[緊急投稿]ボロディン交響曲第2番について
ゾーリナ著「ボロディン その作品と生涯」を読んだ。この本の中に、今回演奏するボロディン交響曲第2番の詳細な解説があり、是非とも皆さまに読んでいただきたく、長くなるが引用したい(以下引用、一部加筆)。
[第1楽章]
交響曲はきっぱりとした、断固とした主題で始まるが、その調音はロシア民衆口承英雄叙事詩のいかめしい旋律に近い。この調音は、すぐに聴衆の注意を引き付け、偉大なるロシア民族の力強い、飾らない、厳しい風貌をイメージさせる。これはまぎれもなく勇者の形象である。
オーケストラの巨大な斉奏の中で、総ての声が同じ強さで一つの声にまとまった時のような、総ての意志が共通の共同の意志を形成した時のようなコーラスをまるで耳にすることが出来るかのようである。民衆の力、強さ、集団的意志の表現としての勇者のイデーは、この音楽の主題の中にはっきりと具現されている。ボロディンはこの主題を大いに重要視している。彼の手書きの原稿を見ると、この演奏の音がより鮮明に、目だつようにするため、いかに彼が個々の細部をはっきり明確にしようとしたかが分かる。
この主題を聞くと、その場からびくともすることがないほどに、母なる大地にしっかりと根をおろした力強い勇者イリヤー・ムーロメツ、あるいはスビャトゴル(ロシア叙事詩の主人公)を思わず思いだしてしまう。このどっしりとした巨人をその場から動かすためには、それを揺り動かさなければならない。主題もまるで揺り動かされるかのように表現される。この際、まるまる全音程下がり、さらにより深く根を下ろしているかを、さらに、いかに重いかを明らかにしていく。その場から動き、揺れ動きながら、この巨大な塊はさらにより大きな動きを示す。もはやその動きをどんなことがあっても止めることはできない。隠された力が次第に現れていくのに従って、その動きが遠くへ広がれば広がるほど、ますます急数になってゆく。
結局、総ての拡大は、交響曲の第一楽章の、しかも第一楽章ばかりでなく、本質的に言えば交響曲全体においても根本的イメージとなっている、すでに知っている「勇者の」主題を確認させる。
この主題(主部)のコントラストとして、ロシア民謡の調音に貫かれた流麗な、広々としたメロディー(副部)が響く。心のこもった抒情性でこのメロディーは、最初の主題の厳しさと勇壮さを鮮明に際だたせる。このように第一楽章の根本的イメージー勇者のイメージと抒情的イメージーの相互関係が形作られている(このことは後に、オペラ『イーゴリ公』の具体的な形象ーイーゴリ公とヤロスラブナの中に鮮やかに具現されている)。しかし、演奏とともに、この副部の主題はだんだんより勇敢に毅然となって行き、主部の性格と似てくる。こうして、両者の対照的な相違点は次第に、展開の過程でえて行くのである。
「本筋」が第一楽章の中心的領域で展開されて行く。この入念に仕上げられた部分をエネルギッシュな「せきたてるような」、馬が疾駆するリズムが貫いて行く。敵の騎馬隊との合戦が思わず思い浮かべられて来る。しかも、それがほとんど目に見えるようになる。音楽の展開はあたかも三つの波のように進んで行き、次第により緊張感を得、内面からの力、威力で満たされて行く。スターソフは、この入念に仕上げられた部分での音楽の展開を、「ひっきりなしに戦闘の音が聞かれ、勇者の剣が右、左、真っ向へと打ち下ろされる音が轟く」勇者の合戦と比喩的に性格付けている。合戦の緊迫した瞬間の一つへと第二の主題(副部)は、急速に、力強く移って行き、今度は戦士たちの勇ましい歌のように響く。そして、戦いの緊迫した雰囲気の中で第一の主題(主部)の調音が聞かれ、それはさまざまな楽器の合奏の音を呑み込んで行く。ついには、その二つの主題は一つとなって急数な高まりを遂げ、主題の完全な形状での力強い響きとなって、この入念に仕上げられた部分のクライマックス、反復の始まりを示す。この反復をオーケストラ全体が鮮明に、意味ありげに、リズミカルに大きくあわさって演奏する。その後の展開では第二の主題は完全に第一の主題に近づいて行き、最終的には一つに合わさる。主要主題は厳粛に、力強い斉奏によって、第一楽章を仕上げて行き、雄大な主要なイメージが揺るぎないことを確信させる。このようにして音楽は民衆の英雄的な志向と抒情的感情の合体、民来の力のみなぎり、精神的健全さ、力強さ、不屈さを明らかにする。
[第2楽章]
交響曲の第二楽章(スケルツォ)では、性急な動き、止めることの出来ない自然の力のイメージが支配する。第一の主題がそうである。そこでは、ダイナミックな、切れ間のない規則正しいリズムを背景にしてメロディーはしつように上へ上げられ、そしてすぐに性急に下へと下げられている。これを、この動きのなかに引き入れられた第二主題ー東洋的特徴を有した美しいメロディーが追いやる。エネルギッシュなシンコペートされたリズムが第二主題に情熱的な、激情的な性格を与えている。絵てが一緒になって、がむしゃらな、抑えることが出来ないような馬の疾駆の印象、手際の良さ、力強さ、大胆さを嘆賞しているような印象を生み出す。
そして突然、がらりと正反対の演奏となる。スケルツォの中間部(トリオ)の音楽の中で総てが静かになって、消えて行き、何か心地のよいうっとりとしたような状態になる。動きのない低音を背景にして、滑らかな微妙な音の変化のある東洋的性格の美しい優雅なメロディーが、しなやかな伴奏音に包まれながら響く。それには、安らぎ、眠たげなけだるさが感じられる。
交響曲の第一楽章の第二主題と同種の調音を聴覚が軽く捉える。それと同時に、そこから交響曲の主要主題を思い起こさせるような厳しい斉奏のフレーズがさらに大きくなって行く。それから、再び押え難い動き、がむしゃらに疾駆する馬の音のイメージが再現される。比喩的な構成によって、スケルツオの音楽は、非常にオペラ「イーゴリ公」のポロヴェツ(ダッタン人)の世界に似ているので、ここで、スケルツオの諸イメージの中に、遊牧民の押え難い力と同時に、常にロシア人の英雄的資質に対比される東洋に固有の(当時のロシアの芸術家たちの理解で)リズミカルな身のこなし、安らぎ、情熱が反映されているのではないかと推測できるほどである。
[第3楽章]
第三楽章、交響曲のゆっくりした部分(アンダンテ)は、果てしない空間が広がる母なる大地についての、母なる大地を守るために勇者たちが成し遂げた偉業について、高度な人間の感情についてのインスピレーションに満ちた物語である。この構想は、疑いもなく、「その未来を予言する指を聖なるグースリの弦に当てれば、弦は自ずと諸公を称える歌を奏でる」『イーゴリ軍記」の吟遊詩人の形象からもたらされている。
グースリの弦を爪弾くように、ハープのゆっくりした協和音が響き、吟遊詩人は自分の話を始める。束縛されない、屈託ない調子で「語りの」メロディーが流れて行く。この中でボロデインは驚くほど正確にロシア民衆口承英雄叙事詩の旋律の特色、その吟じ方を具体化している。
聴来の前に、『イーゴリ軍記』の作者が「おお!吟遊詩人よ、いにしえのナイチンゲールよ」と呼んだ語り手の形象が浮かんでくる。吟遊詩人の主題に、オーケストラのさまざまな音で何度となく繰り返される短い次第に下降するモチーフが応じる。この主題の下降する結びの中から現れながら、このモチーフは音楽の流れの中に興奮をもたらす。
最初は静かであった語りは、どんどん緊迫してゆく。動揺した、陰気な音の響きが地来の頭の中に恐ろしい、ドラマチックな事件の情景を思い起こさせる。栄光ある過去を思い起こさせるかのように、下降して行く低い音を背景にして響く厳しいリズミカルな主題がますます執ように繰り返される。音の高まりが頂点に達すると、再び吟遊詩人の主題があらわれてくる。オーケストラはそれをゆったりと、よく通る音で、おごそかに奏でる。不安の気持ちは、勝利の全体的な喜びの中に、民衆の不屈の力と母なる大地の美しい空間のひろがりの賞賛の中にとけ込んで行く。
構想の大きさと交響曲のこの楽章が表すほとんど具体的に見ることができるかのような音楽の鮮明なイメージの美しさは、強烈な印象を与える。
[第4楽章]
第四楽章(フィナーレ)はアンダンテに続いて全く途切れることがなくはじまる。スターソフの表現に従えば、フィナーレ、これは「明るく輝きわたる大酒宴とグースリの音と民衆の喜びの叫びの中での祝い」である。実際、フィナーレの音楽の中では一つの状態、一つの気分ー勝利を祝う喜び、歓喜、愉快な気持ちが支配している。ここでは、ボロディンは大群衆の動き、その感情と心的状況を伝えることで自分を大名人として表している。
急速に広がり、その展開でつむじ風のようなあまり大きくない序曲が全体に鳴り渡る。これには、踊りのメロディーの節まわしが聞かれ、次の動きへの強いリズミカルな刺激が含まれている。全体として、高まって行くどよめきが感じられるようになっている。そのどよめきは的確にリズムをつけられたメロディーー陽気な祝いの雰囲気に通じる第一主題へと変わって行く。このように、フィナーレの間中、まるで自己紹介をするかのように、祝いのそれぞれの新しい段階の初めの部分が数回繰り返される。
第一主題はむこうみずな、熱にうかされたような踊りの性格を有している。しなやかな、のびやかなリズム、足拍子、手拍子に似た間断ないアクセントは動きに幾分重量感を与え、主題を構成する特徴的な旋律の繰り返しは大勢の民衆の踊りに参加しているという印象を与える。
この主題に、生き生きとした踊りの動きは保ったまま、もっときれいな、輪舞の歌を思い起こさせるような第二主題が取ってかわる。その後、それを伴奏するために、まるでグースリ、バラライカ、ジャレイカ、木笛が演奏を始めたようになる。このように、ボロディンはオーケストラの音で巧みにロシア民衆の楽器を模倣したのである。注目すべきことは、交代しながら、第二主題は、よりいっそうそれを第三楽章の吟遊詩人の主題とたがいに近づけ合わせるような新しい特徴を得ていることである。
フィナーレの二つの主題を練り上げる際に、ボロディンは、グリンカが彼の有名な「カマリンスカヤ』の中でおこなった試みを利用した。鮮明な、ダイナミックな音楽による祝いの場面の描写で二つの主題は、編曲法、音調の対比、さまざまなハーモニーのよそおいなどによって、変形しながら、新しい色彩、特徴を得ながら、たがいに交代し合っている。しかし、この際、それらの調音は先行した諸楽章のいずれかの主題との類似性を呈していることが特徴となっている。それらの間には本質的なつながりが存在しているのである。
交響曲のフィナーレにおける歓喜と喜びは、栄光ある勝利、ロシア人戦士の、ロシア民族の英雄的行為の賛歌と結びついている。このことを想起させるのは、陽気さを中断させるトロンポーンとトランペットの斉奏で鳴る(第一楽章の主要主題およびスケルツオの中間部とアンダンテのこれに類似した斉奏のフレーズのような)厳しい恐ろしい感じのレチタティーボである。
このレチタティーボはフィナーレの第一の踊りの主題の中から生まれて来る。そのような多様な主題の転換は、音楽により鮮明な描写の迫真性を確保し、さまざまな絵のような色彩鮮やかな連想を呼び起こす。〔レチタティーボは、叙唱あるいはレシタティーフとも叙述〕
祝いのクライマックスとなるのは、フィナーレの第二主題の真に英雄的な演奏である。愉快な気持ちはさらにいっそう押え難いものとなり、総てが踊りの渦の中で広がってゆく。ボロデイン自身の言によると、この「力強い、逞しい、活気あふれた、効果的な」部分は総ての先行したものを総括し、交響曲をしかるべく完成させている。
[全体]
交響曲第二番ロ短調は、交響曲第一番と同様に四部形式で書かれた。ボロディンはヨーロッパの古典交響曲の原則を作曲の際に利用し、それらの理論に従って深くロシア民族的なイメージをえがきだしている。交響曲の音楽はそのすばらしい描写の迫真性で感嘆させ、魅了する。
この中で魅惑させるのは、展開の厳密な首尾一貫性、表現力の豊富な和声の美しさ、鮮明な曜動性ばかりでなく、音楽の主題が深い基盤の上で立てられていること、その本質、叙述と起源がロシア民謡にさかのぼる展開の独自性もそうである。そして、歴史上の一時代とその多様性を余すことなく的確に理解したこと、作品の中でのオペラと交響曲の緊密な関係、さらにはロシア民衆口承英雄叙事詩の様式と精神そのものを具現化したことも、ロシア民族の威力と無敵さを、一目瞭然な具体的な、強い印象を与えるイメージで作曲家が表現することを助けることが出来た。
「だから、ロシアの交響曲音楽で、堂々とした外観を通して現れてくる内面の大きさの単一性と無二の美しさで驚嘆させる作品を作ることが可能だったのである。私が言っているのは、もちろん、ボロディンの交響曲第二番、『勇者』(実際、よくぞこの名をつけたことか!)、この上もなく意義のある作品のことである」と、何年も後にアカデミー会員B・V・アサヒエフが書いている。『勇者』という名はスターソフが付けたものであるが、この交響曲の名前としてしっかりと定着してしまっている。
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