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コマ切れされる時間

 リンダグラッドンのWORKSHIFTを読みました。この本は、これからの社会の状況や暮らす環境の変化を今までの歴史や現在起きている事象の分析から予測し、それらをもとにした現実性の伴った想像力で、未来の社会で生きる人の生活を描いています。変わりゆく社会に翻弄される人、柔軟に適応していく人、それぞれの物語を読むことで、読者は未来の暮らしを追体験し、創造することができる本です。

この本の物語に出てくる登場人物の中で、印象的だったのが2025年にロンドンに住むジルの暮らし・働き方です。朝6時に目覚めると、夜の間に300件のメッセージが世界のあらゆるところから届いています。返信する間もなく、ホログラム(立体映像)での電話がかかり、その後はアバターを使ったオンライン会議、、、。ジルはまさに分刻みのスケジュールをこなしていました。そんなジルの多忙な暮らしを著者はこのように分析します。

あまりに多忙な日々を送るようになると、一つのものごとに集中して取り組むことが難しくなり、じっくり観察して学習する能力がそこなわれる。また、仕事の世界に気まぐれや遊びの要素が入り込む余地も奪われてしまう。

『WORKSHIFT』リンダグラッドン著・池村千秋訳P78

この多忙な暮らしの問題点の1つは、遊び心や創造性を発揮したり、流れに身を任せることができない点にあるといいます。確かにジルは与えられた仕事をこなし、目の前にめまぐるしく降りかかる課題を次々にテクノロジーを使いながら対処していきます。しかし、飛びぬけた能力を磨くための時間や、偶然性の高い機会がありません。このように日々に追われる生活をしているジルは、一日の終わりにテレビをつけ、環境問題に取り組む活動家の映像を見ますが、見終わる前に寝落ちしてしまいます。

これらの物語を読み、「忙しさ」について考えさせられました。私自身の暮らしでもLINE やZOOMの通知が来たり、深い話の最中に終電の時間を気にしなければならなかったり、目の前の人と話しているのに次にタスクがちらついてきたりします。時間がどんどん細切れになり、テクノロジーに振り回されている感覚になっていました。しかし、越境先の同世代や、先輩方と会うと、自分よりとんでもなく忙しいのに、いきいきしているように見える人達も見てきました。そのため、遊び心を失わないためには、「仕事の量としての忙しさ」という単純なものではないのかな、と考えました。本をさらに読み進めると、ヒントになる文章がありました。

仕事と遊びの境界線をあいまいにすることだ。〈略〉しかし、時間に余裕がなく、自分のスケジュールを自分で決めているという実感を持てなければ、これを実践することは難しい。

『WORKSHIFT』リンダグラッドン著・池村千秋訳P84

同じ忙しさでも、自分の意志によるものか、外部から降りかかってくるものかによって、仕事を楽しいと感じられるかは変わってくると感じます。なんとなく目先の課題ばかりに目が取られて、忙しさにかりそめの安心をしているようでは、自分の暮らしを楽しくすることはできないと思いました。与えられた依頼、届いた通知に、本当にめまぐるしく対処し、すべてを受ける必要はあるのか。ひとつひとつの選択にもう一度向き合い、自分で暮らす環境を自分で作っていこうと、読んでいて気づきました。


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