信じる(古事記の学び9/13)

息子が適応障害と発達障害の診断を受けた。

学校に行けなくなってしまった。

勉強するのがいやだ。

自転車で学校行くのがいやだ。

怒られるのがいやだ。

夏休みの宿題も全くやれていない。

友達もいないし、何を話せばいいのか分からない。等々言った。

まあ、パワー不足。になってしまったってことだろう。私の愛情が足りなかったんだろう。

私は、男の子だから、会社のお役に立つ人に育てなければならないと思った。

稼げる人に育てないと、結婚でもしたら、嫁、子供が困ってしまう。そのためには、心身ともに健康に育てないと。

失敗は許されないよって、自分にも厳しく、子供にもそんなメッセージを知らず知らず送ってしまったのかも。

だから、誰かが不登校になったと聞けば不安になった。うちの子は大丈夫でよかった。正直きりきりしてて、ひやひやしてて、怖いだけだった。

去年の息子は受験生なのに全然勉強してないことは私も分かっていた。その頃からおかしかったのかも知れない。ストレスためているのは私の目から見ても分かった。高校入ってからも食欲ないし暗い顔してたから心療内科に通わせた。だから安心してしまった。そんな病気になるなんて思ってもみなかった。心理テストみたいなものも受け結果は凸凹の人とのこと。その時は何も先生言わなかったけど「生き辛いかもね」と言われた。発達障害は困りごとがあれば「障害」なければ「個性」と捉えられて、通常の病気のような診断にはならないみたい。今回学校に行けなくなるという困りごとが出たので、初めて発達障害といわれた。

確かに、塾の先生から「うっかりミスが多すぎる」と言われたし、中2の頃は「誰とも話さないんですよ」と担任の先生に言われたし、小1の頃は息子は怒られていない、友達が怒られてるのに、何故か息子がポロポロ涙を流してるのを見た先生が驚き、繊細ですねーって言われたこともある。色々あるには、あったけど、発達障害特有の症状は見られなかったから気づかなかった。たぶん弱い症状なのだろう。でも、結局、社会に適応することはとてもとても難しい人なんだと思う。

さあ、どうしよう。

こけた。

意外と深刻な気持ちは今のところなく、むしろ霧が晴れたような気持ちである。もう、辛い子育てしなくてもいい。立派に育てなくてもいい。自分にも、子供にも甘甘で楽でゆるゆるでなんでも許される子育てに戻れると思うと正直ホッとしてる。

息子が望む母親はどんなだろう?

心配しないでほしい

心配そうな眼差しでみないでほしい

不安をぶつけないでほしい

信じてほしい

口先だけではなく大丈夫だと本気で思ってそう言ってほしい

ガハハと笑っていてほしい

許してほしい

と思うかな。

だから、そんな母親にならないといけない。

信じられないと思うこともあるかもしれない。揺れてしまうこともあるかもしれない。でも信じることから動いちゃダメだよって思う。そうすると良くない思いで潰される。

古事記の先生からも、信じること、たとえどんなことがあっても母親なら信じること。

過去の私の育て方が悪いから未来はないなんて思わないこと。過去は関係ない。今から未来を変えればいい。人生コツコツ。一気に変わらない。一気に変わったら疲れちゃう。一歩ずつ歩いて行こう。

日に向かって生きていこう

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