アングスト/不安

最近、近くの小さな劇場でこの映画を観た。


この映画は37年前に公開されたものの、その残虐ぶりに多くの人の心を悪い意味で揺さぶり、日本に到達するまでにかなりの時間を要した。今は令和2年。そういえば平成の間は日本に来ることはなかったのか。


この物語は、主人公に共感させるような形で描かれる。

セリフのほとんどない映像と、彼という人間が出来上がるまでの経緯を淡々と語り続けるナレーション。

無機質な男性の声と、彼の壮絶な人生の噛み合わせが悪く、なんとも見づらい映画だったな、といった印象。構成の評価はまあいいとして。


内容に関してはネタバレになってしまうため述べない。

これからこの映画を観ようとする者は、「自分が正義としていること」を一切捨て、全く別人になった気持ちで観ることをおすすめする。

真っ新なキャンバスに絵具以外の何かを塗られて”汚される”覚悟が必要だと私は思う。


この映画は賛否が大きく分かれる。否定的な評価をする人は、おそらくそういった「自分」を捨てきれなかったのではないか、と感じる。

”被害者が”かわいそう、という感情を持つことは、殺人を描くどの映画を観ても当たり前についてくる。いわばハッピーセットのようなもの。


結局のところこの映画の賛否は、「巻き込まれた、あるいはこれから巻き込まれていくかもしれない被害者をかわいそうだと思うか」と、「こんな人間になるまでの主人公の人生を哀れと思うか」の2択なのではないか、と感じる。


彼の精神的に異常な行動は、まぎれもなく彼の内側から生まれたものである。

幼き頃に生まれた感情を奇しくも大人になるまで大切にしてしまった。そしてそれが彼の中での「正義」であり、「最高に昂る何か」だった。

幼い子供はまだ「何が正解で、何が間違っているのか」というものを判断することができない。(それを責任能力と言ったりするのだが、これは映画を観て考えてほしい。この四字はあまりにも重い言葉だと私は感じた。)

そんな中、彼は周りの環境に振り回された。

何事においても、「初めて」は強く印象に残る。特にそれが多感な時期であればあるほど。


もし彼の置かれる環境が「美しいものを美しいと思える世界」だったら。

もし彼の愛した者が「普遍的とされている愛情」にもとづく物だったら。


もしかしたら、この視点は、製作者の意図とは異なっているかもしれない。

それでも、この映画を観て、私は彼に寄り添うことを選んだ。


たしかに彼が行ったことは、非人道的で人間離れしている。

それでも、私は彼を、被害者以上に「かわいそう」な存在だと思ってしまった。



人には誰にでも「非道徳的だ」と感じるものはある。


その中にある「道徳」って、誰が決めたものなのだろうか。



そんなことを考えさせられる映画だった。

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