独りではない感覚を知るということ
独りなんだけど独りじゃない。
そんな感覚の心地良さを体感している今、人類という境界も超えるところに存在する安心感に浸る自分がいる。
「ひとりではありえない生命の神秘のようなもの」を感覚的に理解できるようになると人生は数百倍楽しくなるらしい。
まさにその数百倍を実感している気がする。
もともとどこかに「属すこと」が苦手で、和を乱すわけではないけれど「個としてのスペース」はいつの時代にも必須だった。
人類以外の生命体との繋がりが希薄な社会ー大勢で構成された世界ーの中で、「耐え難い孤独」はより一層の頻度を持って登場する。
人類以外の生命体との繋がりが難しい空間だからこその弊害だ。
森にはその森の主ともいえる母樹があり、木の根は菌と結びつきながら木々間でコミュニケートするという。
地球上での世界最古の生命体は4700年を生き続けているブリスルコーンパイン。写真はユタ州とネバダ州の境にあるグレート・ベイジン国立公園のもの。夏でも雪が残る標高2000~3000mの高地に生息する。
強風の吹き荒れ、紫外線、極寒、乾燥とおよそ生物に適していない土地で自然と適合しながら生存してきた姿は、強風や砂でねじれ、うねるような形態になっている。
年輪も他の樹木のように完全な輪にはならない。
少しの養分で苛酷な環境で生き延びるために一部分以外の活動を停止するためだ。
ブリスルコーン・パインは地球の母樹そのものだということなのだろう。
年齢に関係なく大自然の中で誰もが共通して得る「独りだけど独りじゃない感覚」は、そういった生命ジェンダーを超えた命の繋がりによる現象だったのだろうか。
ひとの「からだ」という器は、時間を経て地球に還る準備を徐々に整えていく。
ブリスルコーンが生き延びるために身体の一部の活動を停止させていく様子はひとの老いの行程とも重なる。
生きながらにして大自然と一体化するかのように変容を続けるひとのからだは、成長し続ける魂の器としてとても美しい。
それは「ひとりではありえない生命の神秘」によって創造される循環の美学だといえる。
地球という惑星が織りなすアートワークの一部を担う神聖なるmy vesel/ 器に今日は何を刻んでおこうか。