【知覚の訂正のプロセス】全ての感情は自分のものとして真摯に受け留める 受け入れるのはその後
コース学習者ならば‥
コースの教えを受け入れたいです
聖霊の導きを受け入れたいです
兄弟を神の子として受け入れたいです
神の平安だけを受け入れたいです
そう望んで学びと実践に励んでみえる方がほとんどだと思います
しかしこのように望んでいるのは
自我意識です
自我の望みは聖霊には『無』の望みなので残念ながら叶えられることはありません
(コースのイエスの語られている『赦し』(贖罪)においてはです)
人間意識で存在している私達にとって
自分の望みが自我意識からなのか
真からのものなのか見分けることはとても難しいです
今の自分の望みがどちらか分からないなら
ほぼ自我意識であるといえます
そしてその意識からの望みは
不足感を補うために獲得するか
分離感を維持する為に排除、除外することを目的として湧き出てきます
そして知らず知らず
その力動に突き動かされているのが私達人間です
感情を扱う時
「受け入れたい」という望みと裏腹にその感情を拒絶している自分を感じてみてください
本当に受け入れたいですか?
本当は拒絶したいですか?
この感情が消えてくれたら私は平安なのにと思うなら拒絶して分離を強める結果となります
赦しをするなら
感情(投影)を受け入れる前に必ずしなければならないことがあります
それは感情を『受け留める』ことです
除外、排除する前に踏みとどまり受け留めます
③の意味が一番近いです
今感じている不快な感情は自分のものと認識して一旦自分の内に留めなければなりません
赦しの過程を言語化するなら
たとえその感情が不快で苦痛な感情であっても、自分から湧き出た感情を正しく幻想直視するなら
聖霊の翻訳によってその感情は
とても愛おしい愛すべきものとなります
本性の愛の存在である私達と同じものに見え感じられるようになります
嫌な感情が消え去ることが赦しの結果ではありません
嫌な感情だと信じていたものは
実は自分自身と同じ(違いのない)愛そのものだったと認識することが聖霊のヴィジョンと言われるものです
これは明確な知覚で認識されるものです
この世界で起こり得ないという信念が誰の中にも無意識にあります
ですから『奇跡』という概念を自分の許容範囲に留めようとしてしまいます
しかしこの世界において愛を認識できる奇跡を信じてください
それは決して怖いものではありません
そのような見方をする為にも
感情は排除せず自分の一部として扱う態度が必要になります
愛そのものである自分の一部(感情)を嫌うということは自分を嫌うと同じことです
そしてこの世界では自分を嫌うことが叶えられてしまいます
自分を嫌うなら
自分から湧き出た感情も受け入れることはできません
とてもそうは見えなくても
その感情はあなたと同じ愛そのものです
まずは一旦受け留めてあげて
「あなたは私と同じ愛なんだね」と言ってあげてほしいです
やっと気づいてくれたと喜んで
あなたの為になることをしてくれるかもしれません
期待せず
感情を自分のものとして受け留める
やっぱりムリならそれでも大丈夫
いつでも愛は
嫌って捨て去っている自分の一部を受け入れる(統合する)為にあなたの元にやってきます
繰り返し
繰り返し
チャンスは無限にやってきます