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親をケアするということ。母と、わたしと、みんなひとりの人生。
母がコロナに罹患した。
父が亡くなって、手続きという名目で連日あちこち連れ回してしまったことを反省。遊んでいたわけじゃないので仕方ないのだが、彼女が大丈夫といっても以前ほど体力があるわけではないことを、わたしがケアするべきだった。
手続きを終えて今日からしばらく、息抜きとしてわたしの家のある東京に遊びに来る予定だったが、その前日にコロナ発症。もちろん、東京行きのすべての工程は中止になった。
父のときにも感じたが、親をケアするとは、本当に難しい。
いわゆる「きっちりした親」を、もちろん心から尊敬し、全力で育ててくださったことに心底感謝しているのだが、そのぶん、自分の考えがハッキリしているし「本来世話をしてあげるべき子供の世話になるなんて」という感覚が抜けず、我が子の前で強くあろうとしてしまうようだ。
一方の子供側も、老いゆく親を優しくケアしたいのに、親に強めの語気で自分をはねつけられたり否定されたりすると、古傷がうずくのか「もっと理解されたい」とか「理解されなくて悲しい」とかいう感情に持っていかれ、現状が冷静に見られなくなってしまう。
一緒に住んでいないわたしと過ごす時間が長くなってきて、運転をしてもらえたり、ラクなこともあった一方で、母もそれなりに気を使ったり疲れたりしていたのだろう。だがもちろん日常を完全に捨てて母の家に長期滞在していたわたしにも疲れはあって、だからケアが行き届かなかった。
手続きを早く終わらせることばかり考え彼女の体力やコンディションへの配慮が足りなかったのではないか。なんでもやってあげるのは彼女のためにならないと、母中心に手続きを進めてもらい、わたしがフォローアップにまわったことも、彼女の気力や体力への過信だったのではないか。
この連日の多忙のあと、東京に来るという計画までふくめて、わたしは以前よりすこし年老いた今の彼女をまだ受け入れられてなかったのではないか。自責の言葉は止まらない。
当の本人は、ワクチンを打っていたことも幸いしてか、激しい喉の痛みはあるものの熱はなく、それなりに元気にしている。だが問題はそのあとだ。体力は落ちるだろうし、感染力が弱まっても急激に症状が回復するわけではなく、あと一息のところで元気ハツラツとはいかず、もどかしい日々が続くに違いない。
なにより、母のそばに行くことができないのが辛い。たまに部屋のドアをあけて顔は見に行ってるが、このままハグもできずに東京に帰るなんて。(甘えん坊の末っ子魂)
母が大好きだった瀬戸内寂聴さんの言葉で、わたしと母が折に触れて思い出し、確かめ合う言葉がある。
人は、ひとりで生まれ、ひとりで死んでいく。
どんなに親しくても、どんなに愛していても、たとえそれが自分をこの世に産み落としてくれた母親だったとしても、自分の人生を犠牲にするわけにはいかないわけで。
見捨てるわけではなく、彼女を信じてどこかで線を引いて、もう少し遠くから見守るしかない。わたしがわたしの人生をきっちり生きることが、母にとってもきっと重要だし、生きる力になる筈だ。
と、同時に。
「少しずつ準備しとけよ」
父に、そう言われた気がした。
いつか母を、見送らなければならない。父を見送るまでは、どこか同じ「元気な側の家族」という同じグループにいたような気持ちになっていたけれど、そういう日が絶対に近づいて来るのだということを、これまでより少しだけ深く、心に刻んでおくべきかもしれない。
コロナが治ればそれなりは元気になるだろうし、まだまだ長生きして、一緒に楽しい時間を過ごしていきたい。だがそうやって少しずつ、時間を重ねていくことで、彼女もそしてわたしも、死に近づいていくのが当たり前なのだ。
そういう現実を否定せず、受け入れながらも感謝して、心穏やかに、ともに生きていけたらと思う。
お母さん。
はやく元気になって、いっしょに遊ぼうね。