自分が病んだ環境を手離せないのは、執着とそして縁という話
先日からブツブツと暗い話ばかりで
恐縮ですが、私が自分の内面と向き合っていく為の作業なので、淡々と振り返り記して行きたいと思います。
親に虐待されて育ったものの、私は親の言うことに逆らえず、寺を継ぎました。学校ではそれは「お前の選んだ道で、嫌ならば辞めてもいいよ」と
言われました。それはその通りで、途中で辞めれば良かったのです。嫌ならば。
妹には愛情を注ぐ父親に振り返って欲しかったのかもしれません。私はそれを渇望していました。
だから、意地でも住職にしがみつく必要があったのです。父親だけではなく、みんなに振り返って欲しかった。私は鬱の時期が長く続き、抑制されていた為、初めは寺を嫌々していました。何故生きているのかと、自分を忌み嫌い、憎んで暮らしていました。
コロナ禍直前、私は忙しくて躁転し、それがきっかけで寺が面白くなり始めました。私があけすけにものを喋ると、門徒さんとの距離は近くなりました。
鬱期に失敗して、疎遠になっていた門徒さんとの関係を回復する事も出来ました。
同時期にハマった庭仕事も楽しかった。
母と旦那とは、まだ対等ではありませんが、
それでも、「自分の思っている事を伝える努力」はしていかなければならない。それは私自身の人間性の回復に繋がると思っています。
私は寺で一生生きていくと思います。旦那とはどうなるか、今は分かりませんが、寺は私の道場で、
私のコミュニティだと思っています。
私が「人間」になるまで、寺で踏ん張ってみます。
私に向けて非常に重要なヒントを下さった方に感謝しながら、自分の方法で足掻いてみるつもりです。ありがとうございます。決して無駄にはしません。
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