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歯並びがキレイな人のお話。

「さっき、私がおっしゃった通りですね。」

歯並びがキレイな人に時々出会う。笑顔が眩しくて、何だろうなと思ったら歯並びなのだ。真面目な顔に戻ると消えてしまう。笑ってほしい。冗談のひとつでも言ってやろう。すると、アンコールの拍手に迎えられたダンサーのように、再びキレイに並んだ歯並びが登場するのだ。やっぱりキレイだなぁと思ったりする。

「先程も私がおっしゃいましたけど。」

ノジマという電気屋さんに来た。もう5年近く使っているiPhoneをいい加減に機種変更しなくてはいけない。コンパクトなボディは手に馴染んでいるが、バッテリーの弱り方がハンパない。

「では、ここに私がおっしゃったことを書いておきますね」

最初は聞き流してしまった。ん?とは思ったんだけど。スマホ見ていてもそうじゃないか。ネット記事は誤字脱字が多かったりする。だから令和人は、細かいミスに慣れている。敬語ぐらい別にいい。

しかし、本当に惚れ惚れするぐらいキレイな歯並びだ。そういえば制服もちゃんと着こなしている。昔の電気屋さんの販売員は、どこか着こなしにダラしなさがあったように思うのだが。商売上、しゃがんだり立ったりが多いのだろう。背中側のシャツがズボンに収まってないことがよくあった。

まだ大学2年生なのだといっている。瞳もつぶらで、少女マンガに出てきそうなイケメンである。その彼が、もう3回もおっしゃるの使い方を間違えている。テーブルに置かれた紙には、月々むしりとられる料金の仕組みが、呪文のように書き記されている、けれどもこのイケメン君は、まるで勇者が大地に剣を突き立て、その光がいくべき道を指すように、いとも簡単に、シンプルな単語に置き換えて説明してくれる。いい奴だ。でもどうしよう。

数年前なら、即答で突っ込んでたな。だって間違いを指摘するのは愛情じゃないか。そこに何を逡巡する必要があるだろう。「自分が主語の時は、申し上げるを使うんだよ。」にこやかに、サラッと言うのが正解だろう。

まあ、自分で気づくかもしれないという可能性に賭けて見事に外れただけなんだが。しかし、今までの研修や接客でも、他の誰かが指摘する機会があったはずなのにおかしいな。風邪の引き始めみたいな悪寒が駆け抜ける。現代人、冷たすぎ問題だなこりゃ。

いやいやいや、違うなと僕はこころの中で首を振る。キレイな歯並びのせいかもしれないじゃないか。唇のカーテンの奥で繰り広げられる、美しい歯並びのラインダンスに見惚れただけなのかもしれない。そうして今日の僕のように、そっと次回会う誰かにバトンを手渡しただけなのかもしれない。そうだ。そうに違いない。

というわけで、次の誰かさん。おそらくあなたがアンカーですよ。最初のうちに、サラッと言ってあげてね。そしたらイケメン君は少し申し訳なさそうに眉を寄せるかもしれないけど、その後はきっと、困ったような笑い顔でまた、あの眩しい歯並びを見せてくれるに違いありません。

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