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Coplayの「My life is a quest for the ridiculous image」を鑑賞する

先日、展示の最終日の数日前に、アメリカ人アーティストCoplayの「My life is a quest for the ridiculous image」、つまり「私の人生は滑稽なイメージの探求である」という題の展示を鑑賞した。
題からして、笑えそうか、下品か、おっちょこちょいな感じか、そのような作品の展示なのかと想像していたが、実際にはかなり"エロス"だった。

そういえば暫く、シマ子のエロス的発言が登場していなかった。
仕事のゴタゴタとPoledance Exoticのレッスンが暫く休みだったので、たまにそういうことを考えていた脳の一部(紫の部分、と呼ぼう)も暫く店じまいしており、9月まで内装工事かな、と思いきや、ちょっと部品が入り用になり、一時的にシャッターを開けてみた、そんな瞬間だった気がする。
でももう、この記事を書き終えると同時に、「紫には睡眠薬を投与し、秋まで静かにしていてもらおう」と決めた😆

それでは、まずはCoplayのBioから行こう。

William N. Copley(1919年1月24日 - 1996年5月7日)
アメリカの画家、作家、ギャラリスト、コレクター、パトロン、出版社、美術企業家。
誕生した年に両親をスペイン風邪で亡くし、2年後にシカゴとサンディエゴで16の新聞社を経営するCopleyの養子となった。
1946年に結婚し、妻の姉の夫とシュルレアリスムの作品を展示するギャラリーをロサンゼルスに開く。ロス滞在中にMan Rayを発掘、彼からMarcel Duchampを紹介され、René Magritte、Max Ernst等のアーティストの作品を展示するも、世間にはまだシュルレアリスムの流れが浸透しておらず、ギャラリーは1年後に閉鎖となり、フルタイムで絵を描くようになる。

1950年代から60年代にかけての彼の絵画は、西部劇の酒場、カウボーイ、ピンナップ・ガールといったステレオタイプなアメリカのシンボルを国旗と組み合わせた皮肉でユーモラスなイメージを扱っていた。
1970年代の作品は、ロマンチックで性的な関係における男女の違いや課題について、彼自身が理解することに重点を置いていた。彼の作品はエロティックであり、ポルノ的ですらあった。

Wikipediaより経歴を一部抜粋

次に、このマルチプレイヤーのCopleyの今回の展示案内へ移ろう。

Copley展では、1950年から1970年にかけて制作された絵画とドローイング約20点を展示する。
1963年にニューヨークに戻った後に描かれたX-Ratedシリーズの作品(ポルノ雑誌から抜粋したエロティックな題材を歪曲した具象的な作品)、1970年から1972年にかけて彼の主要なギャラリストであり支援者であった Alexander Iolasによって発表されたNounsシリーズの絵画が含まれる。

この展覧会では、カタログやアーカイブのモノグラフを加えて、Copleyの風刺的で挑発的なイメージ、つまり、アーティストが「私的な神話」と表現するイメージの主題である、愛、死、政治、セックス、パロディ、ナショナリズムが、スーツやボーラーハットを着た男性、裸やセミヌードの女性、娼婦、車、抱き合う恋人たちとして、文脈から取り出された日常的なオブジェに姿を変えて登場する。

展示案内より

作品紹介へ移ろう。
例によってあまりピンとこないものは外し、展示の順序も好きなように変え、妄想コメントを付けたので、よろしければ是非、細かい文字もご一読いただければ、と思う。

1970年代、CPLYと署名していた頃の作品のポスター
各種雑誌
飾り窓から選ばれた女性とお客ですよね?
外の風景が入り込んでしまったけれど・・・。
最後の晩餐のパロディー?それも女体盛り?キリストの罰が当たりそう。。
なんだかわからないけれど、展示案内の表紙だったので、一応載せておこう。
レトロで可愛いですよね
さて、いよいよエロス、入りました😂
不倫相手の男性の家で、情事の終えたばかりのメラニー。男性がシャワーを浴びていると、突然、出張先から妻が1日早く帰ってくる。妻は薬品会社の研究員をしており、学会でカナダへ行っていたが、最終日に発表予定だった新薬にトラブルがあり、急遽スケジュールが短縮されたのだ。玄関の施錠が回される音が聞こえる。「あらっ、私、まだこんな姿、どうしよう」と一瞬思いを巡らすメラニー。しかし容赦なく妻が急ぎ足で二階へ上がってくる足音が聞こえる。「こうなったら仕方がないわ」と四つん這いになり、挑発するポーズを取る。寝室のドアが開けられたその瞬間、雌豹のようなまなざしをドアに向けるメラニー、その時妻は・・・。続く🤫
次回の予告。
夫が不倫していたことを薄々感じてはいたものの、まさか自分たちの寝室で濃密な時間を送っていたとは想像だにせず、激高した妻、アマンダ。仕返しをしようと、いつかのためにとこっそりしまっていた小動物をさばくためのナイフをクローゼットの奥から取り出す。これは、アマンダの家系に代々受け継がれてきた、森で暮らす者ならかつては誰もが持っていた鋭利な刃をしたナイフなのだ。ナイフを前にし、自分の、以前のようにはハリのなくなった裸体を鏡に映すアマンダ。鏡の中で光るその目が狙う先は・・・。続く😅
ナイフを使ってできる最良の方法を考えよう、と心を落ち着かせるためにピアノを弾くアマンダ。夫とは勿論口論になり、家から追い出してやったが、メラニーには猿轡を噛ませてクローゼットに押し込み、顔の前にナイフを吊るしているところだ。
「ハリがなくなっても、やっぱり私は私の身体が好きなのよ、だからこうやって裸で、Beethovenを弾いているんじゃないの」と、意識をピアノに集中させようとするが。。。
ピアノを弾きながら、時々怪しかった夫の行動を振り返るアマンダ。メラニーとこんなことやあんなことをしていたのでは、と妄想が膨らみその網をかいくぐって怒りが爆発しそうになる。そして遂に・・・。
Merd!!!!!!
「あんな泥棒猫は裏の林にある溝に捨ててしまえ」と、アマンダはメラニーの顔に茶色のストッキングを被せ、手首と足首も縛り、ストッキングの端を引いて林へ連れて行く。アマンダに未完成の新薬を投与されたメラニーの意識は混濁し、されるがままに。
さて、最終回の次回、メラニーの運命はいかに!!
最終話は、ご自由に妄想ください。
というオチ付き🤣

空気の入れ替え終了につき、以上で、エロス、秋まで閉店します🤚

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シマ子
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