之丞に従うようになった。叱責されれば「すみません」と謝った。そうして雪之丞は、ますます私に気を遣わなくなり、本来の独善性がむき出しになっていった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?