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Edmondo BacciのSpazialismo(空間主義)という展示を鑑賞する

もう去年の話になってしまったが、初めて訪れたギャラリーでEdmondo Bacciを始めとした複数のVenezia出身の画家の作品、約30点の展示を鑑賞した。
Edmondo Bacciの作風は、バウハウス、というかKandinskyとMondrianとPaul Kleeをミックスさせた感じで、斬新な印象はなかったが、「空間主義」に特化した展示というのは珍しいかも、と思い、興味をそそられたのだ。

「空間主義」について、またその創設者のLucio Fontanaについてご存知のない方が多数いると思うので、まずはそれらについて触れてみたいと思う。

Lucio Fontana(1899年2月19日 Rosario - 1968年9月7日 Comabbio)
イタリアに帰化したアルゼンチンの画家、陶芸家、彫刻家。

アルゼンチンのイタリア人家庭に生まれ、ミラノでブレラ美術アカデミーに学び彫刻に専念。ブエノスアイレスに戻ると、空間主義運動の基礎を築いた「Manifiesto blanco」を起草する。1950年代初頭には、穴の開いたキャンバスを制作、有名な「カット」がそれに続く。絵画、彫刻、陶芸など、数多くの技法を駆使した。
(中略)
1949年のヴェネチア・ビエンナーレで、空間概念と呼ばれる穴のあいたキャンバスで批評家の当惑と大衆の軽蔑を集めていた。

Wikipediaより
こんな感じです(ネットより)

しかし、ここからどのようにKandinskyやMondrian的な絵画に発展していったのか、想像しがたいのではと思う。それゆえ、今回の主役のBacci氏が属するVeneziaでの芸術運動の変遷を少し抜粋してみることにした。

Edmondo Bacci(1913年7月21日、Venezia)
1953年、ヴェネツィアでLucio Fontanaが創設した空間主義運動(※Movimento spaziale)の展覧会に参加し、以後、空間主義の展覧会に定期的に参加。
※戦後間もない時期の芸術家たちが、戦争による大きな断絶の前に芸術制作の指針としていた原則を超えることを意図し、時間と空間の次元を芸術作品に挿入することにした運動。

空間芸術家は、目に見えるものの次元を超え、視線を別の場所に向け、空間を精査し、光の絶対的な価値や、分子や粒子のレベルで私たちを取り囲みながら私たちには見えないものを構成しているものを熟考する。科学的発見と核物理学は、芸術家にとって衝動と刺激の源であった。彼らは、新しい技術と宇宙探査によって具体化された、これまで知られていなかった新しい現実、具体的な空間のアイデアを作品にとらえようとした。
(中略)
Veneziaの芸術家たちは、科学技術的な現実より未来的な側面に注意を払いながらも、むしろ個人の想像力の自由を強調する経験において、ミラノの芸術家たちとはまったく異なるアプローチを示している。この自由は、Manifestoに署名していなくても、多くのアーティストが宇宙体験に参加できた特徴である包括性にも通じている。

Fontanaが絵画の次元を超越してキャンバスの空間を超えたのに対し、Veneziaの芸術家たちは絵画的な物質の使用を好み、絵画に忠実であり続けた。Bacciの場合、空間主義への固執は、社会問題に対する感受性を示唆すると同時に、抽象に関する言説を追求する口実となった作品《Fabbriche》と《Cantieri》においては調和を見せている。1954年以降、Bacciの絵画は変化し、より大気の復元に気を配るようになる。色彩は光の中で膨張し、抽象への移行は完了し、爆発的な爆発力を持つようになる。

空間主義は1958年末頃に終焉を迎えた。

展示会案内より抜粋

まずはBacci氏の作品を数点ご紹介したいと思う。

Fabbrica 1952年
説明文中にあるFabbriche(工場)の作品集の一部。これを見た瞬間、「Mondrianの作品じゃないの?」と思ったのは私だけではないはず、、、いかがでしょう?
参照: Mondrianの作品(ネットより)
Avvenimento(出来事) 1952年
火事とか爆発とかそういう出来事に見えますが、実際は何の出来事だったのでしょうね。
Cantiere(Avvenimento) 1953年
「建設現場(出来事)」とあるので、前年に描かれた「出来事」もきっと建設現場での出来事だったのだろう、という結論が導かれました(はやっ💦)。
無題(Avvenimento) 1958年
今度は白い炎が立ち上っている感じ。何となく溶接の際に飛び散る炎っぽく見えます。


次にVenezia(近郊を含む)出身の他のアーティストたちの作品を少し紹介しよう。

Gino Morandisの作品(無題、1954年)
Mario Deluigiの1960年代の無題の作品
60年代なので、空間主義が終わっているのが良くわかりますね。
Grattageという技法を用いた作品です。

Grattage(日本語ではスクラッチボード)
本来は、「擦り取ること。 引っ掻くこと」の意。
陶板(陶器で作られた板)の上に塗られた墨の塗膜を削ってできる線や点で表現する画法の一つ。またはその画材。
シュルレアリスム運動に参加したM.ErnstがFrottageの原理を油彩画に応用した技法を指す。

Frottageの作品を載せた記事があるので、参考までに下に貼ります。

これもMario Deluigiの作品
Luciano Gaspariの80年代中頃の無題の作品
造形作家、かつVeneziaの芸術家ということもあってか、絵画のほか、ガラス細工の作品を多く制作された模様。
Vinicio Vianelloの1959年の無題の作品
この方も造形作家で、ガラスの作品も多く制作されていますが、ムラーノのガラスの作品というよりももっとモダンで馴染みのあるタイプの作品が多いように見受けられます。
Bruna Gaspariniという画家の1960年の無題の作品

Veneziaの市のサイトに彼女の作品をまとめたPDFがあったので、リンクを貼っておこう。

https://www.comune.venezia.it/sites/comune.venezia.it/files/cultura/blm/immagini/INTERNO%20CATALOGO%20DEFINITIVO%20VISIONE-4.pdf

他にも何人かの作品が展示されていたが、紹介した作品に似ている、もしくは好みではなかったので、割愛した。

最後に、おまけとして、先日Duomoの裏、スカラ座のはす向かい辺りに位置する美術館Galleria d'Italiaで始まった新しい展示「Il genio di Milano(ミラノの天才)」でたまたま見つけた、Lucio Fontanaの作品を1つ載せておこうと思う。

Spazialismoとは全く様相を異にする作品が複数あったが、個人的には彼の作品は好みとは言えないので(近現代のミラノで最も名を馳せたアーティストなのに、本当に申し訳ないとは思うが、好みとはそういうものだと思う)、1点だけだけれど。

Signorina seduta(座る少女) 1934年

 
Galleria d'Italiaは、展示もさることながら内観が素晴らしいので、もしミラノ観光中に時間があまって芸術鑑賞でも、という方がいらっしゃれば、是非お勧めしたい。

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シマ子
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