神の正体。すべての議論に終止符を打つ答え
まず、結論から言うと、神とは自分自身のことです。
様々な神の姿
古代から、人々は神話や宗教において、様々な形で「神」を提示してきました。
そしてまた、人々は多くの誤解をしてきたのです。
たとえば、最もわかりやすい例は「神はイエス・キリストのように実態のある姿である」という誤解です。
絵画などにおいて、神話の神々や宗教の神の多くは人間に近い姿として描かれています。
しかし、画家に責任を問い詰めてはいけません。
画家は、描くことのできない神というものを、そのような形で表現するより他になかったのです。
神話や宗教の聖典などでは、神にはそれぞれ名前が与えられ、まるで生命体であるかのように書かれています。
これもまた、それを書いた人を問い詰めてはいけません。
なぜなら、そのように表現したほうが、民衆を啓蒙する目的としては都合がよかったのです。
彼らが本当に示そうとしたものは何でしょうか。
それは、神は概念であるということです。
概念としての神
日本の八百万(やおよろず)の神や、アニミズムなどにおいて、神はあらゆるものに宿っていると考えられています。
動物、植物、昆虫はもちろん、宇宙、空、海、山や大地、石や砂、雨や雷、空気や水や火……何にでも神は宿っているという捉え方です。
ところで、大樹や巨岩に宿る神を考える場合、それらの外面上の姿に対して神を実感しているわけではなく、その漠然とした壮大さに畏敬の念を感じているのではないでしょうか。
あるいは、いわゆるパワースポットと呼ばれる場所に行ったときの得体の知れない高揚感も神を感じている瞬間だと思います。
すなわち、神とは姿のある存在ではないということです。
しかしながら、神とは常にそこにありながら、我々にとっては、認識して初めてその存在が了解されます。
つまり、「自分」なくして神はないということです。
神と「自分」
もし仮に、自分が存在しなかったとしたら、宇宙は存在しないのでしょうか。
いや、宇宙は存在します。
ただし、その存在している宇宙を認識することはできません。
これは存在していないことと同義だと言えます。
たとえば、ある一人の人間の存在を他のすべての人間が無視して生活した場合、彼または彼女はそこに確かに存在しているわけですが、他の人々にとっては存在していないに等しいことになります。
つまり、神とは「自分」という領域内にあり、その存在は自覚なしには認知できないものなのです。
そもそも、人類の歴史上、実際にその目で宇宙を目撃した人物はごく限られるため、宇宙が存在していると言い切ることもできません。
さらに、彼らが言っていることや人工衛星などが撮影した写真などが本物であるかどうかを疑い始めたり、シミュレーション仮説など哲学的な議論に入れば、永久に本当のことはわからなくなります。
創造主
我々は地球上に存在する数ある種のうちの一つ以上でも以下でもありません。
ですが、宇宙の中に自分がいるのではなく、自分の中に宇宙があるのです。
神を認識できる自分という存在こそ神以外の何者でしょうか。
宇宙を創造した神は自分自身なのです。