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誰かが私を殺したいと思っても構わない

突拍子もないタイトルですみません

一週間ほど前に車を運転中になんだか胸がザワザワしだしました
「私は今日死ぬかもしれない」と突然そんなことを考えはじめました

今日死んでしまったら色々と困るなぁと思ったのですが今回はそこではなく
感じたのは「殺意」だったのでそこを見ていきます

思考では
誰か私のことを疎ましく消えてほしいと思っているのかなぁ
とまず考えました

その日の夜見た夢では敵意をもった人間に背中を繰り返し刺される夢を見て
痛みがリアルで目が覚めてからも痛くて痛くて思い込みの力って凄いと改めて実感しました
その時になって、私が私の消したい(抹殺したい)部分があるから投影を使い知覚を感じていたのだとやっと気がつきました

自我の私の一面に持っている「殺意」というおぞましい部分をまだ赦していないので
それが浮上しているのだとわかりました

でもまだこの投影をどう見ていこうかと躊躇する思いが強くグズグズ先延ばしする選択をとりました

そしてここ数日過去の私の体験がフラッシュバックされるようになりました
18年前の私は、この世界の体験で苦しんでいましたが、まだそんな自分を正当化していました
私の身に降りかかる苦痛は全て人のせいだと思っていた頃です
その時辛いあまりにこんなことを考えていました
「みんな死ねばいい」

そんなことを考える自分にもの凄い嫌悪感と罪悪感を持ちました
「人を呪わば穴二つ」という人間が作った諺を信じていました

そんな自分を戒めるために
人に尽くす仕事をしよう
そして私のこの酷い考えを神様に帳消しにしてもらおうと考え行動しました
恐れを源にした行動なので結果は当然の如く苦痛は増していくだけでした

今なぜあの時も、それからも蓋をしてきたこの殺意の感情が知覚として感じたり映像として見えたりしているのか考えるなら
それを赦すタイミングなのだと聖霊が差し出してくれているということが分かります
私はこの間違った考えの責任を取るか取らないかの選択の時にあります

もちろん赦さないこともできますが
これが神(愛)を源にしたメッセージなのだと気づいたからにはもう避けることなどできません


「殺したい」という思いは「死にたい」という思いと同じです
自我は「死」を願望しています

しかしその狂った考えの奥には神の子の声が隠されてきます

殺したい
死にたいと考え苦しんでいるなら
こんなことを考える自分はコレではないと分かっているのです
この考えになんの抵抗も感じないのであれば
殺したい
死にたいという考えに葛藤など起きません
自己防衛すらしないはずです
本当の自分を知っている部分から
強いメッセージを受け取っているからこその葛藤です

メッセージに気づかないうちは苦しむことができるし
それを人のせいにすることができます
だからメッセージは隠されます
その考えの責任(勘違いの訂正)を取ることなどできないと信じているので聞く耳を持ちません
神から常にメッセージを与えられているなどと思えないし思いたくもないのが自分は卑小だと信じている自我(勘違いしている神の子)です


責任(勘違いの訂正)を取らないなら
神(愛)を拒絶しているので結果は苦しみ(分離感)の継続です

「私は本当はコレじゃない」という思いは「助けてほしい」という叫びです
本当の自分を思い出したいという愛(神)を求める強い欲求です
自分は愛だと知っているからこその叫びです
「みんな死ねばいい」と考えていた時、私はその自分を本当の自分ではないと心の深いところでは知っていたから苦しみを感じていました
ただ勘違いを解いて思い出したかったのです

この世界には誰かを殺しても構わないと自分勝手に見えている人達がたくさんいます
常にそんなニュースを目にします
自分の身を守る為に人殺しも構わないと戦争を起こす冷酷非道でおぞましいとされる人達もいます
過去の人類の歴史を見てもそんな人達はたくさんいました
これは自我(勘違いした神の子)の歴史です
今の自分はニュースの伝えるおぞましさとは関係のないこちら側にいると思っているのは
自我となっている私達の隠されている側面をただ他人ごとのように見ているからです


外に見える自我の考えを自分ごととして見る覚悟があれば
自分の中には様々な見るに耐えないものを持っていることが自覚がされます
今の自分には現れてないので
私はソレではないと思ってしまいます

苦痛の感情の下には本当の自分ではないで苦しみから解放されたい欲求が隠されています

「死にたい」と感じていた私の願いは「生きていることを(霊的に)実感したい」です
「みんな死ねばいい」という思いには「みんな(自分を)を助けたい」という霊としての願いが隠されていることに気がつきます


それを今狂気を信じてしまっている外側の兄弟にも見てとれます
あの時の拒絶した感情をやっと自分のものとして
私が感じたかったものはこれだったのだと納得して受け取ることができました

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