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【読書感想文】現代人における「推し」の存在。

推しの幸せは自分の幸せ。
なんて言葉ありますよね。
推しのいない自分には理解がしがたい言葉です。

現代社会ではネットの普及により何でもかんでもすぐ情報が伝わる。
この本の一行目の言葉は
「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい」
から開始します。
らしい?ということはカメラで写っている場所ではなく、どこかから情報が流れたことで判明したのだろうか?衝撃的な一文から開始した。
情報の発信源はネットニュースで、しかも深夜

この物語の主人公であるあかりはちょっと現代社会に生きずらいという様子がこの本を読んでいて書かれている。
小学校の漢字の50問テストでは、最後になるまで合格することができないで、鼻くそをたべたクラスメイトにすら抜かされてしまし、ほかのクラスの友達に借りた教科書を返し損ねたり、提出しないといけない課題を提出し損ねる。
バイトでは、ちょっとへまして、グラスをぶちまけたらあかりちゃんをもじってあかちゃんと呼ばれたりする。

外見から見分けがつくほどの障害ではないが、ちょっと抜けてるというには抜けすぎている。何ならちょっと生きずらいって感じで、
学校で言われるがまま診断を受けたら二個ほど名前が付く。

診断書をもらうということで、自分が正真正銘の病気であるということは確定するが、それによってなにかが許されたり、言い訳になるわけとは僕は考えていない。
実際自分も病気を持っているが、それによって親に病気なんだから、とかあなたは無理がよくない。とか都合のいい時には止める材料として扱ったり、都合の悪い時には、病気だからって。。。なんて本人が一番気にしているところについて言及してきたりする。

病気を言い訳になってしたくないけど、実際に社会で生きるには生きずらいなんてこともある。


自分の足りないところを埋める。そんな存在が推しなのでは?

何か輝くものを見つけてそれを頼りに生きていく。的な?

インスタである程度の人脈関係を築いている人間ならフォロー中の人間が、何かを推しているという光景を見たことがあるだろう。

アクリルスタンドと一緒に写真を撮ったり、現地にいってライブを観戦したり、映画や、ドラマに出演すればそのドラマを見たり。

現実の存在じゃなくても、二次元のキャラクター、アイドル、vtuber 
推しの存在は多岐にわたる。

ましては、推しとしての存在ととらえるならなんとも微妙な、スポーツ選手だったり、大学、もう同じ学校のちょっとかっこいいけど、恋愛対象には入らないような人を「推し」と言ったりするのも散見できる。

割と、推し活とかストーリーに挙げるほど熱心な活動をしているのは女性が多いような印象を受ける。

推しの幸せは自分の幸せと、最初に書いたが、
推しの不幸は自分の不幸 という場合も全然あり得る。


推しが、炎上し、人気投票では自分が一人でたくさん投票したにも関わらず、最下位。こんなに頑張っているのに順位では報われることがない。一人が努力をしたところで変えられないものは変えられない。そんな現実に直面する。もっと推しは人気があってもいい。ファンを殴ったのには理由がある。自分はそう思っているが、他人までがそう思っているとは限らない。
自分ではその結果を到底理解しがたいだろう。

輝き続ける存在にはの応援も重要

言葉というものは記号に見えて、意外と刺さったりする。
小中学校のポスターで「言葉はナイフ」なんて奴があったりもする。
人間とはエゴな生き物であり、自分のことが大好きである。
誰だってそうじゃないか?友達同士でプリクラを撮ったりしても真っ先に自分が漏れているかどうかを確認するし、実際にこれは事故ってるだろってプリも自分が漏れていれば確認をとらないで投稿しているなんてことも全然ある。
アイドルレベルになればなおさらエゴサなんてすることなんてあるだろう。
誰しも否定的な意見よりも肯定的な意見の方が受け止め対し、誹謗中傷の結果最終的には自殺に至るような人間もいるわけで、
ネット上の世界では
「たとえ100人があなたの敵でも私は味方だよ」
なんて言ったところで100件の誹謗中傷のなかに1件だけ褒められていても凹むだろう。ぼくなら凹む。そんな感じで、騒動から一年半あっても人気が戻ることはなくなる。
アイドルとか表舞台に立つ人間は印象が一番とは言わないが、イメージが重要。一度でもスキャンダルとかあっただけでもテレビから追放されたりする。追放されなかったとしても、しつこい人間には何度でも掘り起こされたりすることがある。メンタルがやられてどうしようもなくなる前に芸能界を引退した方が全然楽だろう。

いくらアイドルとはいえ最後は引退する。

テレビ番組に出るようなアイドルや芸能人だっていつかは芸能界を引退する。それが華やかな引退であるか、仕事がなくなっての引退なのか、はたまた炎上や世間体によるものなのかってなのかって話になっているが
推しだった存在は一般人に戻るのである。戻るっていっても生後三か月から芸能活動をしている人間なんだから一般人もどるなんて感覚は怪しいのかもしれない。
ましては、最後の引退に結婚指輪を嵌めて参加するなんてもうきっぱりと区切りはついているのだろう。推しはただの一般人であった。
推されるような活動はもうしないということだ。

推しという存在に生きる意味を見出して、推しという存在に得たお金を。生活の一部というか、生きていくのに必要な「背骨」のようなものと書かれている。
推しにささげる人間にとっての推しの存在とはそれを取って生活をすることができない。
しかし、実際に推しが表舞台に立たなくなったとしても、
生きていかなければならない。生きる糧を失った人間はその先なにを頼りに生きていけばいいのだろう。
僕が、中学生のころに銀魂が好きな女子がいた。銀魂はそのころに連載終了して銀魂が好きだった女子は一週間は凹んでた。言葉にはしていなかったけどどれくらいの期間そのことについて引きずっていてのかはわからない。

失恋をしたくないのなら恋なんてしなければよかった。
とは別の気持ちなんだろう。
きっと推しがいる人間は、
推しててよかったし、推してたことに後悔はしていない。
そうみんな思うんだろうな。

なんとなく推しってどういう存在なのかということについて理解できるような本だった。


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