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「不快」と「あきらめ」への変化

不快という名の銃弾を、体内から取ろうとしていた。傷をえぐってえぐって。

しかし不快銃弾は体内に残り取れず、傷と出血によって更に精神がやられていく、という感覚だった。

これではだめだと思い、今冬くらいに下記のような思考と感覚になった。

【どうしようもないことを「諦め」られてハッピーなつもりが、それだと味のしない料理を口にほおりこまれてオエオエしているのと似ていると気づいた】

なるほど、一応対策はしたもののまさかの味気なさで、むしろ不快を感じることを肯定していた。


そして今夏、「不快やあきらめ」についての感覚が変わった。

【見ない、考えない】になった。

不快を感じる

できるだけ触れないように過ごす

逃げかもしれない。
でも、向き合ったところで何もできないのなら、もうこうやって「あきらめ」ていくしかない。少なくとも現在の自分をなんとかなだめるためには、この方法がいい。

味気なさはない。
むしろ、恋愛する前のフラットな「わたし」に戻れる日が多くなってきた。

どうなるんだろうか。


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