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ジュエリーを作ろう!と思って作り始めた時点でジュエリーの枠からは抜け出せない

 2022年の最後の投稿にして挑戦的な表題になってしまいましたが、これまでの総括として書きます。現在のコンテンポラリジュエリー(以下CJ)分野について危機感を持っている私の個人的な立場から、noteに記事を投稿し続けている中で見えてきた、分野の問題点と今後の指標を今回もシェアしていこうと思います。
 本題に入る前に、私の抱いている具体的な危機感とは“既存のCJ市場が直面している将来性の無さ”、“作品に対する革新性の物足りなさ”です。

CJ分野の問題点


 昨今、CJやその類にフォーカスしたコンテンツ、トピックが国内でも増え始めていると感じているのは私だけではないと思います。SNSを通じて情報が手に入りやすくなったり翻訳機能が向上したり便利な時代になったなと実感しながら、その中でも選り好みせずに幅広くチェックしようと日頃から心掛けています。しかしながら、情報が増えれば増えるほど私の中でCJ分野への危機感は増す一方でした。なぜかと言うと“ジュエリーとしてしか見ていないCJが多い”ということです。
 もちろんジュエリー中心の思考自体が悪いわけではありませんが、そこには作品を支える土台となる部分をどの程度意識しているのか、というCJ作品が直面している作品性の弱さに深く関係していると私は考えています。例えば、ここで言っている土台となる部分とは、“歴史的な文脈や時代性”、“作家自身としての文脈”、“複数カルチャーとの融合や越境”などです。突発的なアイデアや感情で制作を始める作り手もいるかと思いますが、そのまま突き進んでしまう人がジュエリー界隈には多いと感じています。それゆえに作品性が弱い、つまり、視覚的な要素に依存する物足りないジュエリー作品が出来上がってしまうのではないでしょうか。
 ジュエリー作品を鑑賞するとしましょう。そうするとデザイン的には既に誰かがやっている表現方法の二番煎じだったり、マイナーチェンジだったりします。ですがこれを意図的に現代に向けたリバイバルとして利用していればまた話は違ってくるのですが、残念ながら大抵の作り手はそこまで意識していないように思えます。視覚的な面白さ、機能性の向上、新しい素材や技法探し競争といった理解し易い内容しか謳っていない表面的なCJ作品についてはプロダクト・デザインジュエリーと言われても仕方ありません。またジュエリーの持つ精神性についても同じです。「身に着けること/所有することで発生する気持ちの変化」は、誰もが想像できるジュエリーの普遍的な要素であり、これに関しても長年多くの作り手が制作してきたテーマです。これら上記の視覚的そして精神的な理解のし易さ/受け入れ易さはコンテンポラリー分野以外のほぼ全てと言っていいジュエリー分野(もしくは着用機能を持つ分野)が意識して制作しているのではないでしょうか。なぜ今このテーマでCJ作品を制作するのか。そこにはもう一歩踏み込んだ理由付け、つまり、差別化/特異点が求められているはずです。もう一点補足しますが、ジュエリーだけについての問いかけや変化はジュエリー好きにしか興味を持ってもらえません。残念ながらその他大多数にはスルーされてしまいます。なんて狭い世界なんでしょうか。この点についてもイメージ出来ていない作り手が多いと感じています。

 さて、以上を踏まえると表題にある通りに作り手は制作の出発点そして着地点ともにジュエリーという狭い範囲で完結させている/他のジュエリー分野とほぼ同じことをしていると言っていいのでは?と考えてしまいます。当たり前のように作品の主語/核が“ジュエリー”になっていることへの違和感や疑問を持つ人が少ないのはなぜでしょうか。
 私はジュエリーを普段から身につけたり購入したりするようなジュエリー好きではありませんがジュエリー作品を制作しています。それはなぜか。ジュエリーの文化や機能が各時代ごとに人間社会や生活に様々な影響を与えてきた、または影響を受けてきたという歴史に興味を持っているからです。つまり、社会や他者に自分の意見を発信する/視覚化するための方法としてジュエリーが興味深いメディアであると。ジュエリーを好きな人がジュエリーを好きな人のために作るプロダクト・デザインジュエリーのような意識は全く持っていません。
 作品の制作動機は作り手によって様々だと思いますが、ジュエリーを作ろうと思って始めている方は作品を作る際に特定の誰か(もしくは不特定多数までの広範囲)を想像しているのではないでしょうか。もちろんそれはジュエリーという誰かに着用されるべき存在だからこそ必然的に意識(もしくは無意識的に)していることだと思います。私は着用者に寄り添ったこのようなジュエリー作品全般をプロダクト・デザインジュエリーとして捉え始めました。もしジュエリーを表現活動の一種として選択するのであれば、誰かに着けてもらうために制作するのではなく、自分自身中心の思考や主張が強くなるはずです(もちろん特定の誰かを着用者としてフォーカスしたコンセプチュアルな作品もあると思いますが)。
 この双方についてCJの分野では長い間議論されてきました(一方は着用者/買い手目線に寄り添い、もう一方は作り手目線中心)。このどちらかに偏るのか、もしくは半々を目指すのか…。私個人の印象では、現在のCJの世界は小さな揺らぎは起きつつも均衡を保つ方向性に進んでいると感じています。残念ながらこの考え方、このバランスこそがジュエリー作品を物足りなくしている“CJ分野の足枷”だと、私は主張します。
 少し陶芸分野で例えてみましょう。一般的な陶芸作品には粘土/磁土&焼成といった素材&技法の要素と、器や彫刻といった機能の要素が含まれています。CJに素材&技法の条件はないので、ここでは機能という要素に注目します。陶芸と言うと世間一般では食器や花器を連想する人が多いと思いますが、その要因の一つとして器を制作/使用してきた長い歴史があり、そして日常生活と密着しているという点が挙げられます。しかし、アーティストと呼ばれる人たちの中には器を作っているにも関わらず、実用性を全くと言っていいほど重要視していない作品を発表している人たちがいます。この人たちは自身の表現したいテーマやイメージを視覚化するために最適な方法として“陶芸”を選択しているだけ、と言っても過言ではありません。
 また、買い手もアーティストの作品に実用性は求めていません。重要なのはそのアーティストの個性であり主張であり作品の強さ/面白さ/共感などです。本来ならお茶を飲む器、料理をよそる器、華を生ける器など明確な用途があったはずですが、“使おうと思えば使える”または“全く使えない”といったところまでアーティストの主張が優先されています。もちろん陶芸的な実用性を求める場合には、そのような作品や商品が世界中にたくさん流通しているので、そちらで購入すれば済む話です。つまり、明確に市場が分かれているということになります。いつの間にか現代の陶芸分野のアーティストたちは、既存の概念を破壊して伝統的な枠組み(工芸市場)から新しいフィールド(アート市場)へと挑戦し続けています。
※陶芸に関しては、作り手や売り手といったプレーヤーが多い、陶芸出身では無いアーティストが陶芸作品を作って成功している、セカンダリーマーケットで作品が流通している、などジュエリーとは異なっている部分もありますが、参考程度に紹介しました。

 一方でジュエリーはなぜ今現在も身に着けるという実用性に縛られなくてはならないのでしょうか。大き過ぎる、重すぎる、自分に似合う似合わない…。第二次世界大戦後以降、この既存の概念や常識を覆そうと多くの挑戦がありましたが、残念ながらジュエリー分野はまだ柵の外に出ることは叶っていません。現在でも素材価値(貴金属や貴石)の壁は越えられず、顧客の需要に合ったデザイン性と着用性が無ければ売れません。これがCJ市場の現実です。ですがただ闇雲に着用性を捨てれば良いというものでもありません。その作品には着用性を無くす明確な理由付けが必要になります。それが始めに説明した“作品の土台となる部分”と繋がってくるのです。

 

この状況を改善するために


 この状況を改善するため、私は様々な方法を考えてきました。簡単ではありませんが作り手、売り手、買い手の全てで意識改革が必要だと感じています。皆さんもお気付きだと思いますが、CJ市場やジュエリー市場では無い新しい市場が絶対的に必要なのです。その中で思いついた方法の一つとして「日本の美術館にジュエリー表現作品のパブリックコレクションを持ってもらう」ことを目標に、ジュエリー作品の寄贈や美術館の周辺地域を巻き込む新しいプロジェクトを2022年より開始しました。もちろんこのような大きなプロジェクトになると私一人の力ではどうにも出来ません。しかし、2019年から始動したCJST(コンテンポラリージュエリーシンポジウム東京)という集団の力になれば、もしかすると実現できるのではないかと期待しています。

 
根本的な問題として、国内には90年代以降に制作されたジュエリーの体系的なコレクションも、これらの作品を常設的に紹介する場所も存在しません。海外では常設で作品を展示している美術館も多く、勿論その中には多くの日本人アーティストの作品が収蔵されています。近年アーティストは海外を中心に発表し、国内でこの分野を知る人はほんの一握りというのが現状です。コレクションがなければ、研究のための手がかりが生まれず、市場も循環しません。もし国内でもCJ作品やジュエリー表現作品の拠点を作ることができれば日本独自のジュエリー文化が発展していくかもしれません。

CJST美術館プロジェクト挨拶文より抜粋


 挨拶文で簡単に説明していますが、一般的なジュエリー市場や既存のCJ市場と差別化するために選抜されたジュエリー作品が集まる拠点作りを目指しています。おそらく個人のジュエリーアーティストが一人で有名になっても分野への影響力はたかが知れており、やはり“複数の作品群が集結し共有されることで一つの文化として認知される影響力を持つ”と考えています。
「〇〇美術館に行けばジュエリー作品についての歴史や文化がわかる!」
「〇〇美術館にはジュエリー作品が常設で展示されていて面白い!」
このようなことが実現できたら、今までには無いジュエリー作品の新たな需要が国内に生まれるかもしれません。


 来年の夏以降に2回目のシンポジウムと公募展を予定しています。2019年から小嶋崇嗣氏と始めたジュエリー作家集団的な活動ですが、新しい目標や方向性も見つかり、かつ個人的なアーティスト活動と両立しながらCJ分野の未来を考え行動しています。2023年以降どちらの活動もさらに飛躍できるように頑張ります。本年もnoteを読んでいただきありがとうございました。来年も何卒よろしくお願い申し上げます。

寺嶋孝佳


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寺嶋孝佳【装身具作家/CJST企画運営】
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