いじめによるパニック障害から学んだメンタルコントロールの重要性
○はじめに
今回は就活の箸休め記事として、メンタルコントロールの話をしていきます。
私の実体験に基づいて、ここまで追い詰められてはいけないというボーダーラインや早期発見の重要さなどを知っていただければと思います。
前提として、私は”軽度”のパニック障害と診断を受けた経験があります。
しかし、母は私が産まれる前からパニック障害であり、うつ病に変わってしまった時期を何度も近くで見てきました。
そのため、ある程度の知識はありますが自分が体験したのは軽度の症状のみです。
重い症状で悩まされている方がご不快にならないよう先にお伝えいたしました。
○いじめが始まった経緯
1.高校時代の部活動の概要
私は高校時代、吹奏楽部に所属していました。
同じパートに2年生(A先輩)と3年生(B先輩)が一人ずつおり、3人でこれから仲良く頑張ろう!という明るいムードでスタートを切ったのです。
家の用があり最初は忙しかったA先輩の代わりにB先輩から基礎を教わっており終始明るい雰囲気で部活を楽しんでいました。
そんな中、3年生は新歓の時期が終わると同じタイミングで文化祭まで部活は一旦お休みになり、A先輩と2人で練習をすることになりました。
ただ、B先輩がお休みに入った辺りから少し違和感を感じるようになったのです。
2."後輩として"の義務
楽器は重量が重い上備品を運ぶ必要があり、総重量は15kgを超えるものでした。
ある日、A先輩から「ごめん!私のも運んでおいて!」と言われて何回か往復して運び、その日は備品の数も多かったため30kg分を運びきりました。
その日を堺にA先輩の荷物も全部運ぶことになっていきました。
しかし、"後輩として"当たり前なのではないかと考えるようにしていました。
楽器の準備から運搬、片付けまで30kg分ほぼ毎日行っていた私の腰はダメージも大きく、1、2ヶ月もする頃には1時間椅子に座ることも困難になりました。
3.無視や放置の始まり
段々挨拶を無視されるようになり、練習場所に来なくなりました。
私が準備したA先輩の楽器が一度も使われない日もした。
応用的な技術も初心者で一人練習部屋で放置されている私にはできません。
そのため、慌ててネットで調べるのですが、マイナーな楽器ゆえ情報もほとんどなく精神が削られていくようでした。
4.いじめはエスカレートしていく
A先輩の楽器を準備しても部活に来ないケースが増え、先輩のパートの穴埋めを私が行うことが増えたため、先輩の楽器の準備を後回しにするようになりました。
合奏で迷惑をかけないように先輩のパートを練習していたのです。
しかし、そんな時に限って先輩は部活に来て「楽器準備してないの?私はB先輩が来るの遅いとき準備してたから。」と注意を受けました。
練習していても鼻で笑われることも多く、A先輩が私の悪口を言っているのを聞いてしまい心が落ち込んでいくのが自分でも分かりました。
○パニック障害と診断を受ける
1.止まらない体調不良
通学で利用しているバスや電車に乗れなくなりました。
止まらない動機に吐き気腹痛で何度も途中下車したり、日によってはリタイアして母に迎えに来てもらっていました。
月経も2ヶ月以上出血が続くような異常な症状も起こり始めて、ストレスによる書状なのかもしれないと感じたのです。
2.顧問へ退部の相談
限界を感じ、顧問へ事情を全て話した上で退部したいと話しました。
「Tさんがいなくなるとパートも壊滅状態になって困るし、なんとか考え直してくれないかな?休部とか。その間になんとかしておくから。」と提案されました。
私自身、物事を途中で辞めるのに抵抗があったため、顧問のその言葉を信じて何日かお休みをいただくことにしました。
しかし、A先輩から「話したいことがある」とLINEが入っていたのです。
嫌な予感がしつつ向かうと「顧問から私のせいでTさんが辞めそうだから話し合ってって言われたんだけど何かした?」と聞かれました。
「腰の限界や技術不足を痛感してたので…A先輩のせいではなく迷惑をおかけするかなと思って…。」必死に振り絞った言葉がこれでした。
「続けなよ。顧問も困るみたいだし。」と言われ、うなずくことしかできません。
それでも、数日お休みをいただくということだけは伝えて帰りました。
3.母への相談
夜中になって母とリビングで二人きりになり、どうしたの?と言われた瞬間に涙が溢れてきてしまいました。
すると母が突然「よし、こういうときは爆食いだ。」と言いカップ麺を作り始めました。
拍子抜けして涙が引っ込んだところでカップ麺も完成し、夜中にカップ麺やポテチを食べながら母に相談しました。
「ショック受けるかもしれないからあんたが相談してくるまで言わないでおこうと思ってたけど言うわ。あんたの最近の症状、私の病気と症状そっくり。もしかしたらパニック障害になってるかもしれない。」とのことでした。
母の症状を隣で見てきたからこそ、自分の症状が類似していることには気がついていましたが、改めて言われるとショックでした。
しかし「でもあんたは私で耐性ついてるし、症状が出ない日もあるから大丈夫。あんまり考え込まずに明日病院行ってみようか。」と言われて、次の日学校を欠席して病院へ行くことになりました。
4.通院することに
病院では母の予想通りパニック障害と診断されました。
「パニック障害なんだけどまだ初期症状で、気がつくのが早かったから治るからね。部活もちゃんと自分から離れてるし、ストレスの要因を避けれてるからその調子で頑張っていこう!」と前向きな言葉をもらって安心できました。
数日後、部活に復帰してからは運良くA先輩は全く来ることがなく快適な日々を過ごすことになりました。
通学に関しても早起きして、早い電車に乗ることで人も少なく、途中で降りても遅刻しないという精神的余裕に繋がっていたように感じます。
○完治した後の振り返り
1.後輩だからと言う通りになる必要はない
後輩だから荷物持ちは当たり前、後輩だから迷惑かけず一人で解決するのはおかしいと今になって感じます。
もちろん、先輩が忙しい時などに気を利かせることは模範の後輩だと思います。
しかし、私の場合はお礼謝罪もない、普通の女性一人が負担する重量や精神的負担ではないというところがポイントです。
自分が先輩のために行って気分が良いと思えることなのか、感謝されているのかなどを考慮したら良かったと思います。
2.無理をして続ける必要はない
私が部活を辞めることでパートに人がいなくなると言われて踏みとどまりましたが、心が病んでしまっているのにも関わらず無理に続ける必要はありません。
諦めずに自分の限界まで挑戦することは良いことですが限度があります。
また、今回の場合顧問の対応も良くなかったですよね。
そんな人に辞められては困ると言われても、気に止める必要はありません。
結果的に解決できましたが、運が悪ければ悪化もあり得たと思います。
3.人に相談すること
先生、友人に相談するのが気持ちが楽かもしれませんね。
しかし、現在の私はぼっち女子大生ですので、こういう人は親に相談しましょう。
小っ恥ずかしいのは分かりますが、追い詰められたとき頼りになるなと思いました。
親を頼りにできない、誰にも話せない、生きているのが辛いという方はこちらから相談するのがありかもしれません。
他にもお住まいの地域に窓口がある場合もあるので、誰かに来てもらうようにしましょう。
本当に楽になります。
○あとがき
当時は辛かったですし、今でも辛いことはたくさんあります。
しかし、考え方を変えてメンタルコントロールできれば楽になると分かりました。
例えば、悪口を言われていたとしたら「私の悪口を言うために食事の栄養分を使って脳を働かせてるんだなぁ。一生懸命で可愛いな。」程度に流してあげると面白いですよね。
就活も辛ければ休めばいい。
一度きりの人生を辛いものにするくらいなら、立ち止まってもいいと思います。
とにかく自分に優しくする期間もつくってあげましょう。
また明日から就活頑張ります。
Tちゃん