生きるのが辛いのは幻想。ストレスから解放される究極のテクニック
ストレスの種類
我々が生きていく上で、その快適さを奪う最大の要因がストレスです。
そもそもストレスとは、生活における様々なプレッシャーや不快感をぼんやり総称した概念であり、これには精神的な焦り・苛立ち・不安感以外にも、寒い・暑い・痛い・痒い・うるさいなどの生理的な側面も含まれます。
語源としては、1936年にハンガリー系カナダ人の生理学者ハンス・セリエが distress(苦痛/苦悩)の短縮として提唱し、ストレッサー(有害作因)という造語を考案しました。
それ以前にも、1914年にアメリカの生理学者ウォルター・B・キャノンもそれに関係する発表をしています。
ハンス・セリエは1956年に『現代社会とストレス(The Stress of Life)』を出版し、学術界以外の一般読者層にもその概念を紹介しました。
それでは、キャノンやセリエが言葉を定義する以前の人々はストレスを感じていなかったのかと言えば、そんなはずはなく、ストレスという言葉では認識していませんでしたが、古代の人でもその感覚を味わっていたのは間違いありません。
動物に限らず植物も、たとえば与える水の量を制限したほうがトマトが甘くなるように、それに近い反応を生じさせることも確認されています。
残念ながら、生理的なストレス(刺激・炎症等)や物理的なストレス(寒さ・暑さ・ノイズ等)は、状況によっては回避することができません。
ですが、心理的なストレスは、実は唯一の原因しかありません。
それは人間関係です。
ストレスの原因
もしかしたら意外に思う人もいるかもしれませんが、冷静に日頃の心理的ストレスの発端を考えてみてください。
元はと言えば、すべて周りの誰かしらから与えられたプレッシャーや不快感ではないでしょうか。
一例を挙げると、何かをしなければいけないというストレスは、ほとんどの場合、それをしないことにより誰かから非難されたり、呆れられたりすることへの恐れとなります。
自分だけのことであれば、それをしないことにより被る影響は自己責任として納得し、素直に受け入れることができるため、ストレスにはなり得ません。
誰かの目を意識した途端に、それはストレスの要因に転化するのです。
親、子供、兄弟姉妹、パートナー、友達、先生、先輩、後輩、上司、部下、客、行政、警察など、身の回りには無数の人間が存在し、社会という共同体を形成しています。
産まれ落ちたその瞬間から、人は(望もうと望むまいと)様々な他者との関係性を築いていくことになります。
そこには良好な関係性だけでなく、苦痛や面倒を伴う場面も必ずあります。
人生を生きていくためには、それなりのテクニックが必要だということです。
ストレスへの対処法
それでは、どのようにしたら心理的ストレスを減らし、人生をより豊かで楽しいものにしていくことができるのでしょうか。
まず、第一の方法はこちらです。
そうすれば、必然的に心は自由になります。
無人島でたった独りで生活している人にとってのストレスは、生理的要素と物理的要素のみであり、心理的には解放され、自由を得ています。
そんなことはできない、お金を稼いで最低限の社会に帰属した生活を送りたいと望むとしたら、次の方法を実践してみてください。
昔からよくある、ピアノやバレエなどの発表会を直前にした娘にお母さんが「お客さんはみんなジャガイモだと思いなさい」と言って落ち着かせるのとまったく同じことです。
実は、思い込みというものはとても重要なのです。
医学においては、プラシーボ(偽薬)効果と呼ばれる、ただのビタミン剤をその病気の特効薬だと信じて飲んだ患者の病気が治癒または改善へ向かうという、今のところ科学的にはそのメカニズムが完全には解明されていないものの、実際に起こり得る現象が確認されています。
あるいは、世の中の成功者の大半は、自分の成功や才能を信じて疑わず、突き進んだ結果として成功を収めたケースが多い……というかそれがほぼすべてです。
1982年にヒラリー・パトナムが提唱した水槽の脳や、ニック・ボストロムらが主張しているシミュレーション仮説のように、トランスヒューマニズム的な考えに基づき、もはや自分さえも存在していないと思い込んでもいいのですが、その場合はアイデンティティークライシスに陥らないようにご注意ください。
自分以外の人間はすべて存在していない幻想だと信じ込めば、あらゆる言葉や行為から傷ついたり影響を受けたりすることは無くなります。
取り返しのつかない最悪の手段に走る前に、本気で試してみてはいかがでしょうか。
もちろん、あなたにとってストレスとならない人も周りには必ず存在するはずです。
そういった人となるべく親しくすることで、ストレスを緩和する方法が最も現実的でしょう。
そんな人はいない?
だとしたら、問題は他人ではなくあなた自身にあります。