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調律師のウルリヒ・ゲルハルツさん(リーズ国際ピアノコンクール2024)[5]

今回リーズ国際ピアノコンクールで使われているのは、スタインウェイのピアノ。多くのコンクールにあるような複数メーカーのピアノからのセレクション、さらにはいくつかのスタインウェイからのセレクションというのもなく、まったく同じ1台のピアノで全コンテスタントが演奏します。そのためいつも以上にピアニストごとの音色の違い、ピアノの扱いの違いがわかりやすいはず。

内田光子さんやシフさんを担当する名調律師


調律を担当しているのは、ウルリヒ・ゲルハルツ(Ulrich Gerhartz)さん。スタインウェイUKのコンサート&アーティストサービスのディレクターです。Xにアップした終演後の牛田智大さんのコメントにもあったとおり、内田光子さんやアンドラーシュ・シフさんなど名ピアニストたちの調律を担当している方。
実はこちらのウルリヒさん、私はちょうど10年前の2014年、イスラエルのルービンシュタイン国際ピアノコンクールでお会いしてインタビューをしていたのでした(チョ・ソンジンさんが3位に入賞した回)。
いつも接している調律師さんたちとはちょっとタイプが違うのと、コンクール期間中も毎日ビーチを走っているというスポーティなスタイル(日本のメーカーの調律師さんでコンクール中に毎朝走ってるっていう人、滅多に聞いたことないですね、そういえば)が印象にのこっていました。

今回のピアノはとてもあたたかい音色という感じですが、先日ウルリヒさんとお話ししたときは、「24人のコンテスタントみんな気に入ってくれているようで、重すぎる、軽すぎる、もっとこうしてほしいという不満はひとつも出ていない」とおっしゃっていました。

今回はせっかくなので、とても興味深かったウルリヒさんの10年前のインタビューからの抜粋をご紹介したいと思います。

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【2014年5月 ルービンシュタインコンクール 中のインタビューより再掲】

─コンクールのピアノを調律することの難しさはどんなところにありますか? やはり、コンサートでの調律とは違いますか?

違いますね。ピアノコンクール、特に1次や2次の段階では1日にたくさんの演奏が行われますし、そのそれぞれの演奏で、ピアノに普通のリサイタル以上の負荷がかかります。コンクールというのは、それぞれのピアニストが自分のできることを最大限披露しようとする場ですから。
今回のコンクールで本当に不運だったのは、イスラエル人作曲家による現代作品が、ピアノのイントネーションを損なうような書き方で作られた作品だったことです。
フォルティシモの部分が多く、ピアニストが楽譜に書かれた通りに弾こうとするあまり、限度を越えた音を出そうとすることが多いのです。例えば、声楽家が1曲歌って声にダメージを受けるような作品を歌えば、その後声の調子は悪くなってしまいますよね。それと同じことです。
より成熟したピアニストたちは、ピアノにダメージを与えない限界を感じてそれ以上のフォルティシモは出しませんが。ピアノの音というのは、ある一定以上の音量になれば、必ず騒音になってしまうのです。
普段のリサイタルと違い、コンクールでは朝調律をして、2人のピアニストが2時間演奏したあと、少し調律の時間が与えられ、また再び演奏です。その限られた時間の中で、メカニック、音色、そしてもちろん調律をできるだけ良い状態に整えなくてはいけません。
そんな状況ですから、この現代作品が多く弾かれる日は、調律は狂わないにしても、一日の終わりに近づけば近づくほど音色が変わってしまいました。

─今回は、1次で36人中31人のピアニストがスタインウェイを選びました。そうなるとやはり、それぞれの要望に合わせるのというのは難しいですよね。

時間がありませんから不可能です。誰かに合わせてしまえば他のピアニストが苦しむことになります。できるのは、全員のコメントを聞いて、全員のプラスになるような状態に整えることです。
まずは場所と音響に合わせ、続いてはレパートリーに合わせる必要が出てきますが、そこは多くのコンテスタントのレパートリーの傾向に合わせていくしかないのです。
輝かしい音でありながら音楽的な部分を持っているピアノは、多くのピアニストにとってコントロールしやすいので、そういう音を目指しています。

─ところで、コンクールでご自分が調律したピアノが弾かれているときはどのような気分なのですか? 緊張したりするのでしょうか?

私はこれまでたくさんのコンクールで調律を担当していますし、時にはアーティストケアまで自分で行っている立場なので、平静でいられますね。各コンテスタントの演奏を注意深く聴くようにしていますが、耳をフレッシュな状態で保つため、全ての演奏は聴きません。全員の演奏をすべて聴いてしまうと耳が疲れてしまいますから。
ごくまれにあるのは、ナーバスになるというより、怒りに近い感覚を持つことですね……。
それは、自分の調律したピアノが、そのピアノが弾かれるべきでない方法で弾かれているときです。構造上それ以上押さえつけられるべきでない方法で鍵盤が叩かれたり、ピアニストがあるべきトーンを見つけられていなかったりすると、音はひどいものになってしまいます。
そんなときの気分は最悪で、本当にガッカリしてしまいます。ピアニストに、ピアノから離れてほしいとすら思ってしまいます。
私はそのピアノが持っている能力も、どう触れるべきかもわかっているわけですから。そのピアノが持つトーンを見つけてもらうことがとても大切なんです。
もちろん普段は、演奏、そして演奏家の傍でとても特別な思いで聴いていますよ。良い音を引き出してくれたときには最高の気分です。
ピアニストが、そのピアノから良い音を引き出すことができる人かどうかは、そうですね……30秒見ていればわかります。

─ご自身でもピアノを弾かれるのですか?

私はもちろんピアニストではありませんが、毎日何時間もピアノの鍵盤に触れていますから、リーズ国際ピアノコンクールの審査委員長、ファニー・ウォーターマンさんにもタッチをほめられたくらいで。
全ての音をしっかり整えるために、そして鍵盤の反応を確認するためには、繊細に鍵盤に触れる能力を持っている必要があります。

─……なにかこれまでインタビューしてきた調律師さんとは少し視点が違って、とても興味深くお話を伺いました。

そうですか。私は自分ができることをやっているだけなのですけどね! もうスタインウェイの仕事は28年やっていて、20年以上コンサートグランドピアノ関係を担当し、たくさんのアーティストと仕事をしてきました。
自分が世話をしたコンサートグランドピアノは、私にとって家族のようなものです。それぞれに個性を持った彼らを最高の状態にしてあげることが私の仕事です。
内田光子、アンドラーシュ・シフ……さまざまなピアニストがやってきますが、彼らピアニストのためにピアノに生命を吹き込まなければいけません。とても大変な仕事で、単純にピアノを調律するという作業を越えているような気がしています。

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ピアノ目線の調律師さん

なにがちょっと違うと感じたかというと、調律師さんにはピアニストに尽くしますというスタンスの方が多いなか、どこかピアノ目線の調律師さんだということが印象に残ったのでした。ピアノを乱暴に扱うピアニストはもちろん、時には作品にすら憤りを覚えるという。
確かこの時は気を使ってはっきり書かなかったのですが、ピアノがひどい方法で叩かれていたら、飛び蹴りしてピアニストをピアノから引き離したくなる、くらいのことも言っていた記憶があります。
気持ちはわかるけど!

昨日はセミファイナルの演奏後の牛田さんの控え室に、ウルリヒさんが来て、演奏を祝福していました。
牛田さんはもともと丸い音が好みだそうなので、今回のピアノの音が気に入っているそうです。とくにシューベルトを弾くのにはよかったとのこと。

ファイナルはブラッドフォードの大ホールに会場を移すので、そちらで一体どんなふうに響くでしょうか。

…ちなみにこれは本当に余談なのですが、先のルービンシュタインコンクールのときは、ファイナルの会場が超巨大かつまったく響かないデッド空間だったので、ファイナルの大きいコンチェルトの課題のとき、チョくん含むみんながバタバタともう一台用意されていたファツィオリにピアノをチェンジするという事態が発生したんですよね。なつかしい。
それこそウルリヒさんが言っているとおり、序盤で叩く演奏をする人が多かったから、この時はピアノのコンディションが変わってそんなことになってしまったのかも…
今回のリーズではそういうやたら派手な音志向のタイプのピアニストはあまりいませんね!コンクールの傾向なのでしょうか。

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