ミュウツーおまえ赤ちゃんだったのか――劇場版ポケモン「ミュウツーの逆襲」を見た
なんか急に子供のころに見た映画を大人になってもっかい見てみよう、という気分になったので『ミュウツーの逆襲』を見た。なので感想を書く。
初見時は小学生だったか幼稚園児だったかもわからないくらい小さいころで、劇場で見た。
この文章は「よく分かってなかったけどミュウツーってめっちゃかわいいね」という軸で書いています。
見る前の印象
昨日までのミュウツーの印象は「とにかく強くてやべー人造ポケモン」だけだった。クリア後にハナダの洞窟の奥で出会えるマスターボールの使いみち。スマブラとかだと浮遊の仕方が圧倒的強キャラっぽい(DXしかやったことない)。
マジでそれだけだった。
そして視聴したあと、ミュウツーの印象ががらりと変わった。「この子赤ちゃんじゃん! めっちゃかわいい~」「かわいがられてほしい~」になった。
赤ちゃんじゃねぇか
冒頭を見て、ミュウツーは生まれた瞬間から頭がよくて力が強かっただけの赤ちゃんだったのかー、と理解した。
周りの大人もその力を知った状態で彼の誕生を迎えたから、生まれた瞬間から彼を利用する気満々の目線を向ける。当然、生まれたばかりの本人はそれに不信感を抱く。
自分が誰なのか、何なのかもわからない状態でよく分かんない場所にいて、周りにいる人たちにめちゃくちゃ見られてたらそりゃ「なんなんですか貴方たち!?」ってなるよね。
ガチ赤子ならホギャアアア意味わかんねえよおおおと泣くだけで済むが、ミュウツーは知性も力も発達しているので研究所をぶっとばす。あの破壊こそが彼の産声だったのかも。たぶん。
あるように見える自我が薄い
生まれたばかりの彼は知性があるのに自我がないといういびつさもあるなと思った。
疑いながらもサカキに付いていって従ってるシーンでそう思った。ミュウツーはちゃんと言葉を使えるし自分の足で歩ける。だから「自分の意思決定に基づいて付いていった」ように見える。でもたぶんそうじゃない。
彼は自我があるように見えてほとんどない。
自我より先に大人並みの知性を獲得する例はたぶんこの世にないから「存在するとしたらこんな感じになるんだなぁ」と興味深く見ていた。
ひたすら生きる理由や安全基地を一生懸命探していたのかなぁ。
周りにひたすら愛される赤ちゃんの時期ってすごく大切なんだなと思った。無条件に周りが愛して撫でてくれるので、とりあえずそれで自分の存在意義を満たせる。その隙に頭と心を育てて、「わたし」を獲得していくんだ……。
めっちゃ赤ちゃんや……誰かが守護(まも)らねばならぬ。
幼少期にくらべ、確実に視点が変わった
だからサトシたちが出てきたあとのストーリーではミュウツーに恐怖を感じなかった。むしろ早く報われてくれ、と祈っていた。
子供の時はとにかく「ピカチュウがんばえー!」と思っており、ミュウツーはラスボス的な認識だったのに。
子供のころに見たものを大人になってから見るのってけっこう味がするね、と思った。
てかこの映画、メインターゲットは子供だけどナメずにしっかりと子供ではわからないテーマを扱ってるのが誠実でいいなぁと思った。一緒に来てる親御さんも楽しめて、なおかつバトルシーンでちゃんと子供たちの需要にこたえている。うれしいね。
ミュウとミュウツーが仲良くしてるイラストとかが見たくなった。自分のルートでアイデンティティを獲得して幸せになってほしい。
カレーとかサンドイッチ食べてみんなでボール遊びしてニコニコしてるミュウツーが無限に見たくなった。はぁ、かわいいね。
細かい萌えポイント
テーマとは関係ないけどただただかわいかったポイントを挙げる。
雨の中、船着き場に入ってすぐ、自分よりも先にトゲピーを拭いてあげるカスミが優しくてLOVEだった
知らない人が寄ってきたらすぐピカピのそばに寄って行ったり、船の上でピカピにしがみついてたり、ピカチュウがほんとうにかわいい。ピカピが好きなんだね~♡
初代ポケは基本怖い顔してるけど、しっかりとトレーナーのこと大好きなのがかわいいんだよな。目つき鋭いし攻撃力高い見た目してるのに中身はわんことかにゃんこと同じ! かわいい~!
何の躊躇もなく抱き合うムサシとコジロウ、萌えだ。子供のころはそんなこと思わなかったのに。