悪い予感はなぜ当たる?
悪い予感。というのはたいてい当たります。先日なぜ当たるのだろうか?と思ったときに一つの見解がありました。それは、放置しているからだと気がついたのです。もしくは、どうしていいかわからないという状態を続けるからですね。結果論では放置だと私はおもうんですが、自分のキャパや知識以上のことが起きるとたいていヒトは思考が停止します。
私は身体のことを考えることが仕事なので、身体のことが一番それにあてはまるとおもいます。身体の何処かが痛い・・・となるとなんだろう?って最初は思います。で、しばらくして治るとよかったと安堵します。同じ場所が繰り返し痛む場合、心のどこかでちゃんと「おかしい」を感じています。ですが、ヒトは自分の都合を優先します。知らん顔してればいつものことだから治ると思いたいのです。身体は何度もチクチク言ってくれているんですけどね。
鈍感とはつまりこのことで、お母さんがいつも小言をいっていると、「またいってるし」と放置するようになるわけです。慣れてくるんですよね。ちょっとした違和感や痛みというものに。実はこの小さな痛みや小言って自分の本質的に悪い部分を教えてくれているのです。みたくない部分にあたると私は思っています。なんとなく・・・とは思っているものの直し方、改善の仕方がどうしていいのかわからないから放置をすることにしてしまうわけです。
そうして、それが積み重なっていくことで、悪い予感が当たるという状態が起きるわけです。でも実は悪い予感は当たるのではなく、必然的に悪いことが起きる状態を作っていることがほとんどだと私は感じたわけです。私は身体に異変が起きたときに必ず考えます。なんだろう?なぜだろう?と結構向き合います。こうしていろいろ向き合ってきた結果、私の身体が悪い状態のときは、基本的には、身体の流れが止まるときです。なので、例えば生理であれば経血が少ないときの方が状態がわるいです。一般には過多月経はよくないといいますが、私は過多月経ではないのですが、2,3日目までは経血が多いです。
年齢を重ねると多くなるのは、これまで培ってきた汚れもあるからかと思っています。これが流れないことで、多分年齢を重ねると太りやすくなるという状態が生まれるんだな。と私は解釈しています。ただ、最初のうちは多少なりとも恐怖心はありました。ちなみにこの見解について、多分大丈夫だろうと思ったことは身体の温度ですね。身体が温まるようになってきたから、流れる量も多くなったのだと思うようになったわけです。血管壁など、これまで冷たくて固くてこびりついていたものも、身体があたたまり流れるタイミングでいっしょに流れやすくしてくれているんだな。と感じています。
不正出血みたいなものがないので、そういった見解で落ちついています。身体が流れなくなるという状態になったときのことを思い出すと明らかに冷えていく感じでした。ネットなどの記事をみると今の方が起きていることはネガティブっぽいですが、自分の身体と照らし合わせると記事の情報だけでは判断できないと思うことが多々あります。
ちなみにやっぱり流れが悪い頃の方が良くないだろうな・・・と思うことが多々ありました。太りやすい状態というのも薄々感じていました。そういった薄々気がついているのに知らん顔をするというのもまた悪い予感を積み重ねている時かなとも感じます。ネガティブが起きたときこそ、真剣に考え、寄り添うという癖をつけてみると、割とギリギリ助かることも結構あります。その瞬間面倒くさいとおもうんですけど、そこに向き合う癖をつけてなんでもないという状態を何回も確認すると、次第に嫌な予感を減らすことはできます。
泣きっ面に蜂とは言ったもので、悪いことには悪いことが重なるのは、放置の罰金みたいなものです。なんでもなくても確認する、考える、気にかける、観察するをくせにするだけでも、事態は好転しまくります。そうして良くなったときに、本質的に悪かったことの答えを知るようになります。
日本人の糖尿が多い理由なども私は理解することができましたので、次回はその話しをお伝えしていこうと思います。