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心を合わせて紡ぎだすハーモニー

※ 写真: 谷川俊太郎 詩  信長貴富 作曲 
  混声合唱曲 「未来へ」 

混声合唱団について

 この週末、仲間とささやかな宴会をした。
 私が所属している混声合唱団の男声部会の集まりだ。

 新型コロナの影響もあり、実に3年ぶりの飲み会である。

 私が所属する合唱団は、来年で創立40周年を迎える合唱団で、数年ごとに定期演奏会を開催し、地元の祭りや音楽祭などでも一役を担うなど、地域に密着した活動も行っていて、団員数は約50人を数える。

 団員の年齢層だが、その歴史にも相応して少々高齢化が進み、還暦を過ぎた私でも「若手」に数えられている。
(40年前は、皆、若かったらしい。)

 団員諸氏が合唱団に入った理由は、それぞれ異なると思うが、純粋に
 「合唱をしたい。」「合唱が大好き。」
という人もいれば、
 「お付き合いで入った。」
という人もいるかも知れない。

 中には、
 「いろいろな人との交流が楽しみで入った。」
という、社交が目的の人もいるだろう。

 私の場合は、学生の頃少し合唱をかじったこともあり、
 「定年退職後はどこかの合唱団に入って歌を歌えたらいいなあ。」
などと考えていた折り、タイミング良く、知り合いの団員から誘われたこともあって、長らく遠ざかっていた合唱のハーモニーを楽しんでいる次第である。

 やっぱり、「合唱はいいなあ。」と思う。

 そんな中、齢80歳を超える男声パート最年長のH氏は、この合唱団に参加している理由を、
 「俺が参加しているのは、こうやって飲み会がやりたいからさ。」
と楽しそうに話してくれた。

 それも、一つの生き甲斐たり得る理由ではある。

 聞けば、H氏は、しばらく前まではいくつかの合唱団を掛け持ちで参加していたそうだが、H氏の低音は、テノールの私には出したくても出せない「魅惑のバス」というに相応しい天性の響きで、何より、実は合唱が大好きだということが「ひと耳」※でわかる。

 私にとっては、そんな仲間と出会えたことが、この合唱団に入団した一番の収穫である。

※ 一回見てわかることを「ひと目でわかる。」と言うが、一度聞けばわかることを何と言うのだろう。(独白)

合唱の楽しみ

 「合唱の楽しみ」について少し語りたい。

 冒頭、「心を合わせて紡ぎ出すハーモニー」と銘打ったが、これが合唱の本質だと思っている。

 技術的なことはもちろん必要で、団員1人1人がその声を響かせることが何よりも大切であるが、自分たちのハーモニーを響かせるためには、技術的なことよりもまず、合唱することが楽しくなければならないと感じている。

 一人一人の声を、心を合わせて一つの音に紡いでいくことで、美しいハーモニーが奏でられるのである。

 上手くはなくても、気持ちがつながればハーモニーは心に響いてゆく。
 どんなに上手くても、心が重ならなければハーモニーは響かない。
 音には、耳で聞く音と、心で聞く音があることを、いつも感じている。

 年齢を重ねると、若かりし頃の様に柔らかく伸びのある声を響かせることは次第に難しくなってくるが、気持ちさえあれば、声はある程度の響きを持って仲間や聞いてくれる人々に届く。と思うのだ。

 私たちも、定期演奏会にお客様を招いて演奏を聞いていただいているが、自分たちが満足できる演奏さえできれば、聞いている人にもその気持ちは必ず伝わっていると感じている。

 私たち演奏者は、楽譜に書き込まれた作者の思いを受け取り、そこに自分たちの気持ちを乗せて歌うことで、新たなハーモニーを紡ぎだしてゆくのだ。

 これは、合唱に限ったことではなく、音楽を演奏するすべての人に通じることかも知れないが、受け取った気持ちを自分たちなりに伝える思いが大切なのだ。

 そこに喜びを見いだすことで気持ちは更に伝わっていく。

 ちょっと高みに駆け上がってしまった。(*^^*ゞ

合唱は医者いらず?

 歌を歌うことは、ストレスの解消になると共に、心肺機能を高め、心身の健康を維持するためにはとても効果的であると感じている。

 年代によってコミュニケーションツールも異なるので一概には言えないものの、昨今、SNSなど短文で用件や気持ちを伝えるアイテムがあふれているが、果たしてそこに心や気持ちが正しく伝わっているのかという疑問がないではない。

 その点、音楽を通じたコミュニケーションでは、素のままの自分が出やすいのか、互いの信頼感を高め理解を深めるのにも一役買っていると感じているところである。

 1人カラオケを否定するわけではないが、心と身体の健康維持のためにも、是非とも、多くの人に「合唱の楽しみ」を知ってもらいたいものだ。


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