Uru 『心得』テレビドラマの主題歌を聴きながらグリーフケア
https://youtu.be/tHcrAUllIxU
この主題歌から
15歳から18歳までの私を思い返した。
今日を生きる希望…
18歳の卒業の時
弟に『お姉ちゃん俺がいるからってやりたいことを諦めて俺のせいにしないでよね』と、私に自分のやりたいことをやる様に言ったんです。
でも、母の願いは弟を大学に出す事が揺るがなかったんです。
奨学金制度で次へと学校からも進められたけど、どう考えても私が短大に行って勉強する事がベストには思えなかった。
だって、公立高校を落ちていきたくもない私立に行くことになって父が亡くなった事で亡くなった時点から卒業するまでずっと、今でいう特体生として学費免除で過ごしていた。
学校の模範生である事がもとめられ、文武両道を貫いていた。
反面、父親のいない事を時間が経つにつれひしひしと実感させられる日々だった。
進学を諦め就職を決める時にも父のいない事での無力感は事あるごとに私の気力を削いでいく様に感じていた。
父が居ない
社会的なコネクションが使えない
父が居たら根回ししてもらえる事もあったのかもしれない
耳に入る言葉は
『私ババのこねで就職が決まったの』という言葉だった。
この日のために模範生であり、部活も勉強も頑張り、資格も取って来た。
どんなに上の資格を取ったとしても、その資格に達しない人たちが、私のいきたい就職先にどんどん決まっていった。
それも、試験の前から。
この無力感はなんとも言えなく絶望を感じた。
私はなんのためにこんなに頑張って来たのだろうか?
父が居ないというだけでこんなに差別的な事が起こるのだろうか?
もう何もしたくない。
もうどうでもいい。
神や仏なんてありゃしない。
救われるなんて言葉もありゃしない。
葬式をしたってお寺にたくさんのお金を払ったってなんの徳にもならない。
なんで生きていかなければならないの。
生きるって何?
この思いが私の人生の根底にありつつけていたと、気づきました。
そして、孫を持つこの歳になり、15歳から18歳の頃の私に会いに行き、『頑張っていたんだね、よく頑張ったね。辛かったね。』と、声をかけて泣いている私をそっと包み込んでみました。
一緒に泣いてみた。
大人の私が一緒に泣いてくれるおばちゃんになってみた。
肩の今朝がほぐれていく。
私のグリーフケア
また一つグリーフが解けていく。
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