運とは何か。タイミングの悪さの真相とカルマについて
「運が悪い」の意味
あなたはこれまでに以下のような経験をしたことがないですか?
○真面目に課題や仕事をしていて、ほんの一瞬休憩をしているときに限って親や上司が様子を見に来て「サボっている」と思われる。
○トイレに行っているときや出かけようと急いでいるときに限って宅配便など訪問者が来る。
○道を歩いていて前から人が来たとき、自分が避けたほうに相手も避けてきて「あ、すいません」になる。
○自分が商品を買った直後にその商品の値段がディスカウントされて損した気分になる。
○他人が何かをやらかした際、状況証拠だけでなぜか自分に罪を着せられる。
○ふと、たまたま見た時間や日付などが不吉な数字でゾクッとする。
○出勤する際、急いでいるのに信号や踏切に次から次へと引っかかる。
……挙げ始めればキリがありませんが、これらの出来事を人は「運が悪い」という一言で処理したがりますが、そのような「運」という漠然とした概念の仕組みは、意外にも簡単に説明可能です。
実はこういうことが起きるときは、無意識的に自分の脳内に「こうなるだろう」という思考があり、それに引き寄せられるようにして、物事がある意味で「実現」してしまっているのです。
ナポレオン・ヒル(『思考は現実化する』)やロンダ・バーン(『ザ・シークレット』)の言う潜在意識や引き寄せの法則などニューソート系の思想を引き合いに出すまでもなく、成功者の大半は「自分が成功する」ということを疑わずに突き進むからこそ成功しているのは周知の事実です。
ゆえに、現代科学においてそのメカニズムはまだはっきりと解明されてはいませんが、信念というものは物事を引き寄せ、実現させる魔力を持っています。
これは古代から多くの賢者が同じことを語っており、信念なき成功者はまずもって存在しません(これについて興味のある方は、C・M・ブリストル『信念の魔術』を参照してください)。
ですが、このパワーの恐ろしい点は、信念が引き寄せる事象は取捨選択できず、善いことも悪いことも起きてしまうということです。
カルマは存在する
深く瞑想し、宇宙の波動と一体化したときにわかる事実は、世の中に起きる事象はすべて必然として起き、それは避けることができないということです。
宇宙の磁場は、すべての事象をコントロールしており、無限の記号(∞)はそれを意味しています。
カルマ(業)とはインド発祥の宗教における基本概念であり、善や悪の業を積めば、因果によりそれ相応の楽や苦をもたらすという考え方です。
ただし、この考えの誤解してはいけない部分は、その因果がすぐに直結するとは限らないという点です。
現世ではその因果が果たされず、未来世に持ち越されたり、逆に過去世の魂の因果を現世で受けることは多々あります。
まったく非の打ち所のないような善人に見える人が理不尽な運命(工事現場の鉄筋が落ちてくる、滅多にない落石に天文学的な確率でぶつかる、健康に細心の注意を払って生活していたのに難病になる等)を迎えるのはそのためです。
また、不慮の事故で腕や脚を切断する、視力や聴力が奪われる、アルツハイマーになるといった事柄もカルマの反映であり、場合によってはそのように心身が不自由になったことによって能力が開花することもあり得ます。
それは心身の不自由自体が目的ではなく、その先の能力の開花を目的として宇宙が発生させるカルマであり、そういった選ばれし人物は宇宙における何かしらの使命を背負っているわけです。
ところで、ボランティア活動などの「善行」とされている行為をする際に、「自分はこのような善行をしているのだから報われるはずだ」などといった卑しい感情が少しでもあれば、それは善行としては承認されません。
逆に、人間社会の法律において犯罪と定義されているような行為であっても、それが当人にとって正義と信じて悪意なしでやった行動であれば「悪行」として捉えられることはありません。
カルマの概念における「善悪」とは、法的な解釈や他者から見て人道的にどうであるかではなく、その当人にとっての価値観がどうであるかが重要なのです。
行動は選択できない
あなたは毎日さまざまな選択をして生きています。
そう思い込んでいます。
もし、この思い込み自体が誤解だとしたら驚きますよね?
実際は、あなたは毎日宿命通りの宇宙に約束された行動をしているにすぎず、幸運も不運も要するに他者からの洗脳であり、架空の価値観にすぎないとしたら……。
いやいやそんなことはない、自由に行動を選んでいると思っているかもしれませんが、すべての行動はもともとそれが選ばれると決まっているので「あー、あのときあっちを選んでいれば……」といった後悔としての過去への振り返りはまったく無意味だということです。
「そのときのあなた」はそれを選ぶしかなく、幾つもあるように見える選択肢は、実は最初から一つしかなく、他はすべて幻でありフェイクなのです。
自らの種族名に「賢い人」などと傲慢に命名したホモ・サピエンスは、自分たちは物事を思慮深く思考していると思い込んでいますが、実は何も考えておらず、世の中に起きるすべての事柄をありのままに受け入れることしかできません。
地球唯一の知的生命体と自負する愚かなるホモ・サピエンスは所詮、宇宙の構成要素の粒子の一つにすぎないということをそろそろ理解すべきではないでしょうか。