良くありたい気持ちの裏側

昔から良くありたいという気持ちをまぁまぁの強さで持っている。どうしたらより良くなるかを考えて色々と頑張るとき、どうしても、自分はやっていることをやっていない他人が気になる、という問題が生じてしまう。この、「自分はやっている気になる」がどうしても嫌いで、醜いよなぁ。。と思うのに、どうしても湧いてきて嫌だった。

そ・れ・が!

ヨガスートラを読んで、解決したことでした。
コロナ禍で職場でお昼が黙食となり、各自の机で食べることになった時に、お昼を食べながら読んだらあっという間に読めた。その、ひとりで読んだ1回だけ。

インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガ・スートラ/スワミ・サッチダーナンダ/伊藤久子

他人がどうしているかは関係なく、自分がやるべきと思う事を自分はやる。
これは、ずっと子供の頃から心掛けてきたのだけれど、自分がやるところまでは出来るんだけど、それでも、やっていない他人が気になっていた。
いつからか、自分ができることが出来ていない誰かは、自分がなかなか出来ないことを当然のようにやっているのだ。と考えるようになり、自分の中でそれを引き合いに出して、やっていない人を見ても「あの人はやってない」と思わないように踏ん張っていた。

ヨガスートラの中で具体的にどこが響いたのか、なんとなく、あそこだろうな、、とは思うけど、はっきりわからないし、そもそもそれほど中身を覚えていないけど、読んで色々と解決して、その気持ちに煩わされることが無くなった。

ヨガスートラ以外に、人からの影響もあって、色々と発信されているヨガの先生方の中で、自分がやってるとか他人はやってないとか、なりそうな場面での処理がとても上手な先生の思考パターンが垣間見えた時に、とても心地良いなって感じて、その考え方をお手本にしている、私の憧れの先生がいて、その先生のレッスンに申し込む予定の今週。お会いしたことはあり、会話したこともあるけれど、自己紹介はしてなくて、レッスンの前に長いファンレターとか送ってしまいそうな私がいる。
ウザいかなぁ。。

醜いなって感じる気持には色々な種目がありまして、良い行いをしたい。という気持ちについては、かなり解決してきた51歳現在。でも、他にも色々と自分で気付いている嫌な奴。とてもとても他人には言えない嫌な心が自分の中にあって、そこら中にあって、毎日その心と一緒に生活をしている訳です。はぁ~。

でも、最近ついに、この気持ちもいつかは無くせるのかもな、、っていう感覚が浮かんでくるようになった。これ無くしても何も困らないのに、なんでこんなこと考えるんだろう??って、少しだけ、外側から見られるようになった。
いつかは手放せるのかなぁ。別に、すぐに消えてもらっても何も困らないんだけどね。面白いね。笑っちゃう。

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