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心から恐れが無くなるならどうなる? 賜物を受け入れ延長させる生き方

私達はこの世界の自分の人生に絶望して真理を探究したり奇跡講座のような霊性の道に出会う流れになっています
でもこの辛い世界を後にして
真理を見出されば幸せになるのか?
悟りを得られれば幸せになれるのか?
本当にそれは違うと言いたいところなのですが
そう信じるところからほとんどの人は真理への探究が始まるのだと思います
もちろん私もそうでした
でも絶望→ワンネスへ一足飛びには行けません
その前にやらなくてはいけない事があるからです
一言でいうなら「生き直し」

この世界で自分らしくなんの制限なく自分を表現することを通して
制限をかけていた時のような苦しさ、辛さ、絶望感しか行きつかなかった人生を喜び、楽しみ、感謝など人間関係を通して与え受け取るそんな生き方があるだと思います

私達は神のもとに帰る(贖罪の完了)前に神から与えられた役割を才能を使い精一杯生きることで、二元性の中でも正しい心側から自分を体現して、与え受け取る生き方をすることができます
今は忘れてしまっているけれどこれは神との(自分自身との)約束ごとなのだと感じています
神は愛する我が子にそれをして欲しいと望んでいます
喜びを持って与え受け取ることの出来る生き方が実相世界の知覚なのではないでしょうか

マタイ福音書に「タラント貨の譬」という話があります
このお話は、神は全ての神の子に才能を与え、その才能を活かし自他の為に活躍しなさい、そして多くを得なさいという内容が比喩的に書かれています
タラント貨というお金で表現されていますがタラントとは才能という意味を表しています

今の自分はそんな才能など無い、分からないと思うかもしれませんが
必ずどんな人の中にも神は独自の才能を与えています
何故なら神の子である私達は完全無欠な神の性質を受け継いでいるからです
その才能を花開かせればこの世界でポジティブな感情やその他の多くを受け取ることができるはずです

あなたは何かから救い出されるのではなく、栄光のために救われるのである。栄光はあなたが受け継いでいる賜物であり、あなたがそれを延長させるようにと、創造主があなたに授けたものである。(T11.Ⅳ.1:4〜5)

奇跡講座上巻/中央アート出版社


コースのイエスもそれをちゃんと伝えてくれています
奇跡講座は心を変える学びであり外側が変わることに対して否定的に感じる方もいるかもしれません
「生き直し」なんて外側にアプローチしているみたいに受け取れるかもしれません
ですが、心を変えれば自分の在り方が変わります
自分の在り方が変われば世界に与える影響も変わります
結果として世界の現実が心を変える以前とはまるで変わることは否定できないことです

私は世界が今までとは違って見えてきていることに少しづつ気づいています
自分らしさを抑圧しなければ何処で誰とコミュニケーションをとっていても楽しめるという感覚があります
私の得たいものは相手の態度次第という防衛した姿勢は必要ないという理解があるなら、私がその人とどう関わりあいたいかだけが態度となって現れます
いつもそう出来るわけではありません
出来ない自分に気づいたら恐れを信じているサインなので赦しをする必要があります
防衛した態度でなく人と接しられた時、自分も目の前にいる人も大切にする事が出来た喜びを感じれるのです
自分をありのままに受け入れる態度であれば、相手にもありのままでいてほしいと思えます
その在り方が世界を変えているのだと感じます

恐れが無くなるならこの世界は今感じている何十倍も優しい世界であり心からの喜びや楽しみや感謝を与えてくれます
今はまだきっとそうなんだろうぐらいの信頼ですが‥
そう思えないのは、まだ神が与えてくれた才能や役割を拒絶して活かしきれていないだけなのかもしれません

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