心を料る (潮が舞い子が舞い小感)
自分の心を――つまらない小さな言葉で規定され、単純化されたくないと、お前が言うのはわかる。わかるどころか、私だって――
同じ気持ちだ。忸怩たる気持ちだ。
言葉は心を切り刻む。
だが要さなくては無理なのだ。
要さずにさらけ出しても人はお前を理解しない。
理解はおろか、お前の声に気づくことさえない。誰にも無理だ。
お前の心は感情はこぼれる水のようにつかめないものだ。
けれどもそれでもなお、余さずこぼさずと希求するから。
お前も私もそれを求めるから。
私はお前の一部を的確に、瞬時に掬い取り削ぎ落とし血抜きして。
香り付け、照りを出し。ある部分は生で、ある部分は焼いて。
言葉はつまり心の料理だ。
言葉は――要するに――センスによって要されるものだ。
それが悔しいか。我慢ならないか。私はそんなふうじゃないと言うか。
それならやってみることだ。
お前の言葉で、お前自身を要してみることだ。
それを言ったらおしまいではなく、
それを言ったら始まってしまう。
言葉による、終わりのない心の探索。