テナーサックスと過ごした日々
私は若い頃に数年間、ジャズのビッグバンドに所属し、「テナーサックス」という楽器を吹いていた。
以前、以下の記事あたりで、そこらへんの話も書いている。
謙遜でもなく、あまり上手くはならずにやめてしまった。
決して、上達しなかったからやめたわけでもないと思ってはいるが、やめてから20年以上も経過する。
その間、「もう1度吹いてみようか」という気にもならなかったし、自分の中では既に「青春のほろ苦い思い出」になっている。
まあ、音楽から派生した「ここには書き辛い若き日のエピソード」みたいのも多少あったりするので、「ほろ苦い思い出」という表現がホントにしっくり来る。
ところで、飽きっぽい私が10代から20代にかけて「そこそこ続けた趣味」であり、「1人じゃできない趣味」の代表格と言えば、テナーサックスと空手であろう(映画鑑賞とか読書とかのソロ活動 ^^; は多いが)。
楽器とは対照的に、格闘技はやめた後も「今取り組んでいることが一段落したら、いずれ再開したい」とずっと思っていた。
そして、かなり後からにはなったが、格闘技については再開し、この年で未だにやっている(ちょいちょいサボるのだが)。
そういう意味では、楽器と比べて、格闘技の方が好きということなんだろうか(サボるのだが)、、、とか考えてしまったりもする。
自分自身のテディベアのような性格を考えると、それも不思議な気がするが。
話が「楽器」と「格闘技」の間を行ったり来たりするが、小学校2年生のときに映画『ブルースブラザーズ』を観て、あんなに憧れたテナーサックスをついにゲットし、一時期は夢中で吹いていた時期もあった。
それにもかかわらず、あるタイミングを以てスパッ!とやめてしまったのである。
それも何か大きなことを成し遂げて「燃え尽きた」というわけでもなく、そこそこ大き目のライブを控えていたタイミングでやめたのだ(当時のコンマスには迷惑がられたが、熱意がなくなった)。
因みに、上に書いた「コンマス」というのは「コンサートマスター」と言って、簡単且つ雑に説明すると、各プレイヤーの演奏を統率し、全体として統一感を持った音楽として仕上げる「演奏時の監督」みたいな位置付けである。
「演奏時の監督」と書いたとおり、私が所属していたジャズバンドには「バンドのリーダー」と「コンサートマスター」がそれぞれいた。
実はバンドを抜けると言ったとき、コンマスからは「ハミを次期コンマスにしたいから、ぜひ残ってほしい」と遺留された。
別に20年以上も前にコンマスに見込まれたんだぜ!みたいなことを自慢する気持ちもなく、その方とは何かと相性が合っていた気がするので、技術的に秀でているから次期候補にされたわけではないと思っている。
そして、そのことも正直「重く」感じて結局やめてしまい、脱退(=楽器とのお別れ)もあまり心地良い印象が残っていない、ということを書きたかった。
やはりビターな思い出である。。。
冒頭に紹介した記事にも書いたとおり、今もジャズやR&B含め「テナーサックスが良い仕事してる音楽」を聴くのは好きだし、何が原因で「熱が冷めた」のかは未だによくわからない。
私の人生にはたまにこういうことがあるし、、、誰の人生にも有るのだろうか?
そんなこともあって、テナーサックスのことを思い出すと、ついつい同時期に続けていた「空手 = 格闘技」と比較してしまい、上に並べてクドクドと書いた次第である。
今もサボりながらダラダラと続けている格闘技を「ずっと適温のラジウム温泉」のような存在だとすると、テナーサックスは青春時代の一瞬ではあったが、紛れもなく「熱く煮えたぎる登別の地獄谷」であった(たとえが意味不明過ぎる!)
そう言えば、スパッとやめたテナーサックスではあるものの、やめた後の人生で、何度も何度も夢に出てくる。
以前、夢記事を書いたこともあるが、今度「何度も繰り返し見る夢」という記事も書いてみようかな。
近年、ついにあまり見なくなってきた気もするが、「久しぶりに、またテナーサックスを再開してみた」というのも「「何度も繰り返し見てきた夢」の1つである。
そして、夢の中でテナーサックスを吹くのだが、100%、完全に絶対に例外なく「音が出ない」のである!
小学生の頃、私のぶっきらぼうな叔父が持っていたトランペットを初めて吹いた日、口の形が分からず、全く音が出なかった。
何度吹いても「フゥー、フゥー」という息が漏れる音しか出ず、とても悔しい思いをした。
あまり乗り気でなく且つぶっきらぼうな叔父に、「ちょっとだけ音出して!お願い♡」と必死に頼み込み、たった一瞬だけ「プーッ!」と音出ししてもらったときは、「おぉ~っ!これこそラッパの音だ!」と偉く感動した。
その後、「ねぇねぇ、もっと吹いて!」とお願いしたのだが、「おいおい、酔っ払いの宴会じゃないんだから、何度もやるほどのネタじゃねえよ」みたいに断られてしまった。
経緯は分からないが、叔父もトランペットに対して、何がしかの「ビターな思い出」を背負っていたのかもしれない。
吹いてはもらえなかったものの「そんなに好きなら、お前、それ持って帰って、抱いて寝てろ」とトランペットを譲ってもらい、今でも私の実家でテナーサックスと並んでいる(因みに、フルートもどこかに有った筈!)。
さて、トランペットと異なり、テナーサックスは「音」自体は初めて吹いても案外出るものである。
カッコいい「これぞサックス!」みたいな音を出すのは難しいが、リコーダー感覚で吹いても「ブー」みたいな「カッコよくない音」であれば、すぐに出る。
そういう意味で、夢の中の「絶対に音が出ないサックス」というのは、非現実的な話であり、当時の劣等感とか、中途半端に終わらせてしまった後ろめたさみたいなものが誇張して現れているようにも感じる。
でも、10代の頃の恋愛を貫く人もいるけど、何だかんだで別れを迎える人の方が多いでしょ? みんな、そういうもんでしょ?
でも、テナーサックスという楽器を思い出すたび、一時はあんなに求めあった仲であるのに、今や全く吹かれなくなった彼女(?)の半ば怨念めいた切ない感情が私の胸を突き刺すようで、苛まれるような気持ちになるのも事実である。。。
、、、そんなこんなで、、、
突然始まる緊急企画!
~ 心の中のテナーサックスよ
成仏してくれ ~
[私のしょうもない
テナーサックスあるある10選!]
イエーイ!🎊 ワーワー!キャーキャー!
チャカポコチャカポコ!
あー、踊る阿呆に吹く阿呆!
同じ阿呆なら、もうええやん♡ 無理に変わろうとしなくても♡
そんな自分を愛してくれる人を見付ければ、、、それで、、、ええやん♡
よし、関係ないけど、
ついでにお前も出てきて盛り上げろ!
個人的あるあるその1
「ケースがデカくて切ない」
まあ、テナーサックス自体がそこそこデカいので、それを入れるケースがデカいということである。
じゃあ、なぜ「楽器がデカい」と書かないのか?
当然のことながら、移動のときに楽器を裸で持ち運ぶわけにいかず、ケースに入れることとなる。
そして、テナーサックスを入れたケースというのが、デカく重いのである。
その辛さを思い出すと、楽器そのものというより、「ケース、デカっ!」という印象の方が強烈なのである。
売れているプロのミュージシャンなど、「荷物持ち」がいる場合もあろうが、基本的に趣味で音楽やってる人なぞ、自分の楽器は自分で運ぶというのが普通だと思う。
もちろんドラムとかピアノなど、1人で運ぶのが困難な楽器を除いての話である。
むしろ、意味なく自分の楽器を人に運ばせてるとか、、、何か個人的には違和感があるが、「後輩が先輩の楽器を運ぶ」みたいなカルチャーがあるバンドとかってあるんだろうか。。。
テナーサックスという楽器を選んだ際に、この「持ち運び」に後々まで苦しめられることになるというのは、予想だにしなかった。
込み合った電車で移動するときなど、隣の見知らぬ人にケースの角がゴツッ!と当たろうものなら、迷惑この上ない話である。
好きでテナーサックスを選んだわけであるが、移動のときだけは、アルトサックスやトランペットの人などを見て羨ましく感じたものである。
私が所属していたジャズバンドには、テナーの上を行くデカさ(重さ)の「バリトンサックス」が居たが、当時、そのメンバーとケースのデカさについての遣る瀬無さについて話したことはなかった。
最初に選んだ楽器の縁で、その後の移動時の運命が決まるという話である。
個人的あるあるその2
「首が痛い」
これも楽器がデカいことに起因するという意味で、その1の「ケースがデカい」と同じ呪縛に捕らわれた話である。
サックスは、リコーダーのように手の力だけで支えるには重たく、安定もしないので、楽器にストラップを繋げ、それを首に掛けるのである。
要するに、楽器の重量を首で支えるかたちになる。
慣れてくると、この重量にも耐えられるのだが、それでも重いことは重い。
バンドで練習した初日に、ほとんど座る時間もなく、楽器を置くタイミングもなく、翌日、首に嫌な痛さが残った記憶がある。
個人的あるあるその3
「前歯に響く」
テナーサックスは、マウスピースを口で咥えて音を出す楽器である。
たびたびリコーダーを引き合いに出すが、リコーダーの場合、唇で咥えて息を出せば、そのまま音が出る。
ただし、サックスの場合、口でマウスピースをガッチリと固定する必要があり、上の前歯でしっかりとマウスピースを噛むのである。
そして、その状態で息を吐いて音を出すので、楽器の音というか振動がマウスピースを通じて直に前歯に「ズズズーッ」と響くのだ。
これも慣れるまでは、何とも気持ち悪く感じたし、これが原因で前歯が少し出っ歯になった(?)ような気もしないでもないが、、、これについては他のサックス奏者から「適当なこと言うな!」とクレームが来てもイヤなので、私の勘違いということで。。。
個人的あるあるその4
「下唇の裏が切れる」
さて、これも口でマウスピースを固定することに起因するという意味で、その3の「前歯に響く」と同じ系列の話である。
上は前歯でマウスピースを噛んで固定すると言ったが、そのままだと下がユルユルになる。
下はと言うと、同じく下の歯でマウスピースを噛んで固定することとなる(「リガチュア」という留め具でマウスピースに固定した「リード」という木片を噛む、と書いた方がより正確かもしれないが、それらの話はややこしいので後ほど)
ただし、上の前歯と異なり、下は(下)唇の上から(下唇ごと)マウスピースを噛むので、長時間ガッチリとマウスピースを口で固定することにより、下唇の後ろに歯型がクッキリと残ることになる。
口の中の粘膜が激しく断裂して流血するレベルで強く噛む必要はないので、こちらは慣れてしまえば大したこともなく、口内炎並みの痛さが伴うなどの大仰な話ではない。
例えて言うなら、ベーシストが最初は指のマメとかに若干苦しめられるが、その内慣れてくるような程度のものである。
個人的あるあるその5
「リガチュアをきちんと締めないと、
カッコ悪い音が鳴る」
先ほど少し言及した「リガチュア」という留め具であるが、さすがに画像がないと分かり辛いので貼る。
上の画像の「マウスピース(黒)」と「リード(木片)」を固定しているメタルの留め具が「リガチュア」である。
さて、ここらへんになると、個人的な話となり、同じようなことを感じるサックス奏者がいないかもしれない(汗)。
サックスはそもそも上の画像のリードを振動させて音を出す楽器であるため、仮にリガチュアが緩すぎてリードがマウスピースに固定されていない場合、きちんとした音が出ない。
ただし、私がたまに辟易したのが、リガチュアの固定が悪かったり(?)、あるいはリガチュアとリードが互いにフィットしていない(?)にように感じることがあり、サックスの音は出ているのだが、何かリードの横あたりから「ピーピー」と何とも不快な雑音が出たことがある。
これはさすがに演奏自体に悪影響が出ており、音楽を邪魔しているわけなので、深刻な問題でもある。
、、、というか、深刻なことに「その5」で既に何ともマニアックな話をしてしまった(と書いている内に気付いた)。
そもそも、これって楽器の上手い・下手の問題でなく、私の締め方が甘いとか、そもそも金属、プラスチック、木片の材質の特性を理解していないとか、頭の良し悪しの問題かもしれず、恥ずかしい、、、ので、ここらへんで次に移る。
個人的あるあるその6
「リードが割れると懐が痛い」
先ほどの画像のリードが、結構割れるのである。
割れると音が出ないか、少なくとも正常な音は出なくなるので、交換することになる。
リードは基本的に消耗品であるため、当時、単なる貧乏学生であった私の懐には結構厳しかった。
リードが割れる頻度は、ギターの弦が切れる頻度よりも圧倒的に多いという印象である。
たまにリガチュアの締め方が雑だったり、急いで乱暴にマウスピースに留めたりすると、早々に割れてブルーな気持ちになったりしたのを覚えている。
やはり、上のリガチュアの締め方といい、私の手先が不器用という話なのだろうか?
個人的あるあるその7
「唐突に指を蝕む謎の汁」
みんなダレてきた頃だと思うので、タイトルを「10文字ホラー」っぽくして怖がらせてみた。
ついに「その7」であるが、ボクシングの世界タイトルマッチも7~8ラウンドあたりが一番辛いらしい。
ん? すると本企画は10ラウンドなので、もう既に辛い時間帯は過ぎたのか?そうか、完走までもうすぐだ。頑張れみんな、頑張れ私。
さて、サックスは管楽器なので、中に唾液が溜まる。
そして、パッドという指で押さえる蓋の下を伝うように、いきなり指とかに「タラ~ッ、、、」と唾液が垂れてきたりする。
「謎の汁」の正体は「唾液」であった!
まあ仕方のないことではある。
こんなことに動揺している自分が浅はかであり、むしろ唾液が出る正常な体であることに、感謝を忘れてはいけないという教訓が隠された話なのかもしれない。
徳が獲得したもののみが不動なり。君子は本を務む、本立ちて道生ず。唾液が垂れたっていいじゃない、人間だもの。アガペー。考える葦。無償の愛。。。
少し浅はかな自分を戒めるための「ありがたそうな言葉」を書き連ねてみた。
、、、次へ行こう。
個人的あるあるその8
「スワブが洗濯機の中でガラガラうるさい」
さあ、ホラーの次はミステリーである。
何を書いてるんだ?という方が多いかもしれないが、「スワブ」というのは、先ほど書いた「サックスの中に溜まった唾液を掃除するための布」である。
先端に重りの付いた紐をサックスの片方から中に入れ、シャカシャカ振って反対側から取り出すことにより、布に唾液を吸収させるのである。
当然、毎回洗濯しないと汚いのだが、一度母に「ほかの服とついでに洗っておいてん」と甘えて洗濯をお願いした際、「洗濯機が回るたびにスワブの重りが壁に当たってカンカンうるさい!」との苦情を受けた。
個人的あるあるその9
「音がデカいので、家で練習できない」
まあ図体もデカけりゃ音もデカいテナーサックス、余程ブルジョワジーな家に住んで居られたり、周囲に民家がないような山奥に住んでいる場合は別として、基本的に家の中での練習には馴染まないと思う。
家の中で練習できる楽器は便利でよいと思うが、エレキ系以外の楽器をヘッドフォン併用で練習するような場合を除き、ホントに近所に気兼ねなく練習できる楽器って、そんなにあるのか?
管楽器はほぼ壊滅的だし、アコースティックギターやバイオリンなど、アンプラグドで聴かせられるような弦楽器もそこそこデカい音が出る。
私の姉が一時期バンドを組んでドラムをやっていた時期があり、「音の出ない練習用のドラム」を買って叩いていたことがあったが、それでも隣のおばちゃんから苦情がきた。
貧乏学生の私には、スタジオを借りたり、都度カラオケボックスに行くなどという選択肢は思い付きもしなかったので、サックスの練習場所の候補は「バンド」か「川原」か「チンドン屋」であった。
(ラスト)個人的あるあるその10
「カッコいい!」
さあ、お待ちかね(待たせた?)の「あるあるラスト」であるが、この「カッコいい」のひと言に尽きる。
このカッコよさを味わうために、みな「デカいケース」の持ち運びに日々耐え続けているのである。
たまにシンセサイザーとかで、ほかの楽器の音を創り出したりすることがあり、楽器によっては「ほぉほぉ」とそれっぽく聴こえたりする。
ただし、サックス以外の方法により、サックスの音を上手く再現した例を未だに1度も聴いたことがない。
サックスは、サックスにしか決して奏でることのできない独特の色気ある音を出す楽器である。
(代替可能な楽器と言うものがあるのか分からないが)サックスは唯一無二で代替不可な楽器であり、サックス以外で「サックスっぽい楽器」というものはなく、サックスがなすべきことを替わりにできる楽器もないと思っている。
逆にサックスがほかの楽器の代役を務めることができるか?と言うと、それも心許なく感じるところであり、サックスはサックスにできることしかできない、ただサックスにできることは誰にもできず、その一種「潔い」といえる魅力に憑り付かれると、10代の頃の私のようにほかの楽器と明らかに違う存在となってしまうのである。
楽器に優劣があるわけでないので、エレキギターに憑り付かれた人、ピアノに憑り付かれた人、シロフォンに、、、と、手繰り寄せられることとなった「楽器」と各々の「心」の間に似たような共鳴が発生していることであろうと思う。
それこそ、1つの楽器を真剣に演奏している人が、それを「代替可能な楽器」と捉えている人など、ごく少数であろうということは十分承知している。
サックスは、その色気ある音色のほか、歌うように吹くことができるという点も大きな魅力であると感じている。
歌うように演奏する楽器であるため、何かとソロもゲットしやすい。
何をカッコいいと思うかは人それぞれであり、リズムセクションもカッコよいわけであるが、とりあえず「目立ちたい人」性格の人には向いている楽器だと思う(私がそういう性格という意味ではない)。
アルトでなくテナーを選んだ理由は、テナーの高音で自由に歌う合間を縫って、たまに「ブボッ!」と腹に響くような低音が最高に痺れるからである。
、、、やはり、感性で演奏する楽器というものの良さを言葉で説明しようとすると、いつも本当に伝えたい何かを伝えることができないような、もどかしさを感じる。。。
以上、何ともしょうもない「あるある」になった気がするが、あまりカッコつけて書いて、もっと長期にわたって真剣に続けてる方から「それはちょっと違う!」とかお叱りを受けてもカッコ悪いので、こんな感じになった。
テナーサックスについて、もっと高尚な意見を書かれたい方は、ぜひ本記事を引用いただき、私に「あなたの記事が話題になっています!」の通知なぞ飛ばしていただければと思う ^^;
そういうことで、遠い昔に愛し合ったテナーサックスを思い切り振り返った。
そして、最後には褒めちぎった。
さあ、私の心を彷徨うテナーサックスよ、安らかに眠れ。。。
(完)
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