![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/172256270/rectangle_large_type_2_6ca03add82e8bab74ed7d71478028c82.jpg?width=1200)
愛を見失っても、失う人はいない
愛を見失うことはある
でも失うことはない
見失うことすら絶対の愛の中で起きている
見失っている時
私は不安になり絶対の愛を信じることが難しくなる
愛に触れている時
気づいている時
私はその優しさに包まれている感覚を感じる
ホッとできる
安心できる
癒されている
喜びがある
本物の感覚
その時間こそこの世界で感じれる神の愛なのだと理解できている
人間意識では愛は見失しなわれている
何かを(愛の代替)求めてやまない
愛の代替え(偶像)を求める
でも真実の愛になるものなど何も無い
目に映る表面的なことの変化に心を痛める
でもそれも心の投影なのだと受け入れるなら
愛からのサインとして
与えられている事が分かる
そのメッセージを真剣に聴きたい
そこにしか私の求めているものはない
私の考えの責任を果たす時は恐れとの対峙
何かを失う感覚に陥る時もある
その時失ったように感じるものに真の価値などない
愛を見失っている時
愛を見失っている人に反応する
他者を裁きたい時
受け入れたくない時
自分の正当性を主張したい時
ただそれだけが起きている
私は神から与えられているものを
いつでも喜んで使えるようになる訓練をしなければならない
義務ではなく
本気でしたいかどうか問うなら
「したい」
「今はしたい」が心の感覚としては、違いけど
それでいい