『さよなら絵梨』のいる日常
(前書き:読書感想エッセイを書こうと思っていたけど、どぉんどんフィクションになぁっちゃった。二次創作とも言える)
左を向くと、漆黒の少女がいた。
最初に『さよなら絵梨』を手に取ったとき、1ページしか読めなかった。
それはもう出かける時間だったからだ。
パラパラっとめくってから閉じた。
その一瞬で、コマ割りが全体的にほぼ統一されていることがわかる。『サザエさん』のコマ割りで描かれている。
もしかしたらスマホの画面を意識しているのかもしれない。
その人は、藤本タツキさんの作品が好きだとか言っていたような気がするから、行きと帰りの電車に揺られながら、以前途中まで読んでいた『チェンソーマン』をちょっと読み返してみた。
また、『ファイアパンチ』の1,2話を読んでみた。
好きと言う作品の空気感だけは掴めそうな気がした。
夜、寝る前。
『さよなら絵梨』の表紙に貼られたふせんに
「こちらも面白いので
ぜひ!!きっとこっちも
気に入ります(優しい顔文字)」
と書かれている。
この本を私に紹介してくれた人は自信があるらしい。
このふせんで表紙に描かれている大事なことを隠す目的があったりするのだろうか。そんなわけはないだろうけど、ふせんは剥がさないでおくことにした。
翌朝、仮眠をとっていた。
早朝業務の終わり際、眠くて事故りそうなくらいだった。
だからさすがに仮眠をとった。
15分のタイマーが切れて、枕元に置いておいた目覚まし代わりの『さよなら絵梨』を開く。
絵梨と名乗る人物が主人公に映画を長時間観させるシーンが出てくる。
はっとした。
これは『チェンソーマン』にも出てきた。
足を上げた反動を利用して起き上がり、今川焼を2つ、レンジで加熱する。
待ち時間で冷蔵庫と会話しながら、表紙に描かれる絵梨という人物が気になってしまう。あぁいうミステリアスな瞳を描くのが藤本先生はきっとうまいのだろう。
今川焼を頬張りつつ、ネットニュースに目を通す。
バスケットボール日本代表に、絵梨の名前はなかった。
ふくらさんと結婚したのは絵梨ではなかった。
そろそろ洗濯ものを干さなければならくなって一度席を立つ。
いや、今川焼が私を引き留める。
君は甘いな。
なんとか洗濯物を干し終えて、再び『さよなら絵梨』を手に取った。
出発までの時間が迫っていたから、衝撃続きの展開でも早々とページをめくってしまった。罪悪感。
そしてやるべきことから離れて『さよなら絵梨』を読んでしまった。これはもはや快楽。
支度をして宿を出る。
山手通りに注ぐ赤外線は内臓を煮えたぎらせ、紫外線は皮膚を炒めつける。
行きの電車で『ファイアパンチ』3〜5話を読んだ。
渋谷駅はどっと人が降りるから怖い。
日中、黒塗りのコマを時々思い出してはどんな意味なのか考えた。
沈黙。
絶望。
熱情。
炭になった精神の渾身。
睡眠。
絶交。
愛好。
癌になった青春の残像。
それから、何日たっただろうか。
真っ白で先が見えない雲の中のような空間を進む、一隻の豪華客船のテラスにいた。
風が来ない。潮の匂いもしない。空気はある。
左を向くと、絵梨がいた。
黒い湿った髪。
奥が見えない瞳。
真顔なのに笑っている。
あれ。
髪色は黒じゃないのか。
実は白色なのか。
いや、きっと私の想像次第。
そう考えて目が覚めた。
時刻は日付が変わったばかりの零時だった。
パソコンを立ち上げて何となくYoutubeを開く。
2045年7月8日。
あれ、おかしい。
視界が曇っているのだと思い洗面台で目やにを取ってから、再びデスクに腰を置く。
やはり2045年7月8日。真っ黒なサムネイル。
真っ黒だが、羊羹みたいな色。
タイトルは、「羊羹みたいな恋」
は。
気がつくと、吐く息に鉛が含まれているみたいに重たい。同時に胃が低い歓声を上げる。
コップにある水を一口飲み込んでから、その動画をクリックした。
すると絵梨を映したフィルムが次々に流れ始めた。
絵梨のいた場所は、タバコ臭い地下のカフェだったり、映画好きばかり集まる薄暗い映画館だったり、西武新宿線の小さい踏切だったり、自由律俳句の落書きがある廃墟の前でだったりした。
走馬灯みたいに移ろいゆく彼女と過ごした日常が、溶け始めた羊羹に埋もれていく。
それを観ていると、絵梨はもう亡くなっているんだろうと思った。
最初は画面の右端に羊羹の黒があるだけだったが、だんだんその割合は増えていき、防ぎようのない津波のように、羊羹が絵梨を飲み込んでいった。
少なくとも、創造と破壊を同時に見た。
寒気がして、額に汗が流れ、本能に従うまま、『さよなら絵梨』を探した。
すぐに見つかった。肌触りの良いビニール袋の中にいた。
その人の所在は分からないが、貸してくれた人へ、返しに行くことにした。
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