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ずっと考えてた答えが列王記にあった②

①の続きです。

ざっくり前置き

私はクリスチャンで、聖書の言葉を信じてその通りに生きたいと願っている。
が、聖書に出てくる「権威に従いなさい」という言葉の意味がずっと腑に落ちず、職場での上司や同僚との関係の中で何が正解なのか考えていた。ところが今朝、旧約聖書の「列王記」のストーリーにその答えとも言える発見がめっちゃいっぱいあった!ので、ここに書き留めたいと思う。

以下、その②です。

旧約聖書 列王記5章
まず、あらすじをざっと。聖書の専門家ではないので説明が不完全ですがおゆるしを。

ストーリーの中心となるのは、アラム国の軍司令官・ナアマン。主君から重んじられている人なのですが、重い皮膚病を患っています。


絵はてきとうです



そんなとき、妻の召使いである少女から
「サマリアにいる預言者の所に行けば治してもらえる」
という話を聞きます。
(預言者…神の声を聞いてそれを人々に取り次ぐ人。×予言者)

それを聞いて預言者・エリシャの家を訪ねたナアマンですが、
何と預言者エリシャ本人は姿をみせず、
使者を通して「ヨルダン川で七度身を洗いなさい」との伝言。

エリシャ本人が出てきて直接手を置いて祈ってくれる、と思っていたナアマンはプライドを傷つけられ激怒。サッサと帰ろうとします。

ところが、家来たちが引き止めて、「川で身体を洗えと言われただけじゃないですか」とナアマンを説得。

言葉通り川で七度体を洗うと、ナアマンの皮膚病は綺麗に治り、まるで子供の肌のようにピチピチに。

ナアマンは預言者エリシャの元に引き返し、贈り物をしようとしますが、エリシャは受け取りませんでした。

と、話はここで終わらず、まだ続きがあります。登場するのは預言者エリシャの従者・ゲハジ。


やっぱり絵はてきとうです

ゲハジ「せっかくの高価な贈り物を、うちの主人は何も貰わずに帰らせてしまった…。もったいない!!後を追いかけて、もらってこよう。」

軍司令官ナアマンに嘘をついて銀と衣服を受け取り、こっそり家にしまいこみます。

(読んでいてもう嫌な予感しかしませんが、同じ立場に置かれたら、もったいないと思うのはわかりますよね)

案の定、全てお見通しの預言者エリシャ、
「今は贈り物を受け取るべき時ではない。ナアマンの重い皮膚病がまといつくことになる」
と告げ、
その言葉通り、ゲハジは重い皮膚病にかかり、エリシャの元を去ることになったのでした…ちゃん、ちゃん。


グリム童話みたいな結末。こうはなりたくないと思わずにいられない。

まず、わかりやすく対比されているのは、

預言者エリシャの言葉に従った 軍司令官ナアマンと、
従わなかった 従者ゲハジ。

注目したいのは、ふたりとも、エリシャに対して納得がいかなかった(エリシャの意見より自分の意見の方が正しいと思った)所までは同じだった、ということ。

この時、ゲハジは本当はどうしたらよかったのか?

そう考えながら見ていたら、さらに面白いことに気がついた。

この話、対比だらけなのだ!


じゃん。

ナアマンとゲハジが対照的なだけじゃなく、

軍司令官とその家来、
預言者と従者、
この2組の主従関係も対比になっているのだ。

(今読み返していたら、実はもっとあることに気がついたけど、ややこしくなるのでここには書かない)

こうなるともう、「社会で役立つお仕事ストーリー」みたいに見えてくる。
ここでまず注目したいのは、軍司令官ナアマンの家来たち。

怒って帰ろうとする主君をいさめて、預言者の言葉に従うように提言するのである。
結果、主君ナアマンの皮膚病は綺麗に治ったのだ。家来ファインプレー。偉すぎる。

ここで聖書を見ると、家来がいさめる際に「わが父よ」(新共同訳)と言ってナアマンに呼びかけている。これが好きだ。当時の言い回しだろうけれど、主君に対して敬愛を表した上で、批判ではなく意見を述べている、という印象。
ナアマンが、家来から慕われているのだろうなとも感じる場面である。

「従う」「仕える」と言うと、ただ黙って機械的に言われた通りにするべきなのかと思ってしまいそうだが、そうではない、ということを教えてくれていると思う。

一方、預言者の従者ゲハジの方は、主君に意見や提案を述べることなく、独断で、しかも隠れて行動を起こし、先方に嘘までついてしまう。

これは主君にしてみれば悲しいことじゃないだろうか。贈り物を受け取らなかった意図を、自分の従者は尊重してくれていなかった、そればかりでなく、意図を理解しようと努めることもしなかったのだ。
早い話、信頼されてないと言える。

意見が食い違うこと、伝わっていないことそれ自体はよくあることだし悪いことではないと思う、大事なのは、「何か主君にも意図があるのかもしれない」と思うこと、
そして、その意図を理解しよう、そして主君の意見と自分の意見がひとつとなるよう、擦り合わせようと努めることではないだろうか。

家来がナアマンに意見を述べたように、ゲハジだって、勝手に行動を起こす前にエリシャに聞いてみればよかったかもしれない。違う提案や交渉が出来たかもしれない。
それで、主君の考えに耳を傾けることができたら、自分の意見が通らなくとも納得がいったかもしれないし、納得がいかなかったとしても、ベストを尽くしたと言えるのではないか。

「表面上は言われた通りにして、上司のいない所で勝手なことをする」上司からすると一番嫌なパターンだ。しかもその勝手で私腹まで肥やしてしまっているのだから、あまりにも残念である。

ふと思った、
私は、ルカ16章(新約聖書)の、「不正の富で友達を作りなさい」というエピソードが結構好きなのだが、
この例え話のように、ゲハジも、
嘘をついて貰った贈り物を、自分の家に隠すだけじゃなく、
周りの人にもプレゼントしておいたら、結末はどうなったろう。ちょっと違ったんじゃないだろうか、なんて思ったりした。

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あともう少し気づいたことを、次の記事で書きたいと思います✍️

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