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有神論的進化論について、リベラル神学(メインライン)、福音派(宗教右派)、科学者(無神論)の三つの立場から考える。

はじめに

今回は有神論的進化論が異端か、それとも正統派信仰になりえるかについて考えてみたい。この、ノートは有神論的進化論のメリットデメリットについてリベラルやメインラインといった神学的に左側の陣営(多分カトリックは教皇が進化論を認める声明を2000年代に入ってだしたとかなんとかだからこの議題に関して言えば左なのかなー)と、福音派、キリスト教原理主義者といった右側の陣営の二つの立場から考えてみたい。

(調べもの中の独りごと)

(まず有神論的進化論とはなんなのかについて、ちょっと調べるのめんどくさいんだけど今からwikipediaに直行してくる。今日本語版の有神論的進化論のwiki調べてみたんだけど情報量薄すぎたから、英語版のwiki調べたら情報量多すぎて萎えた。まあちょっと頑張って読みます。)

(内省)

(僕こういうの完璧主義すぎて調べすぎる傾向があるのであと一個か二個youtubeのvideoとサイト一個くらい検索したら書き始めます。OK大体調べ終わったので、まあちょっと情報間違ってるところもあるかもしれませんが書いてみようと思います。)

有神論的進化論とは

まず、有神論的進化論とは何かについて軽く情報をまとめてみると、ダーウィンが唱えたような進化論によっていろんな生物や人間生まれて、その背後には神の意志が介在してる。そして、実は神は進化論を通して世界の創造という行為を行ったのではないかという説って感じです。(まあ、なんでこんな無理な解釈をしようとするのかについてもキリスト教神学的な観点から語っていこうと思います。あと、その理論妥協しすぎじゃね?っていうキリスト教右派の考えも紹介しようと思います。)

そもそも創造論とは

一旦有神論的進化論を脇に置いときまして、いったん創造論について話さないといろいろ話が進まないのでいったん創造論に移ります。旧約聖書には創世記っていう書物が一番最初にあります。(旧約聖書っていうのはそういう一冊の本たち(?)が39冊合体!!!して旧約聖書っていうまとまった一冊の本群になっているわけです。)創世記には、神が6日で天地を作り7日目に休んだって書いてます。6日の内に植物創造し、魚創造し、鳥創造し、土地やら海やらを形成し、太陽や月を形成し、6日目に人間を創造したって書いてあるわけです。そして、聖書の伝統的な解釈として第二テモテの手紙 3:16 17 には聖書の言葉は神の霊感を受けて書かれていると書いてあるように、聖書の言葉は(なんらかの形で)基本的に正しい。逆に全能な神が聖書を書いたわけだから聖書に間違いが書かれているとそれすなわち、神は全能で完全ではないってことになっちゃうからキリスト教徒、キリスト教神学者たちは困るわけなんですよ。

なんで聖書の正しさにこだわるのか

たぶん、ここまでくるとなんで有神論的進化論みたいな考えが出てくることが分かると思いますし、あと一部のキリスト教徒(福音派)とかがものすごく進化論に反発したりして強固に創造論を主張する理由がわかると思います。有神論的進化論を支持する人たちは科学の正しさも聖書の正しさも両立させようとしている人たちで、創造論を取る人たちはそれは妥協しすぎで、聖書はまじで100%正しいよマジ卍っていう人たちです。イスラム教徒とかユダヤ教徒の一神教かつ神が超絶パワフル宗教の人たちが進化論に反発する理由は同じです。要するに、旧約聖書の正しさを保持したってかんじなんですね。

実はそんなに立場はくっきりしてなくて混沌としている

(で、最近は結構きっぱり左派が進化論受け入れていて、右派が進化論受け入れてないみたいなのが比較的きれいに分かれてるかなーって感じですが、ダーウィンの進化論が出てきた当初は右派の人たちも自分たちの立場に対する神学的な影響があんまりわかっていなかったのか進化論に肯定的な人たちもたくさんいたイメージです。ここはもうちょっと調べてみます。あともうちょっとめんどくさいんですが、創造論は文字通りに解釈するべきではないみたいなのは有名なキリスト教神学者アウグスティヌスがAD4Cにすでに言ってたりするし、実は結構混沌としてます。)

有神論的進化論のメリット

であるからして、クリスチャンは創世記は全くの嘘で、進化論が正しかったですとはなかなか簡単に言えないんですよ。だから、言い方をいろいろ工夫するわけです。例えば、創世記は実は進化論のメタファーだったんだ!みたいな感じです。創世記は魚、次に野を這うもの、次に空を飛ぶものみたいな感じで創造されたと書いているが、これは完全に進化論が主張している生物種の進化の順番と一緒じゃないか!みたいな。そして、神は全能であるべきであるし、人間は神が作った特別な存在であるという箇所とも整合性が取れるように、進化論のプロセスは偶然の自然淘汰によっておこって偶然に人間ができたように思えるが、実はその偶然に見えるプロセスには神の介入があったんだと主張します。こうすれば、聖書が誤りなき神の言葉であるっておいう信条ともバッティングしなそうですよね。このような有神論的進化論の見方はすごく便利なんですよ。なぜなら科学ともキリスト教の神学とも折り合いがつくように思えるから。
(本当?????)

有神論的進化論に対する反論 そもそも福音派とは

多分科学の立場からもいろいろ言いたいことあると思いますが、今回は福音派ないし伝統的なキリスト教神学とどのような点で相性が悪いのかについてもうちょっとふかぼって見ようと思います。福音派は聖書の無誤謬性、要するに聖書は誤りなき神の言葉であるっていうことをかなり強調します。キリスト教原理主義よりはちょっと現代の考え方とかには近いですが、普通に神学的に保守の立場です。福音派は新約聖書のパウロが女性は男性の上に立つなってことばをそのまな受け取るので、女性牧師いません。神が与えたもうた命めちゃくちゃ大事なので中絶基本的に反対です。創造論はそのまま受け取るので進化論反対です。あと、旧約聖書でソドムとゴモラって町が同性セックスして神の怒りをかってほろんだって書いてたり新約聖書でもLGBTQに否定的な箇所があるので、アンチクィア、アンチフェミニズム、アンチサイエンス強めです。もちろん、信者の方はいろんな考え持っている人がいるんでそんなことない!!って考えてる福音派のクリスチャンの人もたくさんいると思います。こうしてみると、聖書の無誤謬性って現代人、特に無宗教の日本人とかからするとマジでやばい、とかネガティブな印象を持つ人もいるかもしれないですが、物事には裏表、長所と短所があるように、この無誤謬性の長所もたくさんあります。聖書には神があなたを守ります、あなたを祝福します、あなたは神に愛されていて価値があります、あなたは罪から離れて正しい生き方をしなければなりません、みたいなことが書いてありますが、さて、この感覚がより強いクリスチャンは聖書はワンちゃん間違いもふくまれてるんじゃね?聖書は単なる比喩として解釈してもいいんじゃねっていうリベラル、左派神学に根差したクリスチャンか、聖書は間違いなく正しいと主張している、福音派、保守神学に根差したクリスチャンどっちでしょうか?答えはわかりますね。もちろん右側、福音派、保守神学に根差したクリスチャンです。歴史上このような福音派に影響を受けてナチスに反対して投獄されたりした福音派の神学者や(カール・バルト、告白協会とか有名です)キング牧師(たしか彼はバプテスト派(バプテスト派右派より)とかがいますが、彼らの偉大な行動力は福音派の強固な信仰心に支えられていたのかもしれません。ちなみにいうと右側の人たちは伝道しなさい、人は罪びとで救われなければならないっていうメッセージを本気で信じられるんで伝道熱心なんで勢い最近強いらしいです。反対にリベラル神学派閥は日曜日になんか間違いが含まれているよくわかんない紙切れを読んでるみたいな感覚に近づいていくので最近弱まってるらしいです。でも別に神学的に左よりのクリスチャンでも熱心な方はいっぱいいるらしいです。日本基督教団の牧師の息子に聞いた。(日本基督教団はメインライン、中道左派+いろんな宗派)あくまで全体的な傾向の話です。

有神論的進化論に対する反論 福音派(創造論正しいやろ)

さてさて、有神論的進化論に話を戻しますが、福音派や伝統的な神学は進化論を否定する傾向にありますが、シンプルに創世記と進化論の内容が違うからみたいな話だけではなく、実は原罪や罪といった概念とも進化論は相性が悪いという理由で福音派や伝統的な神学が進化論を拒否しているという理由もあります。キリスト教という名前の通り、キリスト教はイエスキリストっていう主人公が非常に大事な宗教です。そしてその主人公がどのようなことを成し遂げたのかというもの同じく重要です。イエスキリストは十字架の上で死にましたが、ここにはちゃんと理由があります。イエスキリストは人間を罪から救ってきよめるために十字架にかかったとされています。本来人間は神と一緒にハッピーハッピーハッピー――する予定でしたが、アダムとイブが罪を犯して原罪が人間に入り込んだことによってハッピーハッピーハッピー――できなくなってしまいました。逆にイエスキリストが人間の罪をきよめたので、イエスキリストを信じる人は神と永遠にハッピーハッピーハッピーーーできるというロジックですね。ちょっと待てよ、有神論的進化論採用すると、アダムとイブどこにいるん??????原罪を人間に入り込ませたアダムとイブってメソポタミアのあたりで生まれたみたいなことを創世記には書いてあるが、進化論とか科学的な見地からするとアフリカが人間の祖先がいた場所???アダムとイブはいつ神とハッピーハッピーしてたの?アダムは土からできたって書いてあるけど、アダムって実は父母がいてかれらはもしかしてサルと人間の間っぽい動物???みたいなことになると信仰心ゆらぐというか、福音派のクリスチャンは特に聖書の言葉を自分に対する言葉として受け取るから聖書の世界がどんなのかなーとか頭で創造したりするんですが、それがやりずらくなるわけです。リベラル神学とかが有神論的進化論ないしはシンプル進化論を受け入れやすい理由はおそらくこの逆の理由です。リベラル神学や左寄りの神学は人間の罪をあまり強調しなかったり、イエスキリストを信じなければ罪によって地獄に行くっていうまさにその地獄そのものの存在に懐疑的だったり、するのでまあアダムとイブとかいなくて単なる比喩だとしてもワンちゃんOKみたいな感じだから有神論的進化論は受け入れやすい傾向にあると思います。

有神論的進化論に対する反論 科学者(無神論的進化論の方上位互換、必殺オッカムの剃刀)

もちろん科学の側からすると有神論的進化論て、は? みたいな感じだと思います。人間が生まれたのも、いろんな動物が生まれたのも偶然で、神の意志が介在したとか、神が進化論を導かなければ人間は生まれなかったとか、そもそも神が進化のプロセスをもちいて創造しようという意志がなければ、進化は怒らなかったし生物も発生しなかったという有神論的な見方は、形而上学的でスピリチュアルな要素を排除して科学の法則のみで説明しようとする科学者にとっては邪魔でしょう。あと、有名な中世の哲学者でオッカムっていう人がいるんですが、オッカムっていう人は物事をより少ない完結な要素で説明できるなら無駄な要素をそぎ落としたほうがいいに決まっているって言ってます。必殺技!オッカムの剃刀!!!別に神いなくても自然法則で進化のプロセスを説明できるのであれば、科学者からすれば有神論的進化論よりも無神論的進化論のほうがいいですよね。

結論

有神論的進化論みたいな解釈がなぜキリスト教で発生するのかと、それは神学と相いれないと考える福音派と、それは科学と相いれないと考える科学の立場から考えてみました。まあ、正直僕は全部の立場の言っていることがマジで共感しかないんで、とりえあずもうちょっと良い神学的な説明がないかを卒論や今後のICUでの学びを通して模索していけたらいいなと思います。



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