ピアノと私
47歳でピアノを買った。
7歳からエレクトーンを習っていて、演奏するのが好きだった。大学のときはエレクトーンの生演奏をするアルバイトもしていた。でもピアノは弾けなかった。ピアノに憧れがあって、ローランドの電子ピアノを買い、簡単な楽譜からチャレンジしたけど、なかなかうまくいかず、独学ではピアノは弾けないものだと思っていた。
数年前に子どもがピアノを習いたいと言い出したとき、電子ピアノで練習させていたが、やっぱり私も弾きたい!もう一度チャレンジしたい!という想いがむくむくと湧き上がって、娘のためではなく自分のために、本物のピアノが欲しくなった。
誰か、使っていないピアノをゆずってくれないかな。子育てが終わって3人のお子さんと離れて暮らしている職場の先輩に、「お子さんが使っていたピアノをゆずってもらえませんか?」と聞いてみた。65歳になっても生き生きと働き、職場で女性陣から絶大な信頼を得ているその先輩は一言、「ピアノくらい、買いなさいよ。なんのために働いているのよ。」とおっしゃった。私はハッとした。そうだ。その通りだ。私、一生懸命働いているじゃないか。ずっと憧れていたピアノを自分のために買って、何が悪い!
かくして、夫に何の相談もなく、100万もするピアノがリビングに鎮座することになった。(ちなみに夫には正確な値段は伝えていない…。)
誰に聴かせるわけでも、発表会に出るわけでもないが、今になって自由にピアノを弾くのは、本当に楽しい。エレクトーンに慣れていた私は、以前はピアノを弾こうとすると鍵盤が重くてどうしようもなかったのだが、今はなぜかきれいな音が出る。また、エレクトーンだと左手は和音をおさえることが多いので、左手が思うように動かなかったのだが、なぜか余計な力は抜けて、練習すればそれなりに動くようになった。(年をとった分体力は衰えるけど、自分の体を自分の思い通りに動かせるようになったと感じる)。この年になって、一生懸命に楽譜を読んで、練習して、曲を一つ完成させるという過程はなんて楽しいのだろうと改めて思う。子どものころだって、本当は好きで弾いていたはずなのに、いつのまにか、練習しないと先生に怒られるとか、次のレッスンまでにここまでやらなきゃとか、発表会では去年よりは難しい曲にチャレンジしなきゃとか、「やらなければならない」が先行していたのだろう。
でも音楽は、本来自分が楽しむためのものなのだ。
この年になって新しいことにチャレンジして、子どものころできなかったことができるようになった喜び。練習に熱中して、一つの曲が仕上がる達成感。子どもの頃に練習して身についていたことが再びよみがえった嬉しさ。ピアノのおかげで、幸せな感情がたくさん生まれるようになった。
もちろん、子どもの頃のように自分のために使う時間がたくさんあるわけではない。働く母は忙しい。週末は子どもの習い事の送り迎えや、たまった家事をまとめてやっているにあっという間に時間が過ぎてしまう。それでも隙間時間を見つけて、5分でも、10分でも練習する。朝、子どもが学校に行くのを見送ってから、自分が出勤するまでのほんの10分の間に練習する。そうやってちょっとずつ、譜読みをする。ディズニーやジブリの、楽しいメロディ。「ふるさと」や「もみじ」などの日本の童謡の美しいアレンジ。「ムーンリバー」や「80日間世界一周」のような、エレクトーンでよく弾いていた映画音楽。1日10分でも、1週間ほど練習すれば簡単な曲なら完成する。ピアノにチャレンジし始めて、時間を無駄にすることがなくなった。家事をするときも、急いで済ませてしまえば少しピアノが弾ける!と思って頑張れる。
この年になって再びピアノにチャレンジしたからこそできたことや、気づけたことがたくさんある。もっと早く始めれば良かったと思わなくもない。でもたぶん、早すぎてもダメだったのだろう。私には、今がちょうど良かったのだ。
追記
稲垣えみ子さんという方の著書に「老後とピアノ」というエッセイがある。私はまだ40代なので「老後」ではないのだが、ピアノへの向き合い方や想いに、共通することがたくさんあった。稲垣さんはミニマリストなので、自分のピアノをもたず、行きつけのカフェのピアノを貸してもらって練習している。それに対して、私は「やりたい!」と思ったらすぐにポーンと買ってしまったので、そこは全然違うのだが。
さらに追記
YAMAHAぷりんと楽譜というサイトがある。弾きたい曲があったら検索して、数百円で、楽譜をダウンロードできる。難易度もいろいろ。私には「中級」と書かれているものがちょうど良いみたいだ。いろいろな曲がアップされていてとても良い。昔は楽譜を手に入れるだけでも大変だった。良い時代になったなぁ。