〈133〉"誰でも通園"を学童でも
現在幼児保育で実施され始めている"誰でも通園"
これを学童保育でもと言われたら、あなたはどう感じますか?
学童保育を託児サービスと思っていれば、賛成の立場に立ちやすくなるでしょうか。
学童保育を育成支援、児童福祉と考えていれば、そう簡単に賛成とはならないでしょうか。
なぜ、このタイトルにしたのかというと、筆者の放課後児童クラブを管轄する自治体職員が、「誰でも預かればいいじゃん。時代の流れは"誰でも通園"なんだから。」と発言したからです。
筆者の放課後児童クラブでは、今年度に限りませんが、保護者が仕事が休みでも子どもを登所させたり、迎えに来たのに兄弟の片方だけを用事があるからと連れて帰ったりすることが頻発しています。
そのため、今一度、学童保育はどういう時に利用するところなのかを手紙の中で表記しようとしました。
すると、文言の削除を命じられます。
「預かる側にゆとりがあるなら預かってもいいと思う」
いや、支援員の数にも質にもゆとりなど存在しないんですよ。
「兄弟どちらかしか連れて行かないということは、一緒に連れて行ったら不都合ということなのだから、預かればいい」
確かに子ども一人だけなら楽な場面はありますよ。
でも。
そもそも学童保育は都合よく使える託児サービスではないですよ。
それに、病院にしろ役場にしろ、兄弟の習い事先にしろ、公共の場で待たねばいけない場面でどうする必要があるのか、教えてあげなくてはいけません。それができるのは親ですからね。
「今保育園では誰でも預かることになっているんだし」
"誰でも通園"は、現段階でも幼児保育の話であって、幼児保育と学童保育は全くの別物ですよ。
根底から無理解で笑えるわ、腹立たしいわ。
さらに、この自治体職員、この話を子どもたちの前でするんですよ。
こちらもおかしいことはおかしいと言いますから、全部子どもたちは聞いています。
…まあ、聞いてもいいかなと思うところもあります。
建設的な議論をする努力とか、論理的客観的多角的な話の仕方とか、立場が上の者にどう意見を言うかとか、子どもたちのために必死な支援員の姿を見て、自分たちの味方になってくれる大人ってどんな人間かとか。
自分の背中を見て学べ!と願っています。
高学年の子どもたちは冷静に見ていますよ。
自治体職員が立ち去った後、見ていた感想を述べたり、自分たちが置かれている保育環境について日頃思っていることを教えてくれたりします。
子どもたちとの方がよほど建設的なディベートになってますよ。
乳幼児の誰でも通園導入の流れを見ていたら、筆者もいずれは同じ流れが学童保育にもくると思っています。
しかし、乳幼児期と学童期の違いや発達特性への理解度、支援員の質(能力、技術、倫理観)、労働環境の改善なくしてできるとは思いません。
現状ですら、子どもの人権侵害とも言えるような保育環境のところ、ありますからね。
ただでさえ不安定な土台の上で何かをしたら崩れるということは、容易に想像できますよね。
そして何度でも言いますが、学童保育は育成支援です。都合よく預けられるサービスではありません。
留守番できるようになる、公共の場で静かに待てる、そもそも自分はなぜ学童保育を利用する必要があるのか、子ども自身もわかるように導くことが、学童期には必要です。
学童期に幼児向けサービスを求め続けてはいけません。
学童保育に誰でも通所サービスが本当に適切なものかは、よく考えなければいけません。