菅新政権は「構造改革など断行」してはいけない。
日本の憲政史上で最長の政権を続けてきた安倍政権は、8月28日の安倍総理の辞任会見により突如幕切れとなった。その後は慌ただしい総裁選が展開されてきたが、菅官房長官が有効投票534票の7割を超える377票を獲得し、第26代自民党総裁に就任することで決着した。圧勝である。朝日新聞は「熱狂なき圧勝、見えぬ国家像」と報じたが、総裁選が開始するや否や、キングメーカーの二階氏が早々に菅候補を支持し、自民党の7派閥の内5派閥も後を追うように支持を表明したのだから、盛り上がりようがない。むしろ関心は岸田候補と石破候補の第二位争いに早々に移行してしまった。その二位争いも、何やら石破阻止のための戦略的な票が、岸田候補に流れた可能性が高く、後味の悪いものとなった。
また、この自民党総裁選の真っ最中には野党でも大きな再編があった。立憲民主党と国民民主党が解散し、新たに合流新党が誕生した。しかしながら、立憲民主党は勢力を149人に拡大したものの、党名は立憲民主党のまま変更なし、代表も枝野氏が続投で、何ら「新たな政党」の新鮮さを感じさせないものだった。この辺に政治的なセンスの乏しさを感じる。解散前の立憲民主党の政党支持率が高かったのなら、党名を変更する必要はないが、7-8%程度の支持率しか得ていなかったのだから、ここで「新鮮さ」を感じさせる党名に変更すべきだっただろう。ちなみに国民民主党も、党名も代表も解散前と同じ、加えて民主党時代から引き継いだ政党助成金のプール(40億円と言われる)は、一時は国庫に返納するようなことも言っていたが、結局は党員数で新たな両党に分配するとのことだ。何の新たな息吹も感じない。新たな巨大野党は何のために誕生したのか?それは政権交代の可能性を持つ野党の誕生により、与党の政治に緊張感を持たせることであるとのことだ。実際にキーワードとして「リアリティ」という言葉が立憲民主党の議員からはよく聞かれるようになった。要は自民党を倒すために、政治的な理念はひとまず横に置いておいて、共産党とも連携しながら、選挙で自民党を脅かす存在を目指すようだ。但し、私の感覚からすれば、彼らのリアリティとは政治家の理屈に過ぎず、国民にどう見られているかというリアリティの感覚が乏しい気がしてならない。
さて、菅政権に話を戻そう。新聞等では、しきりに菅政権が安倍政権を引き継ぎながらも、アベノミクスの三本の矢で評価の低かった「構造改革」に踏み込むべきであると指摘している。菅氏自身も「縦割り行政の打破」、「悪しき前例主義の打破」、「岩盤規制の打破」などを主張し、デジタル庁という組織横断的な省庁を新設することや、携帯電話料金の引き下げ、地域金融機関再編などの「小さな」個別政策にまで言及している。
しかし、私はそれは歴史に学ばない危険な流れだと思う。新政権が改革の意気込みを持つ気持ちは尊重したい。日本には少子高齢化の中で、生産性を向上させるための様々な改革が必要だ。しかし、重要な原則がある。それは「構造改革は、景気拡大期にしかできない」ということである。構造改革は、短期的には痛みを伴う。経済にとり負の側面のほうが、プラスの側面よりも強いのだ。むろん中長期的にはポジティブだ。しかし、景気が悪い時には、その痛みに経済が耐えられず、結果として改革はとん挫し、政権の支持率は大きく下がるのだ。橋本龍太郎政権がいい例だ。行政改革や金融システム改革など「6大改革」を打ち出したが、景気が悪い中での改革に経済は耐えられず、改革はとん挫し、短命政権に終わった。外国でも卑近な例では、フランスのマクロン大統領の改革が挙げられる。2017年に大統領に就任し、このままでフランスの経済は立ち遅れるとの危機感から、改革に着手した。その方向性と必要性は高く評価された。しかし、不幸なことに改革から僅か半年の2017年末にはフランスは景気が循環的に腰折れを始めたのだ。その景気鈍化を無視して、マクロン大統領は改革を断行した結果、経済はより悪くなり、国内では「黄色いベスト運動」などの反政府活動も起こり、マクロン大統領の改革はとん挫している。もちろん支持率も大きく落とした。古今東西、改革は景気が良い時にしかできない。晴れた日に屋根を修理しなくてはならないのだ。
安倍政権で言えば、2017年の「世界同時景気拡大」が起こっていたタイミングで構造改革をやるべきであった。しかし残念ながら2017年はモリカケ問題、そして財務省の公文書偽造で国会は大荒れとなり、政権はその対応に追われただけで、改革どころではなかった。
足元の日本経済は4-6月期のGDPが▲28.1%というとんでもない状況にある。通年でもリーマンショック時よりも遥かに厳しい▲5-6%のマイナス成長見込みだ。菅新政権がやるべきことは、構造改革ではない。新型コロナウイルス対策と、それに伴い経済対策しかないのだ。これだけに政治パワーを注ぐべきである。変に改革をしようとすると、日本経済は深いダメージを負うことになる。オリエンタルランドのような優良企業が賞与の7割減、大規模な社員の配置換えを発表している。USJもアルバイト9千人の契約を更新しないとしている。これが現実だ。消費税は将来的に引き上げが必要なんて言っている場合ではない。そんな質問を受けたら、「何を言っているのですか。まずは足元の経済の回復が全てです」と何を聞かれても答えればいいだけなのだ。それが国民を安心させるだろう。ましてや、衆院解散なんて本来はもってのほかである。先ほどの野党の状況や、新政権発足後の支持率の高さ、菅総理のスキャンダルが出ていない今なら、早期の衆院解散で自民党は大きく勝利するだろう。政治的には早期解散が望ましい。株式市場も私の見方は、「年内解散は株価に影響しない、来年の解散なら株価にはネガティブ」である。しかし、それはあくまで政治の論理だ。優先すべきは第三次補正予算を組みながら、この秋から冬の新型コロナウイルスの感染に医療的にも経済的にも備えることである。ところが、今回財務大臣の留任が内定している麻生氏など政権の中枢からは、臆面もなく早期解散すべしという声が聞こえてくる。何をそんなに焦っているのか?穿った見方をするなら、例の河井元法相夫妻の100日裁判が12月頃には出てくる。ここに爆弾が潜んでおり、そのスキャンダルが飛び出す前に衆院解散をしてしまおうと考えているのではないかと考えてしまう。
とにかく、菅政権は「改革は景気後退期にはできない」という歴史の教訓をよく認識し、地味だが堅実な政権運営をしてほしいものだ。