<連載小説 全7回>家庭内姉弟(第4回)
小学生杉田美亜、美少女・愛実は「宿敵」、弟・巧翔は「彼氏」。
第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回(完結)
4
ここ数日、教室はどこかぎすぎすしていた。
「立花さんいいなあ、私も彼氏ほしいなあ」
「じゃあおれの彼女にしてやんよ」
「やだあ、田中って背低いじゃん」
「白井のが低いだろ!ニキビブス」
「は? なに、もらしたくせに一年の時!」
結局形を変えただけで、男女のいがみ合いは続くのだ。いや、それは以前よりもはるかに複雑に、陰険に絡み合っていた。
彼氏彼女のいる者から、いない者に向けられる見下した視線。
少しでもランクの高い相手を得ようとする者の暗躍。
一人者同士の嘲り合い。
皆の憎悪が渦を巻いて、教室中でぶつかり合っている。知らぬ顔で笑っているのは先生と、愛実たち少数のグループだけだ。
――くそ、笑っていられるのも今のうちだ。
だがどうする? 美亜はうなった。
悠太の協力が得られない以上、奴のいない場所で計画を実行するしかない。
放課後、校舎裏にでも愛実を呼び出すか? 拓翔を待たせておいて……。
だめだ。
美亜の優位を、愛実にわからせるだけでは意味がないのだ。
愛実の敗北は周囲に認知させてこそ確定する。それにどこから悠太が出没するかわからない学校内は、やはり危険だ。
結局どうしても悠太が邪魔なのだ!
その悠太はあれから美亜にまったく近付いて来ない。
学校には欠かさず登校しているくせに、美亜の顔を見るなりぷいとどこかへ行ってしまう。悠太のくせに腹立たしい。
美亜は給食さえうわの空のまま済ませ、煮詰まって机に突っ伏していた。
その時美亜の耳に、すぐ後ろから楽し気な声が届いた。
「明日さあ、やっぱり父さんが車出すって。ごめん急に」
瑛の声だ。
美亜は寝たふりをしながら、そっと様子をうかがってみた。
瑛と愛実たちのグループが、教室後方に陣取って何やら話し込んでいた。
他のメンバーはうぬぼれ蓮と、優等生気取りの彩乃、それに八方美人の佐藤麻衣菜(さとうまいな)だ。
「全然いいよ。ホゴシャドーハンなら心配なくない? 篠塚君のパパかっこいいし」
「いや別にただのおっさんだけどさ。ごめん、行きと帰りだけだから。朝はうち集合で」
「電車だと乗り換えめんどいもん、Tランド。そっちのがいいよ。ね愛実、いいよね」
軽薄に応じる麻衣菜の声。
Tランドは隣町にある遊園地だ。明日は土曜日、皆で遊びに行く相談か。
と、その時細い声で愛実が何か言ったらしい、わっと場がわいた。
「まじめだなあ。愛実も少し息抜きした方がいいって。パパは許してくれたんでしょ?」
「そうそう、最近お母さんの具合もいいからって、皆で決めたんじゃんか。これ、立花さんをはげます会だぜ。な、瑛」
「ああ。愛実、心配いらないって、な?」
美亜は舌打ちしたくなるのをこらえる。どうして皆愛実ばかりもてはやす。しね、台風直撃しろ。と思ったが、待てよと思い直した。
遊園地。
それは、絶好のチャンスと言えないか?
学校の外なら邪魔な悠太はいない。
それにクラス全員ではなくても、トップグループであるこいつらに見せつければ、インパクトは十分だ。クラスの連中はその流れに従うだろう。
その上遊園地という非日常の空間は、舞台としてとてもいい。アリだ。愛実もお姫様気分を満喫しているところだろうが――。
取り巻きに囲まれて我が世の春を謳歌しているまさにその時、その目の前で。次元の違う美少年を演出した巧翔と、次元の違う濃厚なキスを見せつけてやれば。
巧翔と瑛の格の違いは、そのまま美亜と愛実の格の違いとなる。
愛実の吠え面が目に浮かぶようで、美亜は突っ伏したまま不気味に含み笑いをもらすのだった。
*
「明日遊園地行くよ」
帰ってくるなりの宣言に、巧翔はほうけた顔を上げる。
「遊園地って……お姉ちゃん、お金は?」
「ある!」
美亜は台所の戸棚から四角いクッキー缶を取り出す。フタを開け、無造作に散らばった千円札と小銭を引っつかんだ。
「それママの……」
「いいんだよ。もう何度ももらってるし」
どうせこんなヘソクリがあったこと自体、本人も忘れているだろう。いいや、覚えていたって関係あるものか。
「いいから準備しな。もっとましな服ないの?」
タンクトップに短パンでは王子どころか田舎の鼻たれだ。
美亜はタンスを引っかきまわすが、巧翔の服は多くない。どれも似たり寄ったりの貧相さだった。
美亜はあせった。
こんなことならこの数日、きちんと準備を進めておくのだった。今から服を買いに行く時間も予算もない。どうする。
ならば普通の服より、むしろ。思いきり非日常感を演出してしまえば。
一番下の段から、美亜は「あれ」を引っぱり出した。
昔、母親が美亜にプレゼントしてくれた。誕生日でもクリスマスでもなく、突然買ってきた。ただの気まぐれだったのだろう。
――超かわいいから、みーちゃん着てみてほらほら!
改めて広げて、美亜はため息をつく。美亜の好みなど考えてもいないこのチョイス。浮世離れした母らしいとは言える、けれど。
まあ今回着るのは巧翔だし、何よりこれならインパクトは抜群だ。結局美亜は母を突っぱねて一度も袖を通していないから、まったくの新品同様だし。
「よし……」
*
翌日。ドアを開けた美亜は、夏の朝のさわやかな空気を吸い込んだ。どぶの匂いも気にならない。照りつける太陽も美亜の味方だ。
いつものTシャツキュロットに、ポシェットの中には小銭入れ、青い野球帽から結わえた尻尾をぴゅっと出して。
「ほら早く、電車に遅れる」
渋る巧翔を外へ引っぱり出した。
巧翔はクマだった。
黄色いクマの着ぐるみパジャマに身を包んでいる。
似合いすぎだ。これなら非日常で、メルヘンで、つまり王子だ。
巧翔には大きいかと思ったが、ぴったりじゃないか。逆に美亜にはもう着ようとしても着られないだろう。
――みーちゃんのクマちゃん、見てみたいなあー、かわいいだろうなあー。
一回くらい着てやればよかったかなと、かすかに胸がちくりとする。いまさらだ、とそのうずきをかき消して、美亜はドアを勢いよく閉めた。
すでに半泣きの巧翔がゲーム機を離さないので、仕方ないから持って行ってもいいことにした。クマのお腹には大きなポケットがついている。突っ込んでおけばいいだろう。
「いいって言うまでフードかぶってろよ」
「うう……」
おっと、瑠美にも気を付けなければ。こんな時にあのかんしゃくに引っかかるわけにはいかない。
階段の下をのぞいて、指差し確認する。敵影なし。
いよいよ決戦だ。
5
「おおおお……!」
派手なゲートをくぐった瞬間、我慢できずに美亜は駆け出した。
地面に影もささない午前十一時。真っ白な光の中、Tランドは多くの入場客でにぎわっていた。
何かわからない甘い香りがそこら中に漂っている。
原色の巨大なアトラクションたちに目を引かれる。
馬鹿みたいに陽気な音楽が気分を盛り上げる。
心が躍る。なんだか飛び跳ねたくなってくる。手始めは何だ。どれに乗る。
「待ってよー」
いや、待て待て。美亜は小銭入れを確認した。
母親のヘソクリからつかみ取った軍資金は、すでに心もとない。
私鉄と地下鉄の運賃を想定に入れ忘れていたせいで、二人分のフリーパスは購入できなかった。仕方なく一人千円の入園券を買ったのだが、これではアトラクションに乗る度に別料金がかかってしまうのだから、浮かれて遊びまくるわけにはいかないのだ。せいぜい二つ三つ……。
そこまで考えて、別に遊びに来たわけではなかった、これでいいのだと思い直す。さっさと愛実たちを探さなくては。時間だってすでに予定よりだいぶ遅れている。
「おら行くぞ」
「待ってよ、お姉ちゃん」
ぽよぽよといいたい動きで、黄色いクマの巧翔が追いついてくる。律儀にかぶったフードに付いた丸い耳が揺れる。
この格好は遊園地の風景に予想以上になじんでいた。まるで夢の国の住人そのものだ。人目も引いている。我ながら英断だったと美亜は満足した。
「お姉ちゃん、早いよー」
だが一つ、うっかりしていたと気付いた。
この呼び方は問題だ。愛実たちの前で「お姉ちゃん」なんて呼ばれたら、一発でたくらみがばれてしまうではないか。
「お姉ちゃんじゃない、今日は美亜ちゃんって呼べ」
「ええっ、なんで?」
「なんでも。前はそう呼んでたろ」
「そうだけど……直せって言ったのお姉ちゃんじゃん」
「今日は特別なんだよ。いいから言うとおりにしな。ほら呼んでみ」
そう、今日は特別。きっといい日になる。いい気分で歌うように命じた美亜の耳に、予想外の答えが返ってきた。
「……やだ」
「なに?」
「そんな呼び方もうしない」
巧翔は低くつぶやいてうつむく。フードの下の頬がぷっとふくれている。
なんだ、こいつ。
「おまえなあ。弟のくせに言うこときけないのか。今日はお姉ちゃんじゃないんだよ、美亜ちゃん。いいから呼べって」
「やだ」
微妙に矛盾した美亜の命令に、巧翔は耳も貸そうとしないふうだ。目も合わせず声も震えているくせに、がんこに固まっている。
「巧翔っ」
美亜はばっとげんこつを振り上げた。巧翔はフードをぎゅっと引き下ろして身を固くする。拳を握ったまま、もう一方の手で美亜は巧翔の襟首をつかむ。
「呼べって」
「やだ」
美亜が瑠美にこうされたときなんか、すぐに降参したのに。
「呼べって!」
「やだあ!」
泣き出した。
紅潮した丸い頬に、あっというまに涙の川ができる。本泣きだ。
なんなんだ、今日に限って。巧翔の泣きべそは見飽きているが、美亜にここまで逆らうことはなかった。
困惑よりも怒りが一瞬で沸点を越えて、美亜は巧翔を突き飛ばした。
「じゃあいい!勝手にしろ、しね!」
「やだああ」
泣き声を背に三歩進んで――美亜は振り返ってみる。巧翔はついて来ない。情けない尻もちのまま、ただ泣くばかり。
美亜はため息をついて、結局三歩戻る。目の前に立っても、巧翔は泣き止まない。
「泣くなアホ。おいって」
聞こえてもいないようだ。美亜は途方に暮れた。こんなところ、愛実に見られたら?
ふと、巧翔が涙と鼻水のほかに、汗もずいぶんかいていることに気が付いた。顔も赤い。この暑さに長袖の着ぐるみパジャマはきつかったかもしれない。こんな日向に座り込んでいればなおさらだろう。
美亜は日陰を探してあたりを見回した。すぐそこに、フードコートを示す案内板が出ていた。
「わかった、わかったよ、ほら……」
美亜はなおもぐずる巧翔の腕を引っぱって、無理やり立ち上がらせた。
*
涼しい屋内でソフトクリームをなめる巧翔を、ややうんざりした心境で美亜は見守っていた。自分用に買ったオレンジジュースも、巧翔が欲しがったので飲ませてやった。
泣きやんだのはいいが、これで小銭入れの中はかなり厳しくなった。帰りの電車賃を考えればもうほとんど使えない。せめて昼ご飯を買えばよかった、と情けなく思う。
「ったくさ。なんでそんなに嫌なわけ」
「だってお姉ちゃんはお姉ちゃんだもん」
美亜はもう観念することにした。
「もういいよ、わかった。おまえはしゃべるな。だまってろ」
それでなんとかなるだろう。ほんの少しの間ごまかせばいいだけだ。
「その代わり、他のことは絶対言うこときけよ。今日帰るまで。お姉ちゃんの命令な」
巧翔はだまってこくりとうなずく。よし。
それにしてももう昼を過ぎる。本気で愛実たちを探さなければ、こちらが行き倒れてしまう。ため息交じりに窓から外を眺めた時。
息が止まりそうになった。
はめ殺しの汚く曇った窓のすぐ向こうを、子どもたちの一団が歩いていく。
瑛、蓮、彩乃に麻衣菜。
窓ガラス一枚隔てた向こう側で、皆は学校で見るよりおめかしして、少し気取って見える。この後の予定でも話しているのか、わいわい楽しそうに言い合いながら、どんどん離れていく。
もちろん輪の中心には、奴がいた。
これでもかとフリルの付いたパステルピンクのブラウスに、白いロングスカートをなびかせるお姫様。どこか愁いを含んだ表情もうるわしく、彩乃や麻衣奈など完全に背景だ。
見つけた。美亜は勢いよく立ち上がりざま、巧翔のフードをばっとおろす。
「行くぞ、巧翔!」
<第5回へつづく>
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