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進歩した神の教師について考えてみる 世界を変えようとしない=神の救済計画への信頼
まずは神の教師と神の使者についての関係性について
兄弟は闇を照らすサーチライト的な役割です
自分の内側に必死で守っている闇(勘違い)を浮かび上がらしてくれる役割をしてくれています
「あなたにその考えはあなた(神の子)には相応しくない」
と神からのメッセージを代弁しにこの世界に目の前に現れる
『神の使者』=嫌な人(赦しを運んでくるもの)
としての役割が与えられています
そしてその神の使者(自我であり神の子)のもつ闇は
自分一人では解き放つことはできないので
神の教師(赦しをするもの)が必ず必要となります
同じ闇(勘違い)を抱えた神の使者と神の教師が神聖な関係となった瞬間闇(勘違い)は解き放たれるのが
奇跡と言われているプロセスです
『神の教師』にもたくさんの闇はあり役割として『神の使者』にもなります
私達は世界から目覚める目的を持ち
お互いの役割(世界の救済)を達成する為にこの世界で必然に出会いが用意されており
神の教師が赦しを行わなければ世界の救済は達成されません
そして神の教師には神の使者が訪れてくれなければ救済計画は達成することはできないので役割分担は完璧になされているはずです
この時二人はセラピストと患者としての立場で出会うことになりますが
セラピストは自分も患者であることを忘れてはいけません
そして役割として神の教師を任されているものが理解しておく最も大切なことはこの文章に示されているのではないかと思います‥
このためには、一つのことが必要であり、しかもその一つだけが必要である。それは、セラピストが決して自分自身を神と混同しないということである。
全ての「癒されていないヒーラー」は、何らかの形でこの根本的な混同をきたしている。
この混同が仮に自覚されることがあったとしても、それはきわめて稀である。
そうでなかったなら、癒されていないヒーラーは、ただちに、自分の人生を真の癒しの機能のために捧げる神の教師となることだろう。
いかなる知覚も全知ではなく、また、たったひとりで宇宙に対抗している微小な自己は、狂気の中でない限り、自分がそのような叡智をもっているなどと思い込むことはできない。
多くのセラピストが狂っているということは、言うまでもない。
多くの神の教師は狂っているそうです
世界の救済の為に
神の教師のすることは
神の使者の訪れを受け入れ『赦し』をするだけで他にするべきことはないと言われているように受け取りました
詳しくは『精神療法のプロセス』第二章Ⅶをお読みください
抜粋は全てここの章からです
例え狂っていると言われても
赦し以外のことをやりたければやってもいいわけです
その自由は与えられています
赦し以外のことをやるなら幻想内で
また一つの幻想を作り出す=苦痛を感じる=罪悪感は取り消せない
この意味を分かってやりなさいということなのでしょう
誰の中にもある
内なる神の教師『聖霊』以外に
誰のことも導くことも真の癒しを教えたり与えることなどできません
なかなか厳しい教えですね
奇跡講座を教えたりサポートしたりなんなら目覚めることが良いことだと教えることは狂っていることだとハッキリ示されていました
このことは目の前の人を今の状態から別の状態へ変わることが良いと信じているからやりたい(教えたい、手ほどきしたい)訳です
もしかしたらそういう考えではなくて
奇跡講座のティーチャーや癒しのセッションをしている人もいるのかもしれません
コースに書き示されている文には
「自分が何をしているのか気づいているものはきわめて稀」と明記してありますが
どのように考えているのかはその人にしか分からないことです
多くの場合は
今に信頼がなく
神に変わって「私」が教えてあげたいや癒してあげたいが起きているということです
「うん」
完全にやっていましたよ笑
これは誰の(自分の)助けにもなることではないということです
私は夢の中にいる自分の選択を許しているので間違っているよと指摘されても罪悪感は湧いてきません😅
「あーやっぱりそうですよね
分かりました気をつけます!」ぐらいな感じです笑
幻想内で自我の私がやりたくてやっていることだと自覚があるので
まだしばらくはこのブログで書きたいことがあれば書いていこうと図々しいことを思っています
しかしこの教えは
本気の意欲によって目覚めの為の『赦し』に取り組むときにはしっかり覚えておきたいと思いました
手垢がついている教えですが
「自分の正しさは手放すこと」の深い意味を理解することは大切です
神の救済計画はあなたには分からないのだからあなたの物差しで測るのではなく
ただ信頼しなさいと言われていると感じます
進歩した神の教師とは
自分(自我)の意見など一切採用せず
(何故なら採用に値しないと知っているから)
今この瞬間に起こっている状況を「それでいい」
今この瞬間の神の子を「それでいい」と確信して
神の采配に何の迷いもなく信頼を置くことの出来るキリスト意識を持つものということなのでしょう